群馬県太田市「縁切寺の満徳寺遺跡」その周辺
2022年12月2日(金)です。
群馬県太田市の旧尾島町、群馬県指定遺跡「縁切寺満徳寺遺跡」の続きです。
さて周辺を歩いてみます。
これが「駆け込み寺」として、駆け込んだ門なのでしょう。
いささか古びた木の杭には「縣指定史跡 時宗徳川山満徳寺」とあります。
キレイに復元された本堂。
赤い花は「真弓」の木。
周囲には、建物の遺構と説明図。
将来的には、すべての建物を復元したいとか。
外を回ってみます。
裏手にある「東照宮」。
小さな神社です。
脇には「尾島かるた」。
[と] 徳川氏 発祥の地 尾島町
江戸幕府の将軍家徳川氏の先祖は尾島町にはじまるといわれます。
新田義重の子の義季は世良田周辺地域を領地とし、世良田氏・徳川氏の祖となりました。
義季から八代目の親氏が各地を流浪したすえ、三河国松平郷(現愛知県豊田市松手町)の豪族の女婿になり、
その九代目の家康が名字を松平から徳川にかえたということです。
ウィキペディア「徳川氏」には、こうあります。
江戸時代に成立した藩翰譜によると、ルーツは三河国(愛知県)の庄屋である松平太郎左衛門信重に婿養子に入った、時宗の遊行僧と伝えられる徳阿弥である。
彼は得川氏(世良田氏)の末裔を自称し、諸国を流浪するなかで大浜称名寺で開かれた連歌会での出会いが信重の養子に入るきっかけと伝えられる。
還俗して松平親氏と名のったという。
このように、祖先を「自称」することは、珍しくはなかったのでしょう。
この辺が合併前の「尾島町」ですか。
ウィキペディアで確認。
人口約14000。
2005年3月28日に(旧)太田市、新田町、藪塚本町との合併により太田市となり消滅した。
「尾島かるた」に描かれていうのが、尾島町章ですね。
そう言えば「旧中島家住宅」です。
かつて「尾島祇園祭」に使われていたという、屋台の部材が展示されていましたっけ。
2022年4月14日(木) タントで群馬県太田市「旧中島家住宅」
参道には、山茶花が満開です。
裏手に回ると、一面のネギ畑。
はるか向こうに、赤城山や妙義山も見えました。
神社の隣に「徳川会館」。
地域の集会所ですね。
滑り台、ブランコ、ジャングルジムなど並んでいました。
というわけです。
帰宅後確認。
すぐそばには、昭和初期に建てられた「旧世良田町役場」もありました。
見損なって惜しかったですが、来年の企画展の時には、また来てみましょう。
頂いたパンフレット類も、楽しみにゆっくり読みましょう。
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