世間話「八瀬童子」
京都府京都市左京区に「八瀬」という場所がありまして。
先日、比叡山からケーブルカーで下りた、叡山電鉄の八瀬比叡山口駅の付近だと思います。
かつては、愛宕郡八瀬村。
ウィキペディアによりますと、人口は2017年6月推計で829世帯1,787人。
この地区には「八瀬童子」という人たちがいるそうで。
ウィキペディアから抜粋。
延元元年(1336年)、京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護した。
この功績により地租課役の永代免除の綸旨を受け、特に選ばれた者が輿丁として朝廷に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことを主な仕事とした
明治天皇が初めて江戸に行幸した際に八瀬童子約100名が参列した。
明治天皇の葬送にあたり、八瀬童子を葱華輦(天皇の棺を載せた輿)の輿丁とする慣習が復活した。
明治維新後には地租免除の特権は失われていたが、毎年地租相当額の恩賜金を支給することで旧例にならった。
昭和天皇の葬送では、八瀬童子会からは6名の代表者がオブザーバーとして付従した。
1983年に出た、猪瀬直樹の初の著作「天皇の影法師」で有名になった、という話をどこかで読みました。
この本も、読んだ記憶はあるのですが、見つかりません。
私が「八瀬童子」を知ったのは、それより前の、この本です。
1976年に出た、伊丹十三のエッセイ集「日本世間噺大系」。
画像は、2005年に再販され、懐かしくて買った文庫です。
八瀬童子会のメンバーとの座談会形式で、様々な話が出ます
そもそも「童子」と言うのはなぜか。
無位無冠で宮中に参内するので、子どものような清らかな存在、ということにしたと。
税金が免除と言われるが、地租だけですので僅かなもんです。
明治からは納税義務が出来て、その代わり御下賜金を頂戴しています。五千円・・・
ソーカレンは重かったとか、林業の力自慢とか。
抜粋しても、面白さは伝わりませんねぇ。
1976年は 昭和51年。
おじいさんとお茶を飲みながら、世間話をしているような楽しさです。
他にもね、塩田の重労働、ミカン農家、整体師などなど、様々な「世間話」が満載です。
ゆっくり読み返しましょう。
猪瀬直樹の「天皇の影法師」も、後で探してみましょう。
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