史跡見学です「大森貝塚」
2016年3月12日(土)の続きです。
映画「男はつらいよ」の感想は、書き出すと終わらないので省略します。
大森と言えば「大森貝塚」。
小学校の社会科で勉強した、日本の考古学発祥の地です。
1877年(明治10年)、来日して3日目のモース博士。
横浜から新橋に向かう列車の窓から、この貝塚を発見。
私たちの世代には、おなじみの逸話だと思うのですが。
今の小中学校の教科書には、載っていないんですって(^^;
ウィキペディアで予習すると、大変面白いことが判明。
最後に書きます。
とにかく、大森駅から歩いて行ける距離です。この機会に見てきましょう。
まずは位置関係のご報告。
縦長で困りましたが、、、線路の左側は丘、右側は低い平地です。
大森駅から順に、三か所を見てきます。
大田区内の石碑「大森貝墟」(NTTデータ大森山王ビルの裏)
品川区内の石碑「大森貝塚」(大森貝塚遺跡庭園の中)
品川区立品川歴史館
まずは大田区大森の「大森貝墟」石碑。
1930年(昭和5年)に建てられたもの。
「かいきょ」と読むのでしょう。
大森駅のキネカ大森とは反対側、池上通りをてくてく。
NTTデータ大森山王ビルの前に石碑と説明パネル。
1/2サイズのレプリカなんですね。
ビルの横の狭い通路の先に、本物があるようです。
ビルの脇の狭い通路を降りると、まずは説明パネル。
1977年10月、東京都大森貝塚保存会、日本電信電話公社とあります。
線路脇まで下りますと、ありましたねぇ。
えらく狭い場所で、線路に向いて立っています。
結構人気があるのですね、私がいる間にも何人も人が来ました。
次に品川区大井の「大森貝塚」石碑に向かいます。
一年早い、1929年(昭和4年)に建てられたもの。
池上通りのポールには、こんな表記が。
国指定大森貝塚は品川区にもあります。(右300m先)
品川区立大森貝塚遺跡庭園内
池上通りを、更に歩きます。
縄文遺跡風の塀に囲まれた、品川区歴史庭園。
奥に何やら、煙のようなものが見えます。
30分に一度、幻想的な霧を発生させるコーナーなんですって。
モース博士の銅像や、線路脇のがけ。
この辺に、貝塚の断面が見えたのでしょう。
近所の子どもたちの、格好の遊び場になっているようです。
肝心の石碑は、どこかと思ったら。
縄文時代の説明パネルや貝塚のレプリカの、更に先。
一番奥の方の、本当に端っこにありました。
やはり線路に向かって立っていて、正面からは撮れません。
池上通りを、まだ先に歩きます。
品川区立品川歴史館 入場料100円。
こちらの二階の大森貝塚コーナーに、詳しい説明がありました。
以下、ウィキペディアから引用です。
モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に
所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、
品川区説と大田区説の2つが存在した。
しかし、その後1984年(昭和59年)までの複数の調査により、東京府が
大井村字鹿島谷(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に調査の補償金50円を
支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、
貝墟碑周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは
品川区側であったことがわかっている。
ははぁ。
石碑を建てた昭和の初め頃、確定が1984年(昭和59年)ですって。
きっと色々モメたのでしょうねぇ。
場所が品川区大井と確定したなら「大井貝塚」だと思いますが。
その後も「大森貝塚」のままなのですね。
歴史館では「大森駅から発掘に行ったから」というような説明がありました。
大田区と品川区で名と実を取る「大人の対応」なのでしょう(^^)
二つの石碑は、いずれも国指定史跡だそうです。
| 固定リンク
「バイク以外の雑談」カテゴリの記事
- バラまつり「伊奈町制施行記念公園」と「川島町平成の森公園」(2024.05.18)
- 埼玉県北本市で「昭和平成クラシックカーフェスティバル」(2024.05.02)
- HPデスクトップPC購入(2024.02.06)
- デスクトップPC買い替え検討(2024.01.25)
- 謹賀新年(2024.01.01)
「記念碑」カテゴリの記事
- 歩いてきました 埼玉県毛呂山町「鎌倉街道上道と古墳群」その2(2024.02.01)
- GSR250Sで埼玉群馬の「河畔砂丘」めぐり(2024.01.21)
- 歩いてきました「宇都宮城址~宇都宮二荒山神社」(2023.10.06)
- 行ってきました 埼玉県朝霞市「陸上自衛隊 広報センター」余談(2023.07.02)
- GSR250Sで行田市「辯天門樋」と「成就院三重塔」(2023.06.05)
コメント