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2019年7月25日 (木)

歩いてきました「石岡の街並み」その6 石岡町大火災復興及國道構築記念碑

石岡市内の、金刀比羅神社です。
鳥居の先には、小さいながら石の太鼓橋もあったり。
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鳥居の脇には、倒れそうな古い石碑
参道には、真新しい正岡子規の句碑
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古い石碑は、昭和4年の大火と復興の経緯が記されています。

恢弘

石岡町大火災復興及國道構築記念碑

昭和四年己巳年参月拾四日陰暦貳月四日初午午後七時参拾分中町西側北方
ヨリ出火ス時二西北風猛烈忽チ金丸守木横富田貝地ノ五區ニ延焼シ八
時間ヲ経テ鎮火ス焼失六百六戸壹千七百餘棟損害約参百餘萬圓其ノ災害
畏クモ 天聴ニ達シ御救恤金壹千五百圓ヲ下賜セラル 皇徳ノ仁慈深厚
感泣ニ堪ヘス官民各種機関ノ援助公義廣大大方ノ同情愛善博厚ナルコト

是亦感激スル所ナリ是ニ於テ町民協力精進其ノ復興ニ當リ精神ヲ緊張シ
物質ノ充實ヲ致シ禍ヲ轉シテ福ト為ス歡喜全町ニ溢ル尚益々反省精神ノ
作興文化ノ郁々ニ努メントス慈ニ謹ミテ 皇恩ノ萬一ニ泰答シ併セテ官
民ノ援助ト同情トヲ感謝ス復興ニ伴フテ中町守木ニ沿フ國道構築
ヲ図り其ノ敷地四百参拾八坪地主之ヲ寄附シ同月起工シ拾月竣工ス縣費
ヲ要セシコト参萬四千餘圓拾壹月拾五日 今生天皇陛下下本朝を経テ陸軍
特別大演習志筑野外統監部ニ行幸遊ハサルルヤ謹ミテ新成國道ニ奉迎送
ス是レ洵二無上ノ光榮ナリ街路坦々舗装ノ模範店厦亭々改造ノ参考大イ
ニ面目ヲ一新シテ枢要ノ衢ト為ル艱難ニ在リテ綽々トシテ善處ス卓識先
見ノ明アリト謂ツヘシ因テ其ノ梗概ヲ按シ碑表ニ勤シテ永遠ノ記念トナ
シ且ツ國道敷地寄附者及ヒ實行委員氏名ヲ碑陰ニ鐫シテ後考ニ備フ
 茨城縣知事正五位勲四等牛島省三題額
      石岡 手塚正太郎撰 同敏郎書


まずは上段の「弘 恢」。
一行一文字の縦書きなので、左から右に読みます。
横書きすれば「恢弘」。
ネットの辞書によれば、以下の通り。
「恢弘」かいこう
 おしひろめること。ひろく大きくすること。

茨城縣知事正五位勲四等牛島省三題額 とのこと。
ネットの辞書によれば、以下の通り。
「題額」だいがく 
 額に詩や文章を書くこと。また、その額。
 氏名や寺号・庵号などを記して門に掲げる額。


昭和の初めですからね。
「天聴に達し」に大感激。
大火災が天皇陛下のお耳に届き、1500円の寄付を頂いて感泣したのですね。
「陸軍特別大演習」の際にこの国道を通ったことも無上の光栄。
おっ。結城市で見たものかと思いましたら、、、そちらは明治40年11月。

 2018年3月3日(土) 歩いてきました「結城のひな祭り」その2

ちょっと調べたら、それらしい史跡がありました。
JR石岡駅から7km程の場所です。
かすみがうら市 市内指定文化財「御野立所」
Kasumi_201907
 昭和4年11月15日の陸軍特別大演習
 大元帥陛下御統監聖蹟
 かすみがうら市上志筑495


キリがないので、この辺で。





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