歩いてきました「両国から日本橋薬研堀不動院」その2
2017年10月28日(土)の続きです。
春日野部屋の玄関わきには、ロープと大きなタイヤ。
タイヤの側面に擦れ跡がありました。
ドラマや漫画のように、腰に結わえつけて、走るのでしょうか?
近くに「北海製箸株式会社」という会社がありました。
え?「箸」の訓読みはなんだろう?
調べたら「ちょ」なんですね。
その場では「ほっかいせいちょかぶしきがいしゃ」だと思いました。
ところが。
後でネットで「せいちょ」と検索してもヒットしません。
一方「せいはし」と検索すると、同業他社がいくつもヒット。
つまり「ほっかいせいはしかぶしきがいしゃ」が正解のようです。
「重箱読み」なんですね。
両国橋の近くです。
江戸の町に関する立て札が三本。
・旧両国橋・広小路跡
旧両国橋は現在の橋より下流50メートル。
景色の良い場所で、火除け地として広小路が設けられ賑わった。
この光景は、江戸東京博物館でミニチュアとして再現されていましたっけ。
・赤穂浪士休息の地
討入後の泉岳寺への引き揚げ前に休憩した場所。
両国橋は渡らず、一之橋と永代橋を通ったという。
・石尊垢離場跡(せきそんこりばあと)
大山の阿夫利神社に出発する前の水垢離の場所。
何やらレトロな雰囲気の「岡田商事株式会社」。
ネットで調べると、鉄スクラップを扱う会社のようです。
そのそばにも、また三本。
・片葉の葦
同じ方向にしか葉を出さない葦には、これこれの由来が。
・駒留橋跡
小さな石の橋で、本所七不思議のひとつの片葉の葦が生える寂しい場所。
・藤代町跡
毛利藤左衛門がこれこれで(以下略
へぇー。
ふぅー。
さーて、やっと両国橋です。
ここにも石碑や立て札がずらり(泣)
・後ろにある大きいのは「表忠碑」
日露戦争の戦没者の慰霊碑。
揮毫は元帥侯爵大山巌、建立年は明治40年1月1日、本所区徴兵慰労義会。
・茶色いのは両国橋の由来
昭和59年に建てられたばかり(^^;
現在の橋は、昭和7年に完成したそうです。
・その隣が「日の恩やたちまちくだく厚氷」
赤穂浪士の一人で俳人でもあった、子葉こと大高源吾の句碑。
俳句の師匠の宝井其角と両国橋で出会い、討ち入りの夜に詠んだという句です。
討入り当夜、其角が句会で吉良邸の北隣りの本多家にいたという設定。
其角「我が雪と 思えば軽し 笠の雪」
子葉「日の恩や たちまち砕く 厚氷」 ←近隣の方の恩のことですね
春帆「飛び込んで 手にもたまらぬ 霰かな」
おぉー、来たきた(^_^)
隣家の土屋家と本多家が討入を応援するという、講談や映画での見せ場のひとつ(^^)
子葉の煤竹売りと其角の出会いは、講談の義士銘々伝の名作。
そもそも赤穂義士伝は、大きく三種類に分けられます。
・本伝:刃傷から討入、切腹までのメインストーリー
・銘々伝:四十七士の個人のエピソード
・外伝:萱野三平や天野屋利兵衛や清水一学など、脱落者や関係者のエピソード
その前に、「義士伝」と「忠臣蔵」の違いですが。
・義士伝:講談など、関係者を本名で語る創作
・忠臣蔵:歌舞伎などの仮名手本忠臣蔵、時代も名前も変えた創作
きりがないので、この辺で。
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