歩いてきました「杉山城跡~小倉城跡~菅谷館跡・嵐山史跡の跡博物館」
2022年11月6日(日)です。
国の指定史跡「比企城館跡群」というのがありまして。
まず1973年に「菅谷館跡」が国の史跡に指定されて。
その後2008年に「松山城跡、杉山城跡、小倉城跡」を含めて、現在の名称に変更されたそうです。
このうち三か所は、ここ数年で見て回っています。
・2017年1月28日(土) 行ってきました 埼玉県吉見町の「松山城跡」
・2020年6月26日(金) VTRで「杉山城跡」
・2021年8月29日(日) 歩いてきました「菅谷館跡」
・2022年10月23日(日) 大賑わい 埼玉県立嵐山史跡の博物館「企画展 武蔵武士と源氏-鎌倉殿誕生の時代」
残る一か所「小倉城跡(おぐらじょうあと)」に、行ってきましょう。
せっかくですので、杉山城跡~小倉城跡~菅谷館跡・嵐山史跡の博物館と、三か所を順に回ってみます。
位置関係はこの通りです。
まずは「杉山城跡」です。
駐車場は「玉ノ岡中学校」の裏手にあり、とても広いです。
こんなカンバンが立っています。
良く整備され、勾配は緩やかで、歩きやすいです。
この看板のそばに、パンフレットがあります。
真新しいのぼりが、沢山飾られています。
井戸には今でも水がしみ出していますが、大きな石で蓋をされています。
これは「廃城の際に敵方に使われないようにしたもの」だそうです。
立木が伐採されていて、遠くまで良く見渡せます。
コンパクトで複雑な構造で、歩きがい・見ごたえたっぷり。
さて次は。
私も初めての「小倉城跡」です。
小さなお寺「大福寺」の裏山という感じです。
駐車場は10台ほど。
境内には、まだ新しい「バイオトイレ」が設置されていました。
ルートは、緩やかな大回りと、急坂の近道があります。
近道を上りましたが、林の中でけっこうきつい。
足元の石は、板碑に使われる「緑泥片岩」ですね。
切通しには、真新しい木製の橋がありました。
「目の前の本郭に簡単には辿り着けない」そんな構造ですからね。
「仮設作業道につき関係者以外使用禁止」とあります・・・
平坦で広い本郭です。
見晴らしもこの通り。
最後です。
先日も来たばかりの「菅谷館跡」です。
まずは隣接の「埼玉県立嵐山史跡の博物館」。
内容は先日と同じですが、せっかくですので、ひとつだけご報告。
畠山重忠公像の解説文です。
面白いので全文転記します。
顔は当時の歌舞伎役者に似せています。
畠山重忠公像
嵐山町指定文化財 昭和4年(1929)
昭和3年(1928)、漢学者小柳通義(おやなぎつうき)は、
浄瑠璃「鎌倉三代記」を読み、重忠への追懐の念から、畠山館跡や菅谷館跡を探訪しました。
そこで菅谷村の有志と意気投合し、重忠の立像建設が決まり、翌春に像が完成しました。
威儀を正し、平服で遥か鎌倉を望む重忠の姿は、菅谷小学校長・宮崎貞吉の提案で、
造形は東京美術学校出身の浅井正山、そして碑文の撰文と書は、小柳自らが担当しました。
今の「聖地巡礼」のようなものですね(^^;
こちらに詳しい説明がありました。
嵐山町Web博物誌
第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
第4節:社会教育
日本農士学校
農士学校と重忠の像:関根茂良氏[小林博治]
http://www.ranhaku.com/web06/04edu_school/04nng07.html
以前よくわからなかった、本郭の石碑についても書かれていました。
「日本農士学校・金鶏神社の遺蹟」なのですね。
2021年8月29日(日) 歩いてきました「菅谷館跡」
オリジナルは『菅谷村報道』133号「古老にきく」 1962年5月15日、だそうです。
このサイトは「町制施行25周年記念事業の「博物誌」を、書籍にする方針を改めネットで公開した」そうです。
嵐山町、やりますねぇ。
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