映画「砂の器」について。
公式サイトから2行拝借。
『砂の器』は1974年10月に公開されて大ヒット。
当時の配収7億円は、『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』に次ぐその年の3位の高成績だった。
以下、思いつくままに。
題名の「砂の器」。
映画の冒頭と、最後の親子放浪のシーンで、子どもの一人遊びが描かれます。
砂山を作り真ん中をくぼませ水を注いで、砂をすくい上げ、それを板の上に並べています。
簡単に崩れ去ってしまう、砂の器。
そこから何を感じ取れば良いでしょうか。
「らい病」にからむシーン。
犯人は、妊娠した愛人が子どもを一人で産み育てると言うのを、厳しく拒絶します。
「らい病」の遺伝を恐れたのでしょう。
愛人役の島田陽子さんが、大変美しい。
ベッドから起き上がる際に、ちらっとおっぱいも見せてくれました。
刑事は「らい病」の療養施設にいる犯人の父を探し当てます。
犯人である現在の息子の写真を見せるが、父は「知らない」と言い張る。
今の自分の存在が、息子のためにならないと直感しての言葉なのでしょう。
うーん。
以前、軽井沢の施設を見学したことがあります。
・2014年7月26日(土) Breva750で「重監房資料館」を見学
推理小説の分類で、以下のような言葉があります。
・フーダニット(Who done it?)
「誰が殺ったのか?」犯人の解明
・ハウダニット(How done it?)
「どう殺ったのか?」犯行方法の解明
・ホワイダニット(Why done it?)
「なせ殺ったのか?」犯行動機の解明
この映画は、この三要素の比率が独特です。
「誰が」について。
犯人に行きつくまでの刑事の努力が、じっくりと描かれています。
映画前半の大きな見どころです。
「なぜ」について。
自分の過去を知る被害者を殺害したという、出来事だけが描かれます。
犯人が子どもの頃、親身に面倒を見てくれた元警察官です。
偽名で社会的成功を得ていることを暴露するようなことも、しないでしょう。
ではなぜ犯人は、、、様々な議論ができそうです。
「どう」について。
殺害のシーンも、死体さえも一切描かれません。
先のような見どころを思えば、それらはもう、どうでも良い要素ということでしょう。
ちょっとどうかと思う部分。
犯行時の血の付いたシャツを、細かく切って列車の窓から捨てる。
それを目撃した人がいて、物的証拠の発見につながる。
いやいやー。
窓から捨てたりしないで、どこかに埋めるとか燃やすとか。
いくらでも方法はあるでしょう。
その他にも、見どころは一杯。
1974年作品ですからね、街並みや風俗の面白さ。
やたらとタバコをふかしていたり、場末感漂う街並み。
街を行くのは、スピンドルシェイプのクラウンや510ブルーバード。
刑事の出張は、固そうなボックスシートの夜行列車。
当時は当たり前だったのでしょうが、今の感覚では相当に大変そう。
細かい話ですが。
コンサート会場は、我が埼玉県の「埼玉会館」でした。
しばらくご無沙汰ですが、若い頃に何度も行った場所で、ちょっと懐かしい。
キリがないので、このへんで。
ちょっと原作も、読み返してみましょう。
手持ちは処分してしまいましたので、図書館で借りてきました。
私の好きな、スピン=しおりひも の付いている新潮文庫。
