コペン GR SPORT で山梨県 その2
梅雨の谷間の快晴、2025年6月19日(木)の続きです。
友人のコペン GR SPORTで、山梨県内をうろうろしてきました。
樋口一葉ゆかりのお寺「慈雲寺」です。
境内の奥には「樋口一葉文学碑」が。
ご御朱印帳は持ってこなかったので、書き置きを頂きました。
ご住職と少し話。
このお寺には一葉は来たこともなく、樋口家の菩提寺でもないそうです。
両親が子どもの頃、ここの寺子屋に通っていた縁で、文学碑を建てたのだそうです。
フルーツラインを少し流してと。
おっと。
空が暗くなり雷鳴が聞こえます。
長居は避けた方が良さそうです。
「ぶどうの丘」で、甲府名物の桃のアイス、、、と言ってもスジャータですが(^^;
勝沼ICから、中央道で引き上げです。
おまけです。
樋口一葉文学碑の、全文掲示がありました。
せっかくですので、全文転記します。
本文は適当に改行を加えました。
樋口一葉女史文学碑
この碑は大正十一年(一九二二年)一葉女史の文才を偲びて建てられたものである。
題額は東宮御学問所御用掛杉浦重剛、撰文は芸術院会員幸田成行(露伴)、
書は宮中御歌所出仕岡山高蔭にて、当時最も新しい形の碑文で、日本最高の文学碑といわれている。
杉浦重剛題額
一葉女史名は夏子樋口氏則義の第二女なり母は古谷氏瀧子
則義は甲斐國東山梨郡大藤村の人
壮歳志を立てて江戸に出で仕えて幕吏となり次いで職を東京府廳に奉ず
女史明治五年三月二十五日麴町山下町官舎に生まる
幼にして聰慧(そうけい)深く父の愛する所となる
年十五中島歌子に就て和歌を學ぶ學芸日月に進み歌子又其大成を期す
二十年夏嫡兄病みて死す父女史を器とするを以って女史をして家を承けしむ
二十二年七月父歿す
女史の世路の険艱(けんかん)に當りて孤高の性の却て多く苦めるもこれより始まり
人生の磨礪(まろう)に遭いて俊逸の才の漸く鋭きを加へしもこれより始まりぬ
窮窘(きゅうきん)数年女史終に文を以て世に問ふ
初は甚だ顧みられず然れども力めて息まず錐遂に嚢(のう)を出で米遂に粟を脱しぬ
濁江たけくらべ諸篇出づるに及びて學世愕然嘖稱(がくぜんさくしょう)して奇才と為し
佳作(かさく)の続出せんことを翹望(ぎょうぼう)す
悲しいかな天の才を與て壽を與へざるや二十九年十一月二十三日病を以て本郷丸山に終る
享年二十五築地本願寺先瑩(せんえい)に葬る
女史逝いて後三十年になりなんとす今猶其文を読み其人を思ふ者多し
今茲大藤村の人廣瀬弥七等女史の父母皆ここに出づるを以て碑を建てて女史を不朽にせんとす
鳴呼女史其文や鋒発韵流(ほうはついんりゅう)其人や内剛外柔
命薄けれども徳薄からず才名千載留まらん
大正十一年七月 文学博士幸田成行撰 岡山高蔭書
平成八年四月 一葉会
「鋒発韵流」を検索。
この碑文の説明しか出てきません・・
https://ohta-masakazu.blog.jp/archives/15027653.html
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