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2018年3月21日 (水)

歩いてきました「早稲田周辺」その2

2018年3月17日(土)の続きです。

面影橋の停留所から終点の早稲田までは、わずか450メートル。
歩いてもすぐなのですが、せっかくなので。
これで165円を3回で、495円(^^;
私が学生の頃は、この路線は飯田橋まで続いていましたっけ。
20180317_04
更に話は逸れます(^^;
高田馬場と言えば、赤穂浪士の堀部安兵衛の仇討ですよ。
水稲荷神社の入り口に「堀部堀部武庸加功遺跡之碑」がありました。
新宿区教育委員会の説明文を一部抜粋します。
 赤穂浪士・堀部安兵衛を顕彰する記念碑。
 江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫が明治四十三(1910)年に建立。
 当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし「忠臣蔵」の再評価が高まった時代。

せっかくですので、水稲荷神社もお参り。
二宮金次郎の石像があったり。
その先の早稲田通りの交差点そばのお蕎麦屋さん。
入口わきに「高田馬場の跡地」というパネル。
20180317_05

少し急ぎましょう。
早稲田通り馬場下町交差点の「穴八幡宮」に到着です。
鏡子夫人が、漱石の「虫封じ」にお参りしたという神社です。
他にも、作家の五木寛之の、早稲田大学入学当時のエピソード。
 住むところがなくて、この神社の床下で野宿をして、
 藪蚊と共に「人気のない場所を探す二人連れ」に困った。
そんな話を、エッセイ集で読んだ覚えがあります。
20180317_06
すぐ隣に「放生寺」が並んでいます。
昔は穴八幡宮と放生寺は、一体だったのですって。
明治元(1868)年の神仏分離令で、別々の神社とお寺に分かれたそうです。

早稲田通りには、タテカンがあったり古本屋が並んでいたり。
私は学生時代は神田で過ごしましたが、良く似た学生街の雰囲気。
小椋佳「春なんだなぁ」なんていう歌を思い出します。
 2017年4月23日(日) 小椋佳「春なんだなあ」
 「学生が自分らの青春に気付かずに」
そうそう。
その時には、気付かないんですよね。
かなりのおっさんの私ですが、それでも今を懐かしく思う日も来るのでしょう。
20180317_07
お昼は、つい調子に乗って、学生向けの定食屋に入ってしまいました。
トンカツ定食650円。ご飯多すぎです(^^;
高田馬場跡のお寿司屋さんにすれば良かった・・・

やっと着きました「夏目漱石生誕の地」の石碑です。
東京メトロ早稲田駅すぐそばの、やよい軒の脇(^^;
ここからの上り坂は「夏目坂」。
解説文を要約します。
 漱石の「硝子戸の中」によると、名主であった漱石の父、
 夏目小兵衛直克がそう呼んでいたのが広まった、とのこと。
スマホで青空文庫を確認。
「硝子戸の中」
 父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければ
 ならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。
20180317_08
坂道の途中の「誓閑寺」。
漱石の「硝子戸の中」では「西閑寺」、
「二百十日」で「寒磬寺」として登場するお寺だそうです。
スマホで青空文庫を確認。
どちらの作品でも「竹やぶから鐘の音が聞こえる」と描かれています。
入口に古びた梵鐘がありましたが、、、これがその鐘ではないようです。
なるほどねー。
これら作品の面影は、、、ないこともないですか。

もう一回、続けさせて頂きます。

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