見てきました!!! 映画「ベイビー・ブローカー」その2
まずはウィキペディア「赤ちゃんポスト」。
なるほど。
「鎌倉殿の13人」で思い出した、ふたつの小説。
結局、両方とも面白くて、全部読み返してしまいました。
池波正太郎「幕末新選組」
主人公は「永倉新八」。
新選組の最初からの隊士の一人で、幕末を生き残り、大正年間まで生きた人物。
近藤勇や土方歳三の振る舞いを、一歩引いた立場から描きます。
新選組が力をつけると、二人はすっかり偉くなってしまう。
近藤も土方も、このごろでは、いよいよ近よりがたくなってきている。
二人とも、毎日、仕立ておろしのような黒紋付の羽織、仙台平のパリパリするような袴をつけ、
胸をそらし、廊下ですれ違ったときなど、新八が頭を下げると、
「うむ……」
挨拶を返す近藤の頭は下るかわりに、ぐぐっと反り返ってしまうのだ。
(近藤さんも、とうとう成り上り者になってしまやァがったな)
苦々しくて、たまらない。
新八の語った、こんな言葉も出てきます。
なあに、明治維新なんてえものはね、つまり薩長たち雄藩と徳川との争いさ。
いまのような文明開化の世が来たのも、そいつは時勢というやつでね。
つまりは日本国民がえらいのだよ
司馬遼太郎「燃えよ剣」
主人公は「土方歳三」。
自らを「喧嘩師」として、最後まで戦う姿が描かれます。
先の「幕末新選組」では、近藤勇と土方歳三の二人をまとめて「成り上がり」として描いていました。
こちらでは、近藤勇はほぼ同様ですが、土方歳三は新選組を強くすることだけを考えている、と描かれます。
時々入る、著者のコメントが面白い。
例えば、こんな感じです。
鳥羽伏見の戦い・その一
数日前、筆者は、歳三がいた伏見奉行所あとを訪ねるために、京都から伏見街道を南下してみた。
途中、
「御香宮」
という広大な神域をもつ神社がある。道路の西側に森をなしている。
そのわずかに南、御香宮よりおそらく十倍はひろかったであろう地域に、
「伏見奉行所」
は、塀をめぐらせていた。
「いま、どうなっています」
と、御香宮の神主さんにきくと、
「団地どすわ」
と、吐きすてるようにいった。
(中略)
私は、ぼう然と、団地風景を見渡した。
日本歴史は関ケ原でまがり、さらに鳥羽伏見の戦いでまがった。
その場所にひとかけらの碑もなく、ただ団地は、見渡すかぎり、干し物の列である。
このあとも、すごいんです。
「暑うおすな」
と、偶然、知人から声をかけられた。
伏見の葭島で川魚を獲っているおやじで、京都の老人らしく、錆びさびとした声を出す。
「あの年は、寒おしたそうどすな」
と、老人は、曾祖母から聞きつたえているはなしをしてくれた。
「お奉行所のそばに、小ぶななどがいる水溜りがおして、そこに暮から正月にかけて一寸ほどの氷が張っていたそうどす」
当時の様子の伝え聞き。
昭和30年代の取材時の話でしょうが、さすがは京都ですねぇ。
土方歳三が、愛する女性と過ごした京都最後の二日間。
西昭庵には、茶室がある。
そのあと、お雪は、炉の支度などをして、歳三をよんだ。歳三は、炉の前にすわった。
「私には、茶ができない」
「お喫みになるだけでよろしゅうございます」
「この菓子は?」
「京の亀屋陸奥の松風でございます」
以前、頂きもので食べたお菓子が出てきました。
2015年9月24日(木) 頂きました京都土産「亀屋陸奥の松風」
この時は流してしまいましたが、ここに出ていたのですね。
