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2022年11月 1日 (火)

埼玉県比企郡嵐山町「鎌形八幡神社」です

2022年10月23日(日)の続きです。
先の「埼玉県立嵐山史跡の博物館」や畠山重忠像のある「菅谷館跡」には、人が集まっていました。
そこからわずか3km。隣町の埼玉県比企郡嵐山町「鎌形八幡神社」です。
木曽義仲ゆかりの神社ですので、そちらも賑わっているかもしれません。
すぐ近くですので、行ってみましょう。

新型コロナ前は、毎年見に行っていた「流鏑馬奉納」が行われる神社です。
2019年4月6日(土) 今年も見てきました「鎌形八幡宮の流鏑馬」その2
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以前からあるのぼり「木曽義仲公 生誕の地嵐山町」
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「神門」
の前には新しいのぼり「朝日将軍 木曽義仲公 いざ参上 嵐山町観光協会」
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せっかくですので、本殿などご報告します。
本殿は拝殿と一体で「一間社流造」と言うようです。
彫刻も全面だけの、簡素なつくり。
20221023_43

貼り紙です。
感染防止のため鈴緒の使用は中止しています。
これはまぁ分かりますが。
こちらが面白い(^^)
 お願い
お賽銭の硬貨がはりついてしまい回収が困難になりますので、
賽銭箱にはお米を入れないでください。
 鎌形八幡神社
生米をそのまま入れる人がいるのでしょうか(^^;
20221023_44

お賽銭箱の脇に置いてあるお供え物
菊正宗のワンカップ、食塩、ミョウガが二個、柿が三個。
20221023_45

絵馬です。
へぇー。地元の駐在さんが奉納したのですね。
鎌形駐在所管内が安心安全でありますように。
埼玉県内の事件・事故が減少し、昨年より平和で
一人でも悲しむ人が減りますよう願います。
鎌形駐在所
ノートラブルで行こう
(個人名)
一月吉日
お名前を検索してみると、地元で活躍している様子が幾つもヒットしました。
20221023_46

埼玉県の設置した看板です。
40年以上も前の設置で、傷んできています。
今のうちに、全文転記します。
 鎌形八幡神社
 鎌形八幡神社は、平安時代初期、延暦年間に、坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると言い伝えられている。
武門、武将の神として仰がれ「源頼朝及び尼御前の信仰ことのほか厚く」と縁起の中にもある。
 源義賢、義仲、義高三代に関する伝説がこの地には多く、源氏の氏神として仰がれていたという。
 また、嵐山町指定文化財である懸仏が二枚保存されている。
 安元二年(一一七六年)の銘がある懸仏は径十八センチメートルで、中央に阿弥陀座像が鋳出されていて「奉納八幡宮宝前 安元二丙申天八月之吉 清水冠者源義高」と陰刻されている。(但し、源義高は安元二年には生まれていない)
もう一つの貞和四年(一三四八年)の銘がある懸仏は、径十七センチメートルで、薬師座像が鋳出されていて、「渋河閑坊 貞和二戊二子七月日施主大工兼泰」と刻まれている。
 その他、木曽義仲産湯の清水や、徳川歴代将軍の御朱印状などの多数の文書がある。
  埼玉県
 昭和五十五年三月
ウィキペディアで確認。
懸仏(かけぼとけ)は「鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物」だそうです。
文中の「但し、源義高は安元二年には生まれていない」が面白い(^^;
後年作られたものなのでしょう。
20221023_47

境内には誰もいませんでした。
後からクルマが一台、二人の方がいらしただけでした。

クラシックカー、お昼ご飯、「鎌倉殿の13人」関連と、一日でずいぶん引っ張ってしまいました。
これで終りにします。

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