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2024年8月12日 (月)

見てきました「弥生美術館 小松崎茂展 上田信ギャラリートーク」

2024年8月4日(日)の続きです。

日本出版美術家連盟(JPAL)の作家展
・小松崎茂展:7月30日(火)~9月1日(日)
Komatsuzaki_202408

更にこの日は、こんなイベント。
・上田信ギャラリートーク「師小松崎茂を語る」8月4日(日)14時~
上田信さん、年齢を感じさせない若々しさでした。
20240804_18

ウィキペディアから抜粋。
上田 信(うえだ しん、1949年 - )は、日本のイラストレーター、漫画家。
青森県蓬田村出身。軍事関連の仕事を得意とする。
1949年、青森県蓬田村生まれ。
中学卒業と同時に上京し、小松崎茂の最後の内弟子として5年間を過ごす。
その後、モデルガンメーカーMGC宣伝部に就職し、2年後にイラストレーターとして独立。
1969年、初めて描いたボックスアートであるタミヤ1/100「ミニジェット機シリーズ」を手がけた後に、
他のメーカーのパッケージも描くようになる。


トークの内容のご紹介です。
記憶を頼りに書いていますので、聞き違いや聞き漏らしもあるかと思います。

トークの内容です。

・小松崎茂への弟子入りのきっかけ
中卒で内弟子として住み込んだ。
子どもの頃、絵ばかり描いていたら、母親が連絡してくれた。

・内弟子の生活
小松崎茂の内弟子として5年過ごした。
先輩方はすでに独立していて、内弟子は自分だけ。
たいていの人は1年くらいで独立するが、私は居心地がよく長く過ごした。
弟子としての仕事は、特にない。
犬の散歩や、筆洗いの容器を洗うくらい。
時々小遣いも貰った。

・今日のイルカのパネル
展示物の拡大ではなく、今日のための描き下ろし。

・画材について
ホルベイン水彩絵の具。
白と黒は隠ぺい力の強いポスターカラー。
出入りの画材店が新製品を勝手に持ってくる。
スペースファンタジーには、エアブラシも使っている。
「これはいいな」と言っていた。

・その他、展示作の解説など
風景画は、晩年の作品。
東京下町の絵は、若い頃の作品をもとに後年描き直したもの。
西部劇の挿絵は私の弟子入り前で、私は拳銃の撃鉄あたりの形が違うと思った。

トーク後の質疑です。

・例えば、スペースファンタジーの宇宙戦艦で何日くらいかかる?
下絵に一日、その後本体と背景、合わせて4日くらい。
SFものは、実在のメカに比べて現物がないから楽。

・サンダーバードなどのボックスアートは、どうやって描いた?
もちろん現物は無し。
後年のアニメなどのような設定資料もなし。
テレビを見て写真を撮ったりスケッチしたり。
分かる範囲で、描きやすい構図を決める。
初めはサンダーバード2号。
水平のアングルで飛行中にすれば、ノズルや翼や着陸脚は省略できる。

・上田信さんの仕事について、バンダイの1/48ミリタリープラモデルを多く手がけたが、忙しい時の様子は?
バンダイが、タミヤの1/35に対抗し大量にキット化した製品シリーズ。
忙しい時は、3日に一枚くらい描いた。
背景無しの「白箱」は大変だった。
キャタピラなども、すべて描かなくてはならない。
背景があれば、土ぼこりでごまかせるのに(笑い)。

・松戸市にあった小松崎茂作品の私設展示館「昭和ロマン館」の顛末は?
工務店がスポンサーだったが、経営的に行き詰まったらしい。
詳しいことはわからない。
今は近くの「昭和の杜博物館」に複製原画が展示されている。

これくらいにしておきます。

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