さてこの後は、司馬遼太郎「新選組血風録」ですかね。
或いは、戦国時代に飛んで池波正太郎「蝶の戦記」「火の国の城」あたり。
「鎌倉殿の13人」から、話は大きく飛んでしまいました、これくらいで終りにします。
話は更に遡ります。
4月17日放送の第15回「足固めの儀式」
佐藤浩市演じる上総広常が、謀反の首謀者として殺されます。
死後、広常の書いた文章を義時が読み上げる、感動シーン。
鎧の中から忠誠を誓う手紙が出てきた、といった話は、元からあったと思います。
このドラマの数回前では、広常が読み書きの練習をする様子が描かれました。
広常は「京に上って恥をかかないように」と義時に語っていました。
これによって、先のシーンがぐっと深みを増していると思います。
うーん、さすがですねえ。
同じNHKでもね。
何の前振りもなくお蕎麦のつゆをひっくり返すようなドラマとは、出来が違うなと思います。
話は変わります。
ずっと以前に、新選組の近藤勇が書の手習いをする、といった話を読んだ覚えがあります。
この二冊のどちらかだと思い、チェック。
池波正太郎「幕末新選組」初出不明、あとがきは昭和39年春
司馬遼太郎「燃えよ剣」初出は週刊文春 昭和37年11月~昭和39年3月連載
「燃えよ剣」上巻に出ていました。
祇園「山の尾」
歳三は、すぐ、隣りの近藤の部屋をたずねた。
「なんだ」
そういったきり、近藤は顔をあげない。
字を習っている。独習である。
(三十の手習いだな)
と歳三はよくからかう。
もともと、近藤は関東にいたころはひどい文字を書いていたのだが、京にのぼってからは、
(新選組局長がこれでは)
と、にわかに発心して手習いをはじめた。
士大夫たる者の唯一の装飾は、書であろう。
書がまずければ、それだけで相手にされないばあいも多い、と近藤は考えている。
新選組組長として京都で名を馳せて、書の手習いも多少は役立ったのかもしれません。
話がそれて、長くなってしまいました。
「鎌倉殿の13人」については、これくらいで終りにします。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。
少し遡ります。
菅田将暉演じる源義経も、とても良かったと思います。
義経にかかわる伝説は、沢山ありますね。
壇ノ浦の「八艘飛び」、一ノ谷の「鵯越の逆落とし」などなど。
様々な有名エピソードがコンパクトに描かれていて、たまりません。
そして最後に「弁慶の立ち往生」です。
5月22日放送の第20回「帰ってきた義経」。
藤原泰衡の軍勢に囲まれた義経一行。
この土壇場になって、京都での刺客は、静御前を狙った妻の仕業であることが判明。
頼朝の仕業ではなかったと分かりましたが、今さらもう、どうにもなりません。
弁慶は、墨染の衣や頭巾の下にこんな仕掛けをして、ただ一人矢面に立ちます。
義経は「世話になった」と弁慶に声をかけ、送り出します。
その後、頼朝が義経の首桶を抱いて語りかける、感動シーン。
う~ん。たまりません。
ですが、、、
木曽義仲などとは違い、義経が命を落とすシーンは描かれません。
これは、うまいですねぇ。
実は、、、
頼朝に届いた首は、ニセモノだったりして。
義時を呼び、落胆している様子を見せ「この首で平泉が守れるなら本望だ」などと語ったのも、
すべて自分の死を信用させるため。
実は、義経は脱出して北海道へ、更に海を超えてモンゴルのチンギス・カンになった・・・
