箱根の歌碑「箱根八里」
箱根八里の歌碑 です。
箱根関所跡の駐車場にありました。
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箱根八里
鳥居忱 作詞
瀧廉太郎 作曲
箱根の山は 天下の嶮
函谷關も 物ならず
萬丈の山 千仞の谷
前に聳え 後にさゝふ
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小徑は 苔滑か
一夫關に當るや
萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士
大刀腰に 足駄がけ
八里の岩ね 踏み鳴らす
斯くこそありしか
往時の武士
望月正道 書
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すぐそばの解説文。
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唱歌「箱根八里」は、作曲者
瀧 廉太郎 作詞者 鳥居 忱(まこと)
の両氏によって明治三十四年
につくられ、中学校唱歌に
採用されて以来、平成十三年
で誕生百年を迎えました。
この「箱根八里」の歌碑は、
幾久しく多くの人々に愛唱さ
れ、往時をしのび永く後世に
伝えるために、昭和四十一年
に建立されたものです。
箱 根 町
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良い歌ですよねー。
漢文調で、山と谷、前と後、雲と霧といった、安定感ある描写。
険しい山の情景や、昔の豪傑の旅の様子が目に浮かびます。
ここには載っていませんが、二番もあります。
そちらでは「猟銃肩に草鞋がけ」と、作詞当時の猟師が描かれています。
歩きやバイクで、狭い山道に差し掛かると。
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小徑は 苔滑か
つい口ずさんでしまいます。
作詞者について、ウィキペディアで確認。
鳥居 忱(とりい まこと、嘉永6年8月22日(1853年9月24日)- 大正6年(1917年)5月15日)
本名は忠一(ただかず)、初名は尾巻(おまき)。忱は通称。
父は壬生藩江戸家老・鳥居志摩(忠敦)。
江戸の大名小路(現在の東京都千代田区丸の内)若年寄役屋敷で生まれる。
うわーすごい。
江戸時代の家老の息子なんですねぇ。
主な作品。
唱歌長岡少尉(永井建子作曲)
旅順閉塞(今井慶松作曲)
箱根八里(滝廉太郎作曲)
セザール・マラン作詞・曲「秋のあわれ」訳詞
宮城県登米市立佐沼小学校校歌(明治29年(1896年)9月 作詞・作曲)
これらも、ちょっと調べてみました。
長岡少尉と旅順閉塞、さすがに日露戦争当時の歌の情報は少ないです。
小学校校歌は、学校のホームページに載っていました。
失礼して、歌詞を転記します。
佐沼小学校 校歌
作詞・作曲 鳥居 忱
1そのすえ海と なりぬべき
清き流れの 佐沼川
岸辺に生うる 撫子は
やがて御国の 花なれや
2ますら丈夫の いさおしの
跡しのばるる 鹿が城
麓に生うる 小松こそ
やがて御国の 柱なれ
なるほど。
子どもたちを撫子や小さい松の木に例え「やがて御国の」花や柱になれと。
日清戦争が1894年から1895年。その直後に作られたのですね。
さすがに今どき、この歌だけでは、ちょっとアレなのでしょう。
校歌と共に「児童会のうた」というのが、載っていました。
晴れた青空 輝く光・・・
現代では、こちらの方が馴染むのでしょうね。
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