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2018年9月19日 (水)

行ってきました「権現堂の曼珠沙華」~「鈴木貫太郎記念館」その2

2018年9月16日(日)の続きです。

権現堂公園からわずか10㎞足らず。
江戸川を超えて千葉県に入ると「鈴木貫太郎記念館」はすぐそこ。
入館料は無料。管理運営は野田市教育委員会。

何度か行っている「千葉県立関宿城博物館」のすぐ手前です。
所在は知っていましたが、寄ったことはありませんでした。
行動力抜群の友人^n^くんが、8月に行ったそうで。
テレビ番組の録画も貸してくれました。

Tvtokyo_201809
2018年8月19日(日)夜7時54分~8時54分
池上彰の戦争を考えるスペシャル 第10弾
「日本のいちばん長い日」が始まった
1945年春。迫り来る連合国軍に対し、本土決戦で臨むのか、それとも降伏するしかないのか。
今回は、絶望的な戦局のさなか総理大臣に就き、そして戦争終結に導いた鈴木貫太郎に焦点をあてます。


さて、展示館です。
道路沿いの石碑は「終戦内閣総理大臣鈴木貫太郎翁終焉之地」
「吉田茂謹書」だそうです。
20180916_11

駐車場の入り口わきにタンクローリーが止まっていました。
特に気にもせず、適当に撮影してしまいましたが、、、
おっとしまった、後から気づきました。
これは、牛乳の運搬車ですね。
鈴木貫太郎が引退後に力を尽くしていた、酪農振興の施設だったのですね。
 JAちば東葛 関宿集乳所 千葉県野田市関宿町1332
20180916_12

駐車場の片隅の石碑は「集乳所新設記念」
酪農組合が建てた記念碑だそうです。
上部に「貴為和以」
もちろん右から読みます。
聖徳太子の「十七条憲法」第一条「和を以て貴しと為し」ですね。
20180916_13
残念ながら、碑文は薄れていて全部は読めません。
 関宿町酪農組合は去る昭和廿四年創設・・・
 昭和二十九年五月十四日 鈴木孝子篆額 奥原謹爾撰文並書
鈴木貫太郎の奥さまは「鈴木たか」。
知人で、本名「ヨネ」を通称「よね子」で通しているおばあちゃんがいました。
この「鈴木孝子」も、奥さまかも知れません。
先の「以和為貴」が奥さまの揮毫ということでしょう。

旧邸跡に残された古井戸。
立て看板は「終戦内閣総理大臣 鈴木貫太郎翁邸跡」
引退後、自宅に農事研究所を作り酪農を指導したのだそうです。
20180916_14

続きは後ほど。

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