菅田将暉の義経なら、それくらいやってくれるかも知れない、なんて思います。
ちょうど「真田丸」の山本耕史の石田三成の時のような感想になります。
これも、義経由来の言葉の一つ「判官贔屓」ですね。
さすがに、唱歌「京の五条の橋の上・・・」は出てきませんでした。
それから「ぎなた読み」も。
誰かが手紙を読み間違えるようなシーンがあれば、面白かったのに(^^;
話は少し変わります。
義経の、鎌倉攻略作戦の書面です。
取囲後放火町屋 自南
北挿中鎌倉マ焼攻焉
鎌倉方滅亡必定也
分からない文字もあります。
これは、じっくり読んでみたくなりますねぇ。
レプリカを売り出せば、人気商品になりそうです。
2000円くらいで、お願いできないでしょうか(^^)
三谷幸喜さん脚本のNHK大河ドラマ。
いよいよ佳境に入ってきました。
あれこれを、まとめて書いてしまいます。
ずっと前にも一度書きました。
「日本三大仇討」
・曾我兄弟の仇討ち 1193年6月28日(建久4年5月28日)
・伊賀越の仇討ち 1634年12月26日(寛永11年11月7日)
・赤穂浪士の討ち入り 1703年1月30日(元禄15年12月14日)
いずれも、私の好きな講談でお馴染みの演目です。
一番有名なのが「赤穂浪士」。その次は「曾我兄弟」でしょうか。
「鎌倉殿の13人」の第1話から登場している、胡散臭い工藤祐経。
この祐経を親の敵として狙う曽我十郎と五郎の兄弟の物語です。
さて「鎌倉殿の13人」です。
6月5日の第22回「義時の生きる道」。
この曾我兄弟が初登場です。
単に祐経だけでなく、源頼朝まで狙う「北条時政黒幕説」で描かれるようです。
仇討ちの舞台は「富士の巻狩り」。
曽我兄弟に道案内をする「曽我の紋づくし」は、描かれるでしょうか。
ヤングマガジン 2022年27号、MFゴースト 第183話 空中フェイント。
カナタくんを追って英国からやってきた、エマ・グリーン。MFG第4戦に初参戦です。
MGFを軽く見ていた彼女も、走ってみて考えが変わったようです。
体験してみると
考えていたよりも
ずっと 奥が深い
(中略)
レーシングドライバーにも
おろそかにしてはいけない
基本があるけど・・
MFGには
まさに それがある!!
それはさておき。
びっくりなのは、次の言葉です。
フジワラ先生が
スランプのカナタに
日本行きのアドバイスを
した理由が・・
今なら わかる・・!!
え?
拓海がカナタくんにMFG参戦を勧めるのは、分かりますが、
カナタくん、来日当時はスランプだったのですか?
ぜんぜん知りませんでした。
同じことを何度も書いてしまいます。
第1巻を読み返して、カナタくんの来日目的を再確認。
第1話。
カナタくん、緒方さんのガレージにやって来ます。
戦闘力のあるクルマじゃないと語る緒方に、こうです。
それでもMFGを
体験させてもらえるだけで
ハッピーです
第2話。
恋との会話。
レンには
教えます
特別です
ボクが日本に来た
目的は2つあります
いや・・
そうじゃない・・
厳密にいうと
1つだけです
行方不明の
ファーザーを
探すためです
スランプ脱出のために来日、といった話は全く出てきません。
この後、MFGの予選に非力な86で初参戦して、いきなり決勝進出。
レースに臨んでも、緊張したり悩んだりする様子は一切ありません。
これでスランプなのでしょうか?
