« 歩いてきました 神奈川県横浜市「みなとみらい21」その2 | トップページ | GSR250Sで埼玉県寄居町その2「玉淀河原」で贅沢昼食 »

2022年12月19日 (月)

GSR250Sで埼玉県寄居町その1 石碑「史跡鉢形城跡と四十八釜」

2022年12月16日(金)です。
朝方用事を済ませたら、急に時間が空きました。
穏やかな快晴なので、GSR250Sで少し走ってきましょう。
以前から気になっていた、小さいポイントを確認してきます。

まずは、寄居町「鉢形城跡」そばの石碑です。
駐車場もなく、いつもつい素通りしていたポイントです。
今日は止まりましょう。
鉢形城址公園フィールドマップです。右下の「搦手橋」の南側です。
Yoriimap_202212

橋の南側の歩道に入ってと。
石で区切られた、わずかなスペースです。
「史跡鉢形城跡と四十八釜」とあります。
まだ新しく碑文も読みやすいので、全文転記します。

史跡鉢形城跡と四十八釜
 ここは、国指定史跡鉢形城跡の搦手である。
鉢形城は荒川の断崖絶壁と急峻な深沢川の渓谷に囲まれた地形を利用した平山城で、戦国時代史を彩る屈指の名城である。
築城時期は文明八年(一四七六)長尾景春説が有力である。
その後関東管領山内上杉氏を経て、永禄年間に北条氏邦が入城し、天正十八年(一五九〇)六月十四日豊臣秀吉軍に開城された。
 城の内堀として重要であった深沢川は今も尚両岸より断崖絶壁が迫り、潅木天を覆い渓谷の姿を止めている。
激しい渓流は谷底の岩盤をうがち幾多の淵をつくり、いつのころからか淵を釜と呼んで「四十八釜」と総称され、現在町指定名勝である。
代表的な「船釜」は、水深三メートルを越え「艫ノ滝」が落ち込む幽谷美に満ちた淵である。
尚、古くは当地域は「数釜ノ庄」と呼ばれ語源を深沢川の釜に求める伝承が今も残されている。
 平成八年三月吉日
   寄居町 寄居町教育委員会
  昭和七年四月十九日指定
題字 埼玉県議会議員 石渡 勲 書
   数釜四季報 森田佐久 撰文
20221216_01

裏面です。

寄付者
 数釜四季報 森田佐久 戸田市美女木住
 観光協会長 石渡 勲
協賛
 寄居町観光協会
 寄居町商工会
 鉢形地区区長会
 鉢形城三鱗会
 数釜の会

 碑文 鳥塚翠白書
 施工 中川石材店
20221216_02

「数釜四季報」「数釜の会」「森田佐久」をネットで検索してみても、何も分かりません。
「石渡勲」さんは分かりました。
埼玉県議会の副議長(平成12年3月から平成13年3月)まで務めた方。
寄居町の広報によりますと、平成30年に85歳で亡くなり、町葬がおこなわれたそうです。
「鉢形城三鱗会」FBがありました。
会の名前は、北條氏の家紋にちなんだのでしょう。

「搦手橋」から見下ろすと、なるほど深い渓谷になっていました。
ですが、下りてみるルートは分かりません。
そのうち探してみましょう。

全文転記で疲れましたので、続きは後ほど

|

« 歩いてきました 神奈川県横浜市「みなとみらい21」その2 | トップページ | GSR250Sで埼玉県寄居町その2「玉淀河原」で贅沢昼食 »

ウォーク」カテゴリの記事

記念碑」カテゴリの記事

GSR250S雑考」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 歩いてきました 神奈川県横浜市「みなとみらい21」その2 | トップページ | GSR250Sで埼玉県寄居町その2「玉淀河原」で贅沢昼食 »