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2017年11月 1日 (水)

歩いてきました「両国から日本橋薬研堀不動院」その2

2017年10月28日(土)の続きです。

春日野部屋の玄関わきには、ロープと大きなタイヤ。
タイヤの側面に擦れ跡がありました。
ドラマや漫画のように、腰に結わえつけて、走るのでしょうか?
近くに「北海製箸株式会社」という会社がありました。
え?「箸」の訓読みはなんだろう?
調べたら「ちょ」なんですね。
その場では「ほっかいせいちょかぶしきがいしゃ」だと思いました。
ところが。
後でネットで「せいちょ」と検索してもヒットしません。
一方「せいはし」と検索すると、同業他社がいくつもヒット。
つまり「ほっかいせいはしかぶしきがいしゃ」が正解のようです。
「重箱読み」なんですね。
20171028_04

両国橋の近くです。
江戸の町に関する立て札が三本。
・旧両国橋・広小路跡
 旧両国橋は現在の橋より下流50メートル。
 景色の良い場所で、火除け地として広小路が設けられ賑わった。
 この光景は、江戸東京博物館でミニチュアとして再現されていましたっけ。
・赤穂浪士休息の地
 討入後の泉岳寺への引き揚げ前に休憩した場所。
 両国橋は渡らず、一之橋と永代橋を通ったという。
・石尊垢離場跡(せきそんこりばあと)
 大山の阿夫利神社に出発する前の水垢離の場所。

何やらレトロな雰囲気の「岡田商事株式会社」
ネットで調べると、鉄スクラップを扱う会社のようです。
そのそばにも、また三本。
・片葉の葦
 同じ方向にしか葉を出さない葦には、これこれの由来が。
・駒留橋跡
 小さな石の橋で、本所七不思議のひとつの片葉の葦が生える寂しい場所。
・藤代町跡
 毛利藤左衛門がこれこれで(以下略
へぇー。
ふぅー。


さーて、やっと両国橋です。
ここにも石碑や立て札がずらり(泣)
・後ろにある大きいのは「表忠碑」
 日露戦争の戦没者の慰霊碑。
 揮毫は元帥侯爵大山巌、建立年は明治40年1月1日、本所区徴兵慰労義会。
・茶色いのは両国橋の由来
 昭和59年に建てられたばかり(^^;
 現在の橋は、昭和7年に完成したそうです。
・その隣が「日の恩やたちまちくだく厚氷」
 赤穂浪士の一人で俳人でもあった、子葉こと大高源吾の句碑。
 俳句の師匠の宝井其角と両国橋で出会い、討ち入りの夜に詠んだという句です。
 討入り当夜、其角が句会で吉良邸の北隣りの本多家にいたという設定。
  其角「我が雪と 思えば軽し 笠の雪」
  子葉「日の恩や たちまち砕く 厚氷」 ←近隣の方の恩のことですね
  春帆「飛び込んで 手にもたまらぬ 霰かな」
20171028_05

おぉー、来たきた(^_^)
隣家の土屋家と本多家が討入を応援するという、講談や映画での見せ場のひとつ(^^)
子葉の煤竹売りと其角の出会いは、講談の義士銘々伝の名作。
そもそも赤穂義士伝は、大きく三種類に分けられます。
 ・本伝:刃傷から討入、切腹までのメインストーリー
 ・銘々伝:四十七士の個人のエピソード
 ・外伝:萱野三平や天野屋利兵衛や清水一学など、脱落者や関係者のエピソード

その前に、「義士伝」「忠臣蔵」の違いですが。
 ・義士伝:講談など、関係者を本名で語る創作
 ・忠臣蔵:歌舞伎などの仮名手本忠臣蔵、時代も名前も変えた創作

きりがないので、この辺で。

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