この記事にお越し下さった皆様、ありがとうございます。
よろしければ、関連記事もご覧ください。
カテゴリー:MFゴースト
2022年6月5日(日)です。
準備が出来たので、とりあえず試走です。
ナビやアクションカムも正常動作。ボックスも大丈夫そう。
おっと、ナビのステーが少し緩くて、傾いてしまいました。
記念撮影、と言いましても。
うーん。
このバイク、あまりカッコ良いとは言えませんねぇ・・・
リヤフェンダーが長いのは実用的で良いとして。
ぼってりとしたサイドのカウル。
スクリーン周辺も不思議な形。
エラの張ったテールまわり。
まぁねぇ。「あばたもえくぼ」。
だんだん、気にならなくなってきています(^^;
話が前後しますが。
このGSR250Sの状態について。
GooBikeで探して近県のバイク店で購入した中古車です。
軽二輪なので年式不明。
参考まで、販売期間は2014年1月から2017年。
走行10700km。
VTRは下取りに出して、追加支払いは販売価格の半額以下でした。
右側に軽いタチゴケ跡がありますが、後はおおむねキレイ。
キャリアとサイドバッグサポート付き。
デイトナのスライダーは付けてもらいました。
本当はキジマのパイプ製エンジンガードが良かったのですが、もう在庫がないようです。
走行距離の割にタイヤが新しく、側面のヒゲやトレッド内のペイントも残っています。
製造時期表示は、前後で4121と3921。
つまり2021年の第41週と第39週に製造されたもの。
前オーナーは、タイヤを新品交換して、すぐに手放したのでしょうか。
ついでに書いておきます。
このブログ内でのGSR250の記述です。
GSR250Sは、2013年11月の東京モーターショーで参考出品されていました。
2013年11月23日(土) 東京モーターショー2013 その3 スズキ・カワサキ・KTM
ベースのGSR250は、2013年4月に試乗して好印象でした。
2013年4月29日(月) まるごとバイクフェスティバル
私は大いに気に入りました。「次の次」あたりに良いかも。
当時はF800ST。その後Breva750とVTR。
なんと9年を経て「次の次の次」に、やって来たわけですね。
さてと。
早くも梅雨入りです。
雲行きが怪しくなってきたので、100kmほど走って引き上げてきました。
次は「予備用のスペアキー」です。
ホームセンターで作ろうと思ったら、、、
係の方は「逆輸入車か何かですか?」とのこと。
スズキのリストに合致するものが無いそうです。
探して貰ったら、使えるものがありました。
ブランクキーの番号は「M322」です。
「トヨタやダイハツのトラック用」とのことですが、、、
これは懐かしい。
昭和の終わり頃の、トヨタやダイハツの乗用車のやつですね。
ウチにあった「カローラII 1500SR」も、確かこれでした(^^)
参考です。
ネットで検索しますと「M416」という、ヤマハのバイク用のブランクキーも使えるようです。
https://okayamania.com/blog/?p=13862
ボックスのカギには、周辺の傷つき防止のキャップを装着。
Breva750の時の画像使い回しで失礼します。
これで、GSR250S実戦投入の準備完了です。
さて、VTRから外した装備類の移植です。
まずは「ナビなどの電源」です。
ヒューズボックスから取り出しましょう。
VTRと同じ、こちらを購入。
エーモン ミニ平型ヒューズ電源 DC12V・60W/DC24V・120W 10Aヒューズ差替用 E511
アマゾン参考価格:473円。
GSR250Sのヒューズ類は、たったこれだけ。
進行方向に向かって左から、FUEL、IGNITION、SPARE。
右側のボックスは、HEAD、SIGNAL、SPARE。
これらの中から、走行に影響の少なそうな「SIGNAL」から分岐することにします。
ポイントは、エーモンE511の差し込む向きです。
テスターで確認。コードが「進行方向に向かって右側」に来るように差し込みます。
ヒューズのフタは、軟質のプラスチックです。
切れ目など入れなくても、ぐいっと押して閉めてしまいました。
ここからリレーを介して、ナビとアクションカムの電源コードを配線。
配線器具はこちら。
VTRで使ったものです。
ワゴジャパン ワンタッチコネクター WF-5BP 5個入り
