行ってきました 埼玉県吉見町の「松山城跡」
2017年1月28日(土)の続きです。
松山城といえば。
先週行った、岡山県高梁市の「備中松山城」。
一昨年、前を通った愛媛県松山市の「伊予松山城」。
この二つが有名ですよね。
実は、我が埼玉県にも「松山城跡」がありまして。
以前からそばを通っていましたが、一度も見たことがありませんでした。
先週、備中松山城を訪れたのを機会に、ちょっと見てきます。
埼玉県吉見町のホームページでは、以下の通りです。
松山城跡は、比企丘陵の先端に築かれた北武蔵地方屈指の平山城で、大正14年に県指定史跡となる。
平成20年には、すでに国指定であった菅谷館跡(嵐山町)に、杉山城跡(嵐山町)、
小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに加わり、比企城館跡群として国指定史跡となる。
城の周囲は市野川が形成した低湿地帯が広がり天然の要害を形成している。
現状の城の縄張りは、後北条氏による大改修によって形成されたものと思われ、
本曲輪を初め多くの平場や空掘などが大変良好な状態で残っている。
このブログでも何回か登場している「吉見百穴」「岩殿観音」のすぐそばです。
吉見百穴の駐車場にクルマを置いて、ほんの少し歩きます。
岩殿観音の奥の、岩の谷間を昇ります。
えー、ここが道だったんですか?
とは言っても、岩を登りきれば、後はゆるやかな散策路という感じです。
少し開けた場所は「兵糧倉」とあります。
すぐに、頂上の平らな所に出ました。
今にも崩れそうな水屋。
詳しい説明パネル。
おぉ、後北条氏が築いた陣屋の基礎が!
そんなはずはありません。ただのコンクリートの基礎です。
神社でも、あったのでしょうか。
大きな石塔は、危険防止で意図的に倒してあるのでしょう。
戒名が彫ってありましたから、供養塔かも知れません。
斜めになった「松山城跡」の石碑周辺は、立入禁止。
「埼玉県知事 川西實三」とあります。
調べると、在任期間は1936年(昭和11年)4月22日~1938年(昭和13年)4月18日。
結構古いのですね。
更に、国土地理院の基準点も発見。
南や東には見晴らしが良く、市野川の向こうに東松山市内が見えます。
蛇行した川が天然のお堀となる、城に適した場所なのが分かります。
北に歩いてみますと、畑や民家の脇を通って、道路に出られました。
ネットで探しても「吉見の松山城跡の案内図」といったものは、出てきません。
そこで、Googke Map のキャプチャに矢印を付けてご報告です。
白い矢印の位置から、アプローチできます。
北の矢印からは、普通に歩ける道です。小さい案内看板もあります。
岩殿観音からは、上り専用として気分を出すには絶好です(^^:
もう一方向、南側にもルートがありそうですので、いつかまた。
おまけです。周辺の様子。
かつての観光地「岩窟ホテル」。
数十年前は、入場料を払って中に入れました。
埼玉県では、まぁまぁ有名な史跡「吉見百穴」。
市野川の土手は、春は桜がキレイですよ。
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