人生に、文学を。
大手新聞各紙の7月20日(水)朝刊に掲載された全面広告です。
人生に、
文学を。
文学を知らなければ、
目に見えるものしか見えないじゃないか。
文学を知らなければ、
どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)
読むとは想像することである。
世の不条理。人の弱さ。魂の気高さ。生命の尊さ。男の落剥。女の嘘。
行ったこともない街。過ぎ去った栄光。抱いたこともない希望。
想像しなければ、目に見えるものしか知りようがない。
想像しなければ、自ら思い描く人生しか選びようがない。
そんなの嫌だね。つまらないじゃないか。
繰り返す。人生に、文学を。
(一年に二度、芥川賞と直木賞)
ブンガクなんて、真正面から言われても照れくさいですが。
ココロが踊るような、何か面白い小説が読んでみたくなる。
そんな気にさせられる、心惹かれる広告だと思います。
公益財団法人 日本文学振興会
「人生に、文学を。」プロジェクト。
ところで。
文学を知らなければ、
どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)
と問いかけています(^^;
私は、心の中で答えます。
「はい、全くその通りだと思います」
仮に「どうやって人生を想像するのだ?」と問われたとして。
答えは「文学とアニメ」の、二者択一だとしたら。
アニメにマルを付ける人の方が、多いでしょうね。
念のため、言葉の定義を確認しますね。
いつものように、ウィキペディア。
文学とは、言語表現による芸術作品のこと。
芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、
精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。
文学は、人の心の動きを表現するのに、比較的適した手法だと思います。
その一方で、視覚に訴えることがない分、想像力は本人の体験知見の延長線の範囲に留まる。
そんな制限もあるかと思います。
様々な表現手法の中で、それぞれの特性を生かした作品を作るという、当たり前の話です。
今回の受賞者で言えば、直木賞の荻原浩さん。
二つの小説が映画化されています。「明日の記憶」「愛しの座敷わらし」。
いずれも、原作と映画のどちらも大変良かったです。
どの手法で何を表現するかは、作者の自由。
作品から何を読み取るかは、鑑賞者の自由。
文学が凋落する一方で、アニメやゲームが大きな力を得ている。
そのような状況を充分理解した上で「(アニメか?)」と書いているのでしょう。
それでも、文学でしか表現できない世界もあるのだと。
強い危機感を抱きつつ、そう語りかけている広告なのでしょう。
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