両国で発見 (0o0) 「徳川家康像」
2018年1月6日(土)「第五回愚者の会」の帰りです。
休館中の江戸東京博物館の裏手の遊歩道です。
寒桜の花の向こうに、銅像を発見。
大きな綾藺笠を被っているので、太田道灌だろうと思ったら。
なんと、徳川家康の像でした。
大きな亀に乗っています。鷹狩の姿だそうです。
へぇ?
鷹狩の様子は、テレビニュースなどで見ることがあります。
左腕に分厚く長い手袋をして、鷹は前腕にとまらせますよね。
この像では、素手のような握りこぶしに、鳥が前向きにとまっています。
鳥の大きさは、鳩くらいでしょうか。
この銅像の製作者は山下恒雄という方だそうです。
ネットで作品を検索してみます。
ははぁ。
私は、このような芸術品について、特に知識もありませんが。
抽象と具象という見方をすれば、抽象的な作風ということでしょうか。
像の碑文を全文転記します。
徳川家康公銅像建立由来
鷹狩の雄姿で江戸城を望んでいる徳川家康公が始めて、
草深い江戸の地に天正十八年(1590年)に、豊臣秀吉
の命により国替えとなった。
そして、関ヶ原の戦い後慶長八年(1603年)征夷大
将軍となり江戸に幕府を開き天下普請を大名に命じ、本格的
な都市づくりの大事業を行い、政治の中心地として明治に至
るまでの永き亘って現在の東京の基礎となったことは周知の
事実である。
社団法人 江戸消防記念会では、このような、江戸開府の
大事業を成し遂げた徳川家康公の偉業を称え、顕彰すべく
銅像建立の計画を練っていたところ、平成五年三月、江戸
東京博物館が両国の地に落成の運びとなるや、徳川家康公
銅像建立機運が一気に盛り上がり記念会創立以来の名誉ある
事業であることから、これを積極的に推進し、東京都をはじめ
関係諸機関に格別のご協力をいただきまして、江戸消防記念会
が主体となって平成六年四月銅像を建立、東京都に寄贈した
ものである。
|
(文中「永き亘って」は、私の打ち間違いではありません、原文通りです)
うっひゃー。
私は、語学や文法について、特に深い知識もありませんが。
これはもう、誰でもわかるような、びっくりです。
江戸消防記念会のホームページもチェック。
この銅像の紹介文がありました。
内容は、概ね先の碑文と同じですが、更にアレな表現も。
このような、江戸開府の大事業を成し遂げ、現在の大東京の基礎を築いた、徳川家康公の
業績を称えるとともに、遺徳を偲ぶべきモニュメントがありません。
江戸消防の史実調査研究を事業目的としている社団法人 江戸消防記念会では、早くから
このことに着目、銅像建立の必要性を論じてきたところであります。
「称えるとともに~ありません。」だそうです。
「史実調査研究を事業目的」で「銅像建立の必要性」を論じるそうです。
いやどうにも、これはすごい。
江戸東京博物館のサイトでレファレンス事例がありました。
一部抜粋します。
TOP>目的別利用案内>図書室のご利用>レファレンス事例集>徳川家康の銅像は都内に何体あるか。(2005年)
社団法人江戸消防記念会から当館に徳川家康像が寄贈されたのは1994年4月25日。
現在(2014年10月)都内にあるのはこの一体だけと言うことになります。
製作者は山下恒雄氏、像の高さは3.7メートル(台座からの高さ7.76メートル)、重量30トン。
台座の亀について正式な説明書きはありませんが、水の都としての江戸を表現しているとも言われています。
もっとも、昔から亀を土台にする像は多く見られます。
この亀の形をした動物を贔屓(ひいき)と言い、元々川の神の名であって、亀の形をとってこの世に現れると言われています。
この幻獣は石碑にかたどられ、「不動」の象徴とされているのです。
|
へぇー、なるほど。
あれは亀ではなく、幻獣なのですか。
そしてこれが、都内唯一の徳川家康像なのですか。
いやーすごい。これはすごい。
銅像も碑文も説明文も、ここまでのものは、初めて見ました。
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