歩いてきました「寄居玉淀ふるさと文学碑歩道」その3
2021年4月24日(土)の続きです。
「寄居玉淀ふるさと文学碑歩道」の、正喜橋の東側の続きです。
寄居玉淀ふるさと文学碑歩道
https://www.town.yorii.saitama.jp/soshiki/13/bungakuhihodou.html
草合歓(くさねむ)の歌碑
夏草の深くも茂る 本丸に語る哀しさ 鉢形城戦史
中里 清
出水あとの河原は清く 洗はれてみずゆたかなるを 舟下りゆく
鳥塚 仁
河鹿鳴く馨すがすがし 河原にかはらははこは いまだ短し
内田 義
平成二年十月 寄居文学碑建設委員会
まだ新しいので、まぁまぁ読みやすいのが助かります。
石碑の裏面「碑陰」に長い文章がありましたが、、、省略します。
宮沢賢治歌碑
毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに
つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ
まだぴかぴかです。
石碑の裏面「碑陰」には、歌碑建立に至る経緯が書かれています。
大正五年九月五日、盛岡高等農林学校(現国立岩
手大学農学部)第二学年在学中、農芸化学主任教
授引率の下に、秩父地方の土壌、地質調査研究を当
地から始める。・・・(略)
平成五年九月 宮澤賢治歌碑建立実行委員会
石澤無腸 玉淀の四季
川底へ大写しなる桜かな
月落ちて涼し闇ゆく水の音
城跡を残して鳥の渡りけり
吾街の山河閑かに冬に入る
昭和六十三年三月 寄居町文学碑建設委員会建立
手前に、新しい説明碑があります。
歌碑に刻まれている四つの句と石澤無腸の略歴が刻まれています。
こういうのを、それぞれ添えてもらいたいですねぇ。
玉淀水天宮
解説文が面白いので、全文転記します。
昭和6年にこの地が「玉淀」(県指定名勝)と命名された後、神社の設
置の話がもちだされ、探したところ川に面したところに石の宮があるのが
発見されました。これは俗にいう水神様といってこの地方の漁師たちがお
祭りして、水難除けの神様として信仰していることがわかり、当時の玉淀
保勝会が直ちにこの水神の神体を基として水天宮を祀りました。
水天宮の縁日は毎月「五」の日であるというので、最初の大祭を昭和6
年8月5日に挙行し、現在は8月の第1土曜日に盛大に行われています。
祭事のあと「つけまつり」として、町内別の供奉船が花やボンボリちょう
ちん等で飾りたて、笛、太鼓等ではやしながら玉淀を遊覧し、多数の煙火
が打ち上げられます。夏の祭りの美観は実にみごとなもので、寄居町の年中
行事のもっとも大きい祭りとして、また、埼玉県内としての大祭の一つに
数えられています。
現在、水天宮は、水難除けと安産の神様として広く信仰されています。
寄居町・埼玉県
名勝と指定されてから、神社を作ることにして。
探したら小さい水神様があったので、これを祀ることにしたと(^^;
水屋です。
下向きの蛇口になっているのが面白い。
小さなお社ですが、キレイに整備されています。
道路を隔てて荒川を見おろすと、、、なるほど小さな祠がありました。
荒川の様子も、この辺の方が「玉淀」の雰囲気があるようです。
というわけです。
それぞれの句碑など全文転記したいところですが、ギブアップ。
あっ。
しまった。
佐々紅華歌曲碑 を見逃していました。
「君恋し」の作曲者です。
うーん。
そのうちまた行ってみましょう。
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