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2017年5月11日 (木)

歩いてきました「郡山市内~白河小峰城~白河市内」その3

2017年5月5日の午後の続きです。
白河小峰城址の公園の隅に、石碑がふたつ。
碑文を転記してみます。

明治20年8月19日 白河皆既日食の碑
  明治20年(1887)8月19日の午後、明治に入って初めて国内での皆既日食が起こり、
 アメリカのアマースト大学の日食観測の大家D,P,トッド博士の観測隊一行がはるばる
 来日し、白河を観測地に選びました。
 (中略)
 また、この皆既日食の観測隊や見物客を運ぶため、鉄道を突貫工事で開通させ
 白河駅を開業したとも伝えられています。

ハルマ和解
  『ハルマ和解』(別称江戸ハルマ)は、我が国初めての蘭日
 事典である。
  十八世紀末、稲村三伯ら江戸の蘭学者は、オランダ語の
 辞書の編纂を企て、大槻玄沢を介し、フランソア・ハルマ
 の蘭仏事典の和訳の協力を、白河藩主松平定信公に召し抱
 えられた元長崎通詞の石井庄助(恒右衛門)に懇請した。

  石井は寬政六年(一七九四)、江戸より帰国する定信公に
 随従して白河に来ても、この翻訳に従事した。白河に在っ
 ては、藩校立教館の蘭書局でオランダ語を教えている。
  翌年江戸に戻り、稲村三伯・宇田川玄真ら蘭学者がさら
 に校訂を加え、寬政八年完成刊行した。杉田玄白は、『蘭学
 事始』で「ハルマ釈辞の書は全くこの人(石井)の力によ
 れり」と述べている。
  松平定信公は「遼西ドドネウス草木譜」の翻訳刊行を白
 河藩の事業として行うなど、蘭学に対する貢献は大きい。

 「一滴の油、これを広き池水の内に点ずれば、散って満池
 に及ぶとかや」『蘭学事始』
                社団法人 白河青年会議所

20170505_13

ふぅ。
売店で一休みすると、なにやらご当地萌えキャラ。
小峰シロさん。こちらは簡単。
 皆さん
 はじめまして
 小峰シロです!!
 ヨロシクね

さすがに疲れてきました。
後は、さくっと流しましょう。

町なかも歩いてみます。
時代の付いた染物屋さんや薬屋さん。
聖ハリストス正教会。
午後3時までは特別公開だったそうで、わずかに遅れて残念。
全国各地の関連する教会を思い出します。
 東京復活大聖堂(ニコライ堂)
20170505_14

街角には「リアルタイム放射線測定システム」・・・
Shirakawa_201705_1

街中の観光拠点や、遊歩道の復元水車。
20170505_15
ご当地ヒーローのダルライザー
Shirakawa_201705_2

帰路の渋滞も、気にはなるのですが。
昨日の裏磐梯からは、かなり帰路は短縮されていますからね。
夕暮れまで街歩きを楽しんで、ゆっくり帰りました。

喜多方、郡山、白河。
どこも大変良かったですが。
もっとゆっくりしたかったですが。
だからと言って、郡山や白河だけで丸二日というわけにも。

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