アマゾンで税込み667円
余談ですが、
メインヒューズは左サイドカバーの奥にありました。
ナビとアクションカムのステーは、VTRに着けていたもの。
スカーバー以来、同じものを使用。
ハンドルと共締めです。
出来上がりは、こうです。
次に「ボックスの取り付け」です。
VTRに着けていた「SHAD SH40」という製品。
キャリアに4か所ねじ穴がありまして、これが使えると思ったら。
残念。
SHADの台座は、左右にフタがある形式で、幅が広くて使えません。
仕方ありません。
標準の波型金具で固定しました。
キャリアのパイプが太いので、長いボルトに交換して、がっちり固定出来ました。
ちなみに。
フタのハメアイが結構きつく、こじり跡が増えてしまいました(^^;
VTRの時の画像の使い回しです。
GIVIのように、一枚のフタをタッピングビスで固定する形式だと良いのに。
とりあえず、ここまでです。
埼玉県川島町の「金笛しょうゆパーク」の続きです。
埼玉県川島町に「笛木醤油株式会社」という、寛政元年創業の老舗がありまして。
2019年11月16日に、創業230周年記念事業として「金笛しょうゆパーク」をオープン。
醤油蔵にレストランや直売所を併設。工場見学もできるそうです。
工場見学のあとです。
隣接のレストランは、かなりの混雑。
オミヤゲを買って、ベンチに座って待って。
工場見学の前に、予約リストに名前を書いておけば良かった、と思いました。
「うどんとかき揚げのセット」です。1480円。
つけ汁は「胡麻味噌すったて汁」と「葱ぶた肉汁」。
かき揚げは、こちら四種類のお醤油とパウダー醤油を試してみます。
個人的には「減塩醤油」が美味しかったです。
減塩醤油は「海水を真水にする装置と同じ方法」で塩分を抜いているそうです。
あぁ「イオン交換膜」ですね。
帰宅後、幾つかの醤油メーカーのサイトをチェック。
キッコーマンのサイトに詳しい説明がありました。
減塩醤油の製法は先の「脱塩法」と、濃く作った醤油を薄める「希釈法」があるそうで。
キッコーマンはこちら笛木醤油と同様に「脱塩法」を採用しているそうです。
敷地内に据えられた、中に入って遊べる木桶。
同業者から不要になったものを譲り受けたそうです。
他に、パラソル付きのテーブルも並んでいます。
ブランコやツリーハウス、ハンモックなどのスペースもあります。
良いですねー。ここは。
規模はさほど大きくありませんが、フレンドリーな雰囲気。
従業員の皆さんも、笑顔で良い感じ。
良心的な仕事をしている会社なのだろうな、と感じました。
埼玉県毛呂山町の「滝ノ入・ローズガーデン」から20kmほど。
埼玉県川島町の「金笛しょうゆパーク」です。
埼玉県川島町に「笛木醤油株式会社」という、寛政元年創業の老舗がありまして。
2019年11月16日に、創業230周年記念事業として「金笛しょうゆパーク」をオープン。
醤油蔵にレストランや直売所を併設。工場見学もできるそうです。
駐車場は混雑しています。第二第三に移動。
大きな建物が、売店とレストラン。
向かいの平屋が、バウムクーヘンの製造販売。
まずは工場見学です。
受付は、二階建ての蔵を三棟連結したような建物。
見学時間は約20分、一組15名程度。
日曜日で混雑していて、15分おきの開催です。
おかげで待ち時間はほとんどなしです。
さて出発です。
カラーで60ページの詳しいパンフレットを貰って。
写真撮影は、どこも構わないとのこと。
まずは材料を保管している「前蔵」です。
埼玉産の小麦と外国産の大豆。
輸入大豆には、エコサートのオーガニック認証マーク。
塩は外国産の「天日塩」つまり岩塩だそうです。
国産の塩が高いので切り替えた、といった話も出ました。
大きな「桶」。
一度作れば100年200年と長持ちするため、桶職人も激減。
これは桶職人に来てもらい、埼玉県産の材料で作ったもの。
ちなみに。
仕込みの担当者は、朝食に納豆を食べてはいけないそうです。
数十年前、納豆菌が繁殖してダメになったことがあるそうです。
担当者は用心のため、納豆は全く食べていないとか。
発酵食品は他にもあると思いますが、、、納豆菌が特に強いのですって。
小さな桶には「諸味(もろみ)」。
かき混ぜ体験です。
「仕込み蔵」の二階に上がります。
ガラス越しに、大きな木桶が38本。
じっくりと発酵熟成。
