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2024年9月17日 (火)

行ってきました「妻沼聖天山 歓喜院」その2

埼玉県熊谷市妻沼のお寺「妻沼聖天山 歓喜院」に行ってきました。

貴惣門を抜けて境内を更に進むと、新しい大きな石碑がありました。
これは篆書体というのでしょうか。
「国宝」という字が彫り込まれて、黄白青赤黒で塗られています。
聖天堂=極彩色の歴史的建造物、ということから、こうしたのでしょうか。
建立日は令和四年七月九日、指定十周年記念とありました。
20240913_05

古い境内の説明看板です。
「武州妻沼聖天山圖」
20240913_06
絵と共に、説明文が良い感じなので全文転記します。
20240913_07
 聖天山は大聖歓喜天を本尊とし
治承三年(一一七九)に開創せら
る。開基は斎藤別当実盛公なり。
 本尊は、聖天尊・歓喜天尊など
と称せられ、密教甚重最極の尊天
にして、開運厄除縁結びの霊験新
かなり。尊像は建久八年(一一九
七)の奉鋳にして、出自明らかに
して、様式独特なれば国指定重要
文化財なり。
 開基実盛公は勇猛果敢・温厚篤
実にしてその人徳は平家物語を始
め、数多の史書等にて讃えられ、
知らざる者なかるべし。
 本殿は宝暦一〇年(一七六一)
の竣工なり。江戸中期の技術の粋
を極め豪壮華麗にして、しかも資
金たるや庶民信徒信仰の篤き結晶
なれば、国指定重要文化財なり。
 県指定文化財に貴惣門・鰐口・
紵絲斗帳あり、伽藍に仁王門・中
門・鐘楼・大師堂・多宝塔・籠堂
・本坊など甍並びたり。
 豈賛仰せざるべけんや信じざる
べけんや。

古いものなので、本殿は「国指定重要文化財なり」のままです。
「国宝」と上書きするような無粋な事をしていないのに好感が持てます。
まぁ、ほったらかしなだけかも知れませんが。

「豈賛仰せざるべけんや」が良いですねぇ。
この字の用例は「豈図らんや」しか思いつきませんが。
物事を強調する反語表現。
英語でも、こんな決まり文句が思い浮かびます。
ちょっと違う気もしますが・・・
What a beutiful day!
Isn't it?

気になったのは、ここです。
「開運厄除縁結びの霊験新かなり。」
霊験「あらたか」「新か」と書いています。
新=新しいは、おかしいだろうと思いました。

ウチにある小学館「大辞泉」で確認。
霊験「あらたか」は、漢字で「灼たか」と書くそうです。
また「灼た」の項には《「新た」と同語源》とあります。
これを組み合わせれは、先の表現も間違いではないようです。
Memuma3_202409
全文転記と「新か」の確認などで時間がかかりました。
続きは後ほど。

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