えぇ?こんなところに?「安倍晴明 生誕の地」碑文を全文転記
先日の「ザ・ヒロサワ・シティ」の「ユメノバ」の帰りです。
・2025年4月25日(金) 再訪です「ザ・ヒロサワ・シティ」
すぐ近くで、偶然「安倍晴明 生誕の地」を発見。
「晴明橋公園」というようです。
畑の中にぽつんとある、10メートル四方ほどの小さな公園です。
石碑の表面は白い塗料が流れて見にくいですが、なんとか全文転記してみました
文中の明野町は、2005年に下館市・関城町・協和町と合併して筑西市になりました。
ウィキペディアによりますと、安倍晴明の生誕地には、以下の三か所の説があるそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/安倍晴明#生誕地
・猫島(茨城県筑西市)
・坂本(滋賀県大津市)
・讃岐国香東郡井原庄(香川県高松市香南町)
石碑の見出しなどでは「生誕の地」とされていますが、
碑文では「生誕伝説発祥の地とされている」と記されています。
安倍晴明生誕の地
安倍晴明は、平安時代、日本一の陰陽師として
知られ、明野町猫島はその晴明生誕伝説発祥の地
とされている。
慶長年間(一五九六~一六一五)の成立とされ
る晴明伝「簠簋抄(ほきしょう)」によると、晴
明は常陸国筑波山麓、猫島の生まれとある。
晴明の祖、阿倍仲麻呂は遣唐使として中国に渡
り彼の地で亡くなった。
共に留学していた吉備真備は、帰国の時、仲麻
呂の助力によって得た陰陽道の秘伝書「簠簋内伝
・金鳥玉兎集」を持ち帰り、筑波山麓猫島に住む、
子孫の童子に秘伝の書を渡した。この童子こそ神
童と呼ばれた幼き日の晴明であった。童子は筑波
山で修行を続け、ある日、鹿島神宮に参籠し、森
で鳥たちの啼き声から、超能力で都の帝の病気を
知り、京に上り帝の病を治した。喜んだ帝は三月
の晴明節に因んで「晴明」の名を賜ったという。
陰陽師安倍清明は、天文・暦学などで平安時代
の社会に大きく貢献した。
陰陽道は日本人の心として、人々の深層に宿り、
暦・年中行事等、現在に生きている。
晴明の物語は口碑伝承として全国に広まった。
「今昔物語集」「平家物語」「源平盛衰記」などに
も記されている。
平成十二年一月三日建立
明野町
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