「金笛醤油」でふた夏、「再仕込生醤油」は3年かけるそうです。
ちなみに。
ここでの作業は、必ず二人一組。
20年前に桶の中に落ちた人がいたとか。
塩水なので沈まないそうです。
「圧搾蔵」です。
「諸味(もろみ)」を「ろふ」で平らに包み重ねて、三日がかりで圧搾。
漢字では「濾布」でしょうか。
以前は麻でしたが、今は化学繊維だそうです。
絞りカスは、廃棄だそうです。
家畜の飼料にならないか研究中とのこと。
端をつまみ取って、食べてみました。
当然ながら、醤油味です。
このままお菓子に出来そうですが、、、
ドラム缶も並んでいました。
そちらは「油」だそうです。なるほど「大豆油」ですね。
これも「バイオ燃料にならないか」といった話もあったものの、、、
産業廃棄物ですって。
約20分の見学でした。
輸入大豆は相場を見て輸入するとか。
国産の塩は高いので輸入の岩塩にしたとか。
「ろふ」は麻布から化学繊維に切り替えとか。
時々見聞きする「採算度外視・究極のこだわり」のような話とは違い、
企業として、現実的な話が聞けました。
続きは後ほど。
2022年5月29日(日)です。
埼玉県毛呂山町の「滝ノ入・ローズガーデン」を見てきました。
あえて「・」と入れているのは、、、
「たきのいりぐちーずがーでん」と誤読されるのを避けるためでしょうか(^^;
毛呂山町は「新しき村」や「鎌北湖」のある町。
特産は「柚子」です。
町の西の外れ。
オートキャンプ場がありまして。
ローズガーデンへ行くには、周辺の駐車場が使えます。
橋の下に、キレイに流れる急流。
これが「滝ノ入」の地名の由来でしょうか。
浅瀬では、子どもが遊んでいます。
小さな住吉神社がありまして。
その奥に「滝ノ入・ローズガーデン」があります。
「春のバラまつり」開催情報
期間:令和4年5月18日(水曜日)から令和4年5月31日(火曜日)まで
時間:9時から16時まで
料金:300円
周りをぐるりと山にかこまれ、周囲の自然と一体になった美しいバラ園です。
長いバラのアーチのなかを歩いたり、変化に富んだ散策道を楽しめます。
面積:約2,800平方メートル
バラの本数:約1,500本
バラの品種数:約350種
見上げるくらいの高さの、バラのゲート。
「バラまつり」の終わり間際ですが、かなり良い感じに咲いています。
フォトスポットもたくさん。
ベンチも多く設置されています。
起伏に富んだ園内には樹木も多く、日陰にも困りません。
入口には小さな売店。
地場の野菜や手作りパウンドケーキなど。
埼玉県内のバラの名所と言えば、、、
伊奈町の町制施行記念公園、川島町の平成の森公園、大宮の花の丘農林公苑などなど。
これらのバラ園は、平地の公園ばかり。
手入れの良い花はキレイですが、日陰や休憩場所も少ないのが難点です。
これらに対して、ボランティアが手入れしているという、こちら。
バラだけでなく、他の草花もキレイに咲いていたり。
川の水音が聞こえる木陰のベンチなど、休憩場所も多くて、良いですねー。
さて。
遅いお昼は、20㎞ほど離れた川島町に移動します。
どうにもアレな展開が続く「ちむどんどん」。
2022年4月28日(木) 始まりましたが・・・NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」
2022年5月10日(火) なんじゃこりゃぁ~NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」
先週末には、あっとおどろく名言がありました。
あまりにすごいので、記録しておきます。
2022年5月27日(金)放送 「35話 ソーミンチャンプルーVSペペロンチーノ」
暢子(黒島結菜)は、レストランのオーナー房子(原田美枝子)と、料理対決をすることに。
お世話になっているオーナーに対し、無礼と言いたいくらいの大胆な申し入れ。
暢子は「負けたらクビ」というヤバい条件も、全く気にならない様子。
画像は公式サイトより拝借。
案の定、房子の料理の方がはるかに良い出来です。
すごいのは、対決に負けた暢子の言い訳です。
房子:「約束は約束です、さようなら」
暢子:「待ってください、ここで働かせて下さい」
房子:「負けたらクビでも良いといったのは、あなたでしょう」
暢子:「負けるとは思っていなかったんです」