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2016年3月18日 (金)

史跡見学です「大森貝塚」

2016年3月12日(土)の続きです。
映画「男はつらいよ」の感想は、書き出すと終わらないので省略します。

大森と言えば「大森貝塚」。
小学校の社会科で勉強した、日本の考古学発祥の地です。
 1877年(明治10年)、来日して3日目のモース博士。
 横浜から新橋に向かう列車の窓から、この貝塚を発見。

私たちの世代には、おなじみの逸話だと思うのですが。
今の小中学校の教科書には、載っていないんですって(^^;

ウィキペディアで予習すると、大変面白いことが判明。
最後に書きます。
とにかく、大森駅から歩いて行ける距離です。この機会に見てきましょう。
まずは位置関係のご報告。
Oomori_map

縦長で困りましたが、、、線路の左側は丘、右側は低い平地です。
大森駅から順に、三か所を見てきます。
 大田区内の石碑「大森貝墟」(NTTデータ大森山王ビルの裏)
 品川区内の石碑「大森貝塚」(大森貝塚遺跡庭園の中)
 品川区立品川歴史館

まずは大田区大森の「大森貝墟」石碑。
1930年(昭和5年)に建てられたもの。
「かいきょ」と読むのでしょう。
大森駅のキネカ大森とは反対側、池上通りをてくてく。
NTTデータ大森山王ビルの前に石碑と説明パネル。
1/2サイズのレプリカなんですね。
ビルの横の狭い通路の先に、本物があるようです。
20160312_11

ビルの脇の狭い通路を降りると、まずは説明パネル。
1977年10月、東京都大森貝塚保存会、日本電信電話公社とあります。
線路脇まで下りますと、ありましたねぇ。
えらく狭い場所で、線路に向いて立っています。
結構人気があるのですね、私がいる間にも何人も人が来ました。
20160312_12

次に品川区大井の「大森貝塚」石碑に向かいます。
一年早い、1929年(昭和4年)に建てられたもの。
池上通りのポールには、こんな表記が。

 国指定大森貝塚は品川区にもあります。(右300m先)
 品川区立大森貝塚遺跡庭園内

池上通りを、更に歩きます。
縄文遺跡風の塀に囲まれた、品川区歴史庭園
奥に何やら、煙のようなものが見えます。
20160312_13

30分に一度、幻想的な霧を発生させるコーナーなんですって。
モース博士の銅像や、線路脇のがけ。
この辺に、貝塚の断面が見えたのでしょう。
近所の子どもたちの、格好の遊び場になっているようです。
20160312_14

肝心の石碑は、どこかと思ったら。
縄文時代の説明パネルや貝塚のレプリカの、更に先。
一番奥の方の、本当に端っこにありました。
やはり線路に向かって立っていて、正面からは撮れません。
20160312_15

池上通りを、まだ先に歩きます。
品川区立品川歴史館 入場料100円。
こちらの二階の大森貝塚コーナーに、詳しい説明がありました。
20160312_16

以下、ウィキペディアから引用です。
 モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に
 所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、
 品川区説と大田区説の2つが存在した。
 しかし、その後1984年(昭和59年)までの複数の調査により、東京府が
 大井村字鹿島谷(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に調査の補償金50円を
 支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、
 貝墟碑周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは
 品川区側であったことがわかっている。

ははぁ。
石碑を建てた昭和の初め頃、確定が1984年(昭和59年)ですって。
きっと色々モメたのでしょうねぇ。

場所が品川区大井と確定したなら「大井貝塚」だと思いますが。
その後も「大森貝塚」のままなのですね。

歴史館では「大森駅から発掘に行ったから」というような説明がありました。
大田区と品川区で名と実を取る「大人の対応」なのでしょう(^^)
二つの石碑は、いずれも国指定史跡だそうです。

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