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2018年11月18日 (日)

箱根の歌碑「箱根八里」

箱根八里の歌碑 です。

箱根関所跡の駐車場にありました。
20181112_05
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 箱根八里
  鳥居忱 作詞
  瀧廉太郎 作曲

 箱根の山は 天下の嶮
 函谷關も 物ならず
 萬丈の山 千仞の谷
 前に聳え 後にさゝふ

  雲は山をめぐり
  霧は谷をとざす

 昼猶闇き 杉の並木
 羊腸の小徑は 苔滑か

  一夫關に當るや
  萬夫も開くなし

 天下に旅する剛氣の武士
 大刀腰に 足駄がけ
 八里の岩ね 踏み鳴らす
  斯くこそありしか
  往時の武士

   望月正道 書
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すぐそばの解説文。
20181112_06
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 唱歌「箱根八里」は、作曲者
瀧 廉太郎 作詞者 鳥居 忱(まこと)
の両氏によって明治三十四年
につくられ、中学校唱歌に
採用されて以来、平成十三年
で誕生百年を迎えました。
 この「箱根八里」の歌碑は、
幾久しく多くの人々に愛唱さ
れ、往時をしのび永く後世に
伝えるために、昭和四十一年
に建立されたものです。
       箱 根 町
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良い歌ですよねー。
漢文調で、山と谷、前と後、雲と霧といった、安定感ある描写。
険しい山の情景や、昔の豪傑の旅の様子が目に浮かびます。
ここには載っていませんが、二番もあります。
そちらでは「猟銃肩に草鞋がけ」と、作詞当時の猟師が描かれています。

歩きやバイクで、狭い山道に差し掛かると。
 昼猶闇き 杉の並木
 羊腸の小徑は 苔滑か
つい口ずさんでしまいます。


作詞者について、ウィキペディアで確認。
 鳥居 忱(とりい まこと、嘉永6年8月22日(1853年9月24日)- 大正6年(1917年)5月15日)
 本名は忠一(ただかず)、初名は尾巻(おまき)。忱は通称。
 父は壬生藩江戸家老・鳥居志摩(忠敦)。
 江戸の大名小路(現在の東京都千代田区丸の内)若年寄役屋敷で生まれる。
うわーすごい。
江戸時代の家老の息子なんですねぇ。

主な作品。
 唱歌長岡少尉(永井建子作曲)
 旅順閉塞(今井慶松作曲)
 箱根八里(滝廉太郎作曲)
 セザール・マラン作詞・曲「秋のあわれ」訳詞
 宮城県登米市立佐沼小学校校歌(明治29年(1896年)9月 作詞・作曲)

これらも、ちょっと調べてみました。
長岡少尉と旅順閉塞、さすがに日露戦争当時の歌の情報は少ないです。
小学校校歌は、学校のホームページに載っていました。

失礼して、歌詞を転記します。

 佐沼小学校 校歌
  作詞・作曲 鳥居 忱

 1そのすえ海と なりぬべき
  清き流れの  佐沼川
  岸辺に生うる 撫子は
  やがて御国の 花なれや

 2ますら丈夫の いさおしの
  跡しのばるる 鹿が城
  麓に生うる  小松こそ
  やがて御国の 柱なれ

なるほど。
子どもたちを撫子や小さい松の木に例え「やがて御国の」花や柱になれと。
日清戦争が1894年から1895年。その直後に作られたのですね。

さすがに今どき、この歌だけでは、ちょっとアレなのでしょう。
校歌と共に「児童会のうた」というのが、載っていました。
 晴れた青空 輝く光・・・
現代では、こちらの方が馴染むのでしょうね。

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