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2021年4月29日 (木)

歩いてきました「寄居玉淀ふるさと文学碑歩道」その3

2021年4月24日(土)の続きです。
「寄居玉淀ふるさと文学碑歩道」の、正喜橋の東側の続きです。

寄居玉淀ふるさと文学碑歩道
https://www.town.yorii.saitama.jp/soshiki/13/bungakuhihodou.html
Tamayodo_202104

草合歓(くさねむ)の歌碑
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夏草の深くも茂る 本丸に語る哀しさ 鉢形城戦史
 中里 清

出水あとの河原は清く 洗はれてみずゆたかなるを 舟下りゆく
 鳥塚 仁

河鹿鳴く馨すがすがし 河原にかはらははこは いまだ短し
 内田 義
平成二年十月 寄居文学碑建設委員会

まだ新しいので、まぁまぁ読みやすいのが助かります。
石碑の裏面「碑陰」に長い文章がありましたが、、、省略します。

宮沢賢治歌碑
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毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに
つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ
まだぴかぴかです。
石碑の裏面「碑陰」には、歌碑建立に至る経緯が書かれています。
大正五年九月五日、盛岡高等農林学校(現国立岩
手大学農学部)第二学年在学中、農芸化学主任教
授引率の下に、秩父地方の土壌、地質調査研究を当
地から始める。・・・(略)
平成五年九月 宮澤賢治歌碑建立実行委員会

石澤無腸 玉淀の四季
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川底へ大写しなる桜かな
月落ちて涼し闇ゆく水の音
城跡を残して鳥の渡りけり
吾街の山河閑かに冬に入る
昭和六十三年三月 寄居町文学碑建設委員会建立
手前に、新しい説明碑があります。
歌碑に刻まれている四つの句と石澤無腸の略歴が刻まれています。
こういうのを、それぞれ添えてもらいたいですねぇ。

玉淀水天宮
20210424_28
解説文が面白いので、全文転記します。
 昭和6年にこの地が「玉淀」(県指定名勝)と命名された後、神社の設
置の話がもちだされ、探したところ川に面したところに石の宮があるのが
発見されました。これは俗にいう水神様といってこの地方の漁師たちがお
祭りして、水難除けの神様として信仰していることがわかり、当時の玉淀
保勝会が直ちにこの水神の神体を基として水天宮を祀りました。
 水天宮の縁日は毎月「五」の日であるというので、最初の大祭を昭和6
年8月5日に挙行し、現在は8月の第1土曜日に盛大に行われています。
祭事のあと「つけまつり」として、町内別の供奉船が花やボンボリちょう
ちん等で飾りたて、笛、太鼓等ではやしながら玉淀を遊覧し、多数の煙火
が打ち上げられます。夏の祭りの美観は実にみごとなもので、寄居町の年中
行事のもっとも大きい祭りとして、また、埼玉県内としての大祭の一つに
数えられています。
 現在、水天宮は、水難除けと安産の神様として広く信仰されています。
        寄居町・埼玉県
名勝と指定されてから、神社を作ることにして。
探したら小さい水神様があったので、これを祀ることにしたと(^^;

水屋です。
下向きの蛇口になっているのが面白い。
20210424_29

小さなお社ですが、キレイに整備されています。
20210424_30

道路を隔てて荒川を見おろすと、、、なるほど小さな祠がありました。
20210424_31
荒川の様子も、この辺の方が「玉淀」の雰囲気があるようです。

というわけです。
それぞれの句碑など全文転記したいところですが、ギブアップ。

あっ。
しまった。
佐々紅華歌曲碑 を見逃していました。
「君恋し」の作曲者です。
うーん。
そのうちまた行ってみましょう。



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