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2018年1月15日 (月)

歩いてきました「江戸東京たてもの園」その2

高さのある建物が多いので、デジカメの撮影モードを変更。

こちらが「看板建築」の例。
関東大震災以降、防火と装飾を兼ねて流行したそうです。
神田にあった文具店店「武居三省堂」。
住み込みの従業員は、お店で寝ていたのですって。
壁一面の引き出しは「千と千尋」の「釜爺の仕事場」のモデル。
20180113_03
大変凝った意匠の「植村邸」と乾物屋の「大和屋本店」。
荒物屋「丸二商店」は、店先の商品から路地まで再現。
銅板による模様は「網代」や「青海波」など。
着物の江戸小紋の模様なのですね。
先日の小野照崎神社入口の廃屋の戸袋も、この網代模様でした。
あちらは茶色に錆びていたので、銅板ではなく「トタン」だったのでしょう。

お、懐かしい。
酒屋さんには「サンヨーのフルーツ缶詰め」。
後で調べたら、今でも普通に売っているのですね。
お、面白い。
ドラえもんでお馴染み、土管のある空き地(^^)
コンクリートなので、正しくは「ヒューム管」ですね。
20180113_04
上野消防署(旧下谷消防署)の望楼の上部。
万世橋の交番は、そのままの形でトレーラーで運んだそうです。
この解説文が良かったので、冒頭部分をご紹介。
 建物の構造には、大きく分けて組積式(そせきしき)構造と
 架構式(かこうしき)構造とがある。
 江戸時代以前の日本建築は、校倉造りなどの例外を除くと、
 すべてが柱・梁による架構式であった。
 一方、明治期になると、西洋建築の導入に伴って石造や
 煉瓦造などの組積式構造が用いられるようになる。
この後は、組積式構造は地震に弱く関東大震災以降は見られないとか。
部材ごとに分解は出来ないので、この交番はトレーラーでそのまま運んだとか。

いやーたまりませんねー。
執筆した学芸員の方が思い浮かびます。
 ただ「トレーラーで運んだ」では、意味が伝わらない。
 そもそもの大分類から体系的な説明をしなくては!  なんて考えたのでしょうか(^^;

トタンとブリキ、土管とヒューム管について。

まぁ、やめておきます。
なかなか先に進めませんが、これ位にしておきます。

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