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2016年7月25日 (月)

人生に、文学を。

大手新聞各紙の7月20日(水)朝刊に掲載された全面広告です。
20160720

 人生に、
 文学を。

 文学を知らなければ、
 目に見えるものしか見えないじゃないか。
 文学を知らなければ、
 どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)

 読むとは想像することである。
 世の不条理。人の弱さ。魂の気高さ。生命の尊さ。男の落剥。女の嘘。
 行ったこともない街。過ぎ去った栄光。抱いたこともない希望。
 想像しなければ、目に見えるものしか知りようがない。
 想像しなければ、自ら思い描く人生しか選びようがない。

 そんなの嫌だね。つまらないじゃないか。

 繰り返す。人生に、文学を。
 (一年に二度、芥川賞と直木賞)


ブンガクなんて、真正面から言われても照れくさいですが。
ココロが踊るような、何か面白い小説が読んでみたくなる。
そんな気にさせられる、心惹かれる広告だと思います。

公益財団法人 日本文学振興会
Shinkoukai

「人生に、文学を。」プロジェクト。
Jinseibungaku

ところで。

 文学を知らなければ、
 どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)

と問いかけています(^^;

私は、心の中で答えます。
「はい、全くその通りだと思います」


仮に「どうやって人生を想像するのだ?」と問われたとして。
答えは「文学とアニメ」の、二者択一だとしたら。
アニメにマルを付ける人の方が、多いでしょうね。

念のため、言葉の定義を確認しますね。
いつものように、ウィキペディア。

 文学とは、言語表現による芸術作品のこと。
 芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、
 精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
 文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。


文学は、人の心の動きを表現するのに、比較的適した手法だと思います。
その一方で、視覚に訴えることがない分、想像力は本人の体験知見の延長線の範囲に留まる。
そんな制限もあるかと思います。
様々な表現手法の中で、それぞれの特性を生かした作品を作るという、当たり前の話です。

今回の受賞者で言えば、直木賞の荻原浩さん。
二つの小説が映画化されています。「明日の記憶」「愛しの座敷わらし」。
いずれも、原作と映画のどちらも大変良かったです。

どの手法で何を表現するかは、作者の自由。
作品から何を読み取るかは、鑑賞者の自由。

文学が凋落する一方で、アニメやゲームが大きな力を得ている。
そのような状況を充分理解した上で「(アニメか?)」と書いているのでしょう。

それでも、文学でしか表現できない世界もあるのだと。
強い危機感を抱きつつ、そう語りかけている広告なのでしょう。

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