見てきました「世田谷文学館 筒井康隆展」その2
2018年12月2日(日)です。
世田谷文学館は、京王線芦花公園駅から歩いて5分ほど。
3年前の「浦沢直樹展」以来です。
2016年1月24日(日) 見てきました「世田谷文学館 浦沢直樹展」
会場は二階です。
会場内は撮影禁止ですので、画像はこれだけです。
失礼して、購入した図録を少し撮影してご報告します。
会場内は、筒井康隆の年表がベニヤ板のパネルとしてつり下がっています。
まるで迷路のようにしつらえてあり、所々に穴も。
その間に、生原稿や著作などの展示物が隠れています。
やはりSF黎明期の物が面白いですねぇ。
発足当時の「SF作家クラブ」のエピソード。
旅館の看板に「歓迎 SFサッカークラブ」と書かれてしまった。
その現物の記念写真。
東海村の原子力研究施設の見学に行った際の記念写真もありました。
星新一が「原子力=はらこつとむ」研究所と茶化したとか。
何かまともな質問をと考え「あの柱は何ですか?」と聞いたら、、、
「天井を支えています」と返事があったとか。
当時は、そんな楽屋落ちのような雑誌記事を良く見かけたものでした。
万年筆で書かれた手書き原稿が、数多く展示されていました。
大変見やすい文字で、これ自体が大したものだと感じます。
さすがに、浦澤直樹のように全部読み切るというわけにも行きませんが。
1979年の「大いなる助走」では、原稿の一部がカバーに使われていましたっけ。
1984年の「虚構船団」の原稿にはびっくり。
この小説は、宇宙船の乗組員が文房具だという大変ユニークな内容です。
原稿も、雲形定規や棒グラフや図表などが続々登場。
私は、漠然と漫画原稿のような図表が別紙として添付されているように思っていたのですが。
まさかこんなものだとは。
ワープロも展示されていました。
シャープの書院です。
ブラウン管に3.5インチフロッピードライブを2連装。
型番はWD-650とありました。
ネットで調べても、この製品の情報が見つかりません。
近いものでは、ブラウン管のWD-540が1987年5月、液晶のWD-A340が1990年6月。
この中間の頃の製品だろうと思います。
原稿は、懐かしい16か24ドットの粗い文字で印刷されていました。
私も学生時代に読んでいた、雑誌「面白半分」。
この雑誌は、様々な文学者が半年単位で編集長になるという面白い形式でした。
その中の、1977年頃の筒井康隆時代の号が展示されていました。
見開きで面白いページが紹介されています。
後に画家になる息子さんの、小学生の頃に書いた4コマ漫画。
タモリの原稿が届かず、白紙のまま発行されたページなど。
余談ですが、編集長は通常半年で交代するところ、筒井康隆は1年間続けています。
筒井康隆のパロディ短歌は、今でも覚えています。
つついつつ おもしろはんぶのへしぐれて
さとのはさんの たすけもぞする
結局、発行人の佐藤嘉尚さんは破産し、この雑誌は1980年で終わっています。
へぇ。
年表を見ると、社会福祉法人埼玉福祉会という団体が大型活字本を二冊出しています。
2000年「農協 月へ行く」
2007年「富豪刑事」
図書館で見かけるやつですね。近所の図書館で探してみましょう。
お。
年表の中で、間違い発見。
1997年に「ミクロ会計」の団体で講演を行っているとありますが、
これは「ミロク会計」の間違いですねぇ。
係の方に話したら、すでに指摘があり承知しているのですって。
やれやれ。
映像展示は、大昔の映画や演劇のみ。
演劇は、自らが俳優として出演したチェーホフ作「かもめ。
映画は、「スタア」1986年、「俗物図鑑」1986年。
欲を言えば「時をかける少女」の、映像展示でもあればと。
キリがないので、この辺で。
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