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2017年2月19日 (日)

雑考「埼玉国体のマスゲーム」その4

まだ続きます「埼玉国体のマスゲーム」。

埼玉国体のマスゲームと鼓笛隊に関する、ネット上の個人の思い出を拾い集めてみました。
更に探すと、国会の議事録や大学の研究論文も見つかります。

・マスゲームに参加した浦和西高校の2年生
 相当な反発があり、当日もやる気なしの者がいた
・新聞記事にもなり、国会でも取り上げられた
・国体をスポーツや音楽の振興機会とするのは、当時の全国的な風潮
・テーマ曲は、忘れ去られる事例が多い


第056回国会 文教委員会 第6号 昭和42年11月22日

○斉藤(正)委員
これは新聞の記事でありますけれども、浦和西高校の先生の談話が出ておったわけでありますが、
国体初日のわずか十分間の出場のために、五百人の二年生全員が一年間マスゲームばっかりやっておって、
鉄棒も飛び箱も球技も何も教えてもらわなかった、こういうような事実がある。
○赤石説明員 
一応私どもの調べたところによりますと、学校の正科体育を全然やらずにマスゲームだけを
やったということは、これはいささかその新聞記事が誇張して報道しておるのでは
なかろうかと考えております。
○剱木国務大臣 
マスゲームにつきましては、実はその場で感じたことでございますが、
やはり中に参加意欲というものにつきまして多少疑問を持たれるような者が
一部にまじっておったということを見ました。


一橋大学機関リポジトリ
本学紀要論文 > 研究年報(一橋大学スポーツ科学研究室) > 2001年 >
埼玉県浦和市のスポーツ行政 内海和雄

埼玉県浦和市のスポーツ行政
64年の東京オリンピックでは聖火が浦和市を通過し、オリンピック意識を高めた。
そして、67年にはオリンピックの余韻も未だ強く、また国民のスポーツ要求が
一段と高くなる中で、埼玉国体が開催された。
浦和市はサッカー、ハンドボール、馬術、野球の会場となり、サッカー会場として、
駒場運動公園(サッカー場)が建設された。
国体はこの頃開会式のマスゲームへの生徒の長期動員が多くの問題を引き起こし、
『埼玉国体黒書』のような批判も現れていた。


国立情報学研究所 - 日本の論文検索
成城大学経済研究 (202), 315-359, 2013-12
国民体育大会におけるレガシーと「地方」阿部勘一

昭和30~40年代頃に,県民歌を新たに制定する,あるいは制定し直す
契機として国民体育大会があったことは,注目すべきことであろう。
例えば,埼玉県は,1965(昭和40)年に,1967年に開催される
国民体育大会に合わせるようにして,『埼玉国体の歌』と『埼玉県民音頭』
の選定と共に,『埼玉県歌』の制定をしている。
(略)
これは,「中央」が,「「地方」はご当地ソングを作るのがよい」と
指導した結果行われたものではない。
各都道府県が,自らの意思で制定したものである。

開会式や閉会式で演奏するのは,主に開催地の学校の鼓笛隊や吹奏楽部,
合唱部の児童,生徒達である。「地方」には,スポーツもさることながら,
音楽を学ぶ環境とそれを支える人材が,昔も今も乏しい面がある。
(略)
そこで,国民体育大会における音楽隊の編成を契機に,鼓笛隊,吹奏楽,
合唱などの活動を活性化させようとしたのである。

これらの楽曲がデッドストックのようになっているのはもったいないことである。
先にも述べたように,イメージソングは,レコードやソノシート,カセット,
CD などの形で頒布されている。
(略)
これらの媒体にかんする情報もほとんど知られることはなく,
都道府県の図書館に郷土資料として所蔵されているもの以外に,CD はお
ろか楽曲の存在を知る手段がほとんどないのが現状である。

当時のテーマ曲リストが面白いので、表として引用です。
Kokutai_uta_1
最近は、こんな感じ。
Kokutai_uta_2

「埼玉国体音頭」は、作詞作曲者が・・・「?」
これは「埼玉県民音頭」の間違いですね。
いずれにしても、情報が乏しいのは同じですが。

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