ウォーク

2018年4月 2日 (月)

スペイドで「こだま千本桜」

2018年4月1日(日)です。

今年の桜の開花は、例年より1週間以上早くなっています。
東京都区内ではもう散り始め、埼玉県北部でもすでに満開です。
これはまずい。急いで見に行かないと。

こだま千本桜を見てきます。

先週の北本や鴻巣の桜土手は横目で見て、武蔵嵐山はパス。
着きました。
おー。
すばらしい満開です。
これだけの景観が、駐車にも苦労せず混雑とは無縁で楽しめます。

桜まつりは来週なので、イベントは一切ありません。
それでも、食べ物はいつもの野菜直売の出店で買えると思ったら。
残念。
あてにしていた、おこわやおまんじゅうなどは、ありません。
保健所から、強い指導が入ったとのこと。
それでは仕方ありませんね。
お昼は、近くのコンビニで買って済ませました。

いつも同じ感想ですが、両岸どこまでも続く素晴らしい桜です。
一体どれくらい続いているのでしょう。
赤城乳業から、お菓子のアウトレットのお店まで1.7km。
今回は、更にその次の橋まで歩いて、これで2.1km。
それでもまだ、見える限り続いています。
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脇の竹やぶには、なぜか烏骨鶏。
放し飼いをしているのでしょうか?

すぐ近くの「さざえ堂」成身院・百体観音堂の周辺も桜が満開です。
そばの観光農業センターの水芭蕉も、キレイに咲いています。
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間瀬湖です。
満開の湖畔を眺めながらの釣りも、気持ちが良いでしょうね。
近くでは、野良猫にエサをやる人が。
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うーん、これはどうなんですかねぇ。

この後、間瀬峠を越えて帰ったのですが。
真っ昼間から、頭文字Dみたいなクルマが何台も。
すれ違いも厳しい場所で、徐行して待っていたら。
道幅一杯にふくらんですれ違い、会釈もしないカプチーノ。
少し広い場所では、猛烈な勢いで飛んでいくミニとスターレット。
やれやれ。

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2018年3月22日 (木)

歩いてきました「早稲田周辺」その3

歩いてきました「早稲田周辺」その3

2018年3月17日(土)の続きです。

「新宿区立漱石山房記念館」に向けて、夏目坂を上ります。
途中に、ベニカナメモチの高い生垣のある大きなマンション。
有島武郎の旧居跡ですって。

道路わきに、建売住宅のカンバンがありました。
元は一軒のお宅を三分割したのでしょう。
土地15坪に三階建て22坪で、、、7,000万円!
近所の奥さんと立ち話。
この辺は静かで暮らしやすいですよ。幼稚園や学校も近いし。
ここに住めば早稲田に入れるのなら良いですねーと冗談。
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さて到着です。
隣接の「新宿区立漱石公園」の入り口わきに、銅像がありました。
富永直樹作「漱石胸像」平成3年建立。
銅像の向かって右には「則天去私」とあります。
ネット上の辞書では、以下の通り。
 天に則り私を去るの意。
 夏目漱石が晩年に文学・人生の理想とした境地。
 自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの。
 漱石自身の造語。

裏面の碑文は、以下の通りです。
                  

 漱石は慶応3年(一八六七)二月九日、
この近くの江戸牛込馬場下横町(現・新
宿区喜久井町1)に生まれた。明治四十
年九月にこの地に住み、「三四郎」「それか
ら」「門」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」な
どを発表、大正五年(一九一六)十二月
九日、数え年五十歳で死去した。
 この終焉の「漱石山房」跡地に漱石の
胸像を建立し、その偉大な文業を、永遠
に称えるものである。
 なお、表の漱石の自筆の俳句は
「ひとよりも空 語よりも黙
  肩に来て人なつかしや赤蜻蛉」
と読む。

 平成三年三月  新 宿 区


「新宿区立漱石山房記念館」の外観やパネルです。
昨年の9月24日に開館したばかりで、ピカピカです。
内部は撮影禁止。
一階の無料スペースには、カフェやグッズ売店もあります。
有料エリアの観覧料は、一般300円。
展示の目玉は、漱石の書斎の再現展示。
今日あちこちでチェックした「硝子戸の中」が、まさにここなのですか。
建物外観の再現もありますが、中途半端で、なくても良いくらいに感じました。
周囲にバルコニーのある、ちょっと変わった構造の家だったようです。
その他、初版本の展示など。
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裏の公園には、夏目家のペットの合同供養塔が復元されていました。
特に「吾輩」の塔という訳ではないようです。

地下鉄で早稲田から飯田橋へ。中央線でお茶の水へ。
今度は、さだまさし。
 「食べかけの檸檬 聖橋から放る」
 「各駅停車の檸檬色が・・・」
駅構内や駅沿いの道は、私の若い頃、40年前の雰囲気が残っています。
画材店「レモン画翠」で、ちょっと買い物。
あの頃は、上階に喫茶室がありましてねぇ。
学校の帰りに、立寄ったものでしたよ。えぇ。
バナジューがうまくてねぇ。
くどくど。じじいの繰り言です。
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中央線で東京駅へ。
丸の内南口の、日本郵政が展開する商業施設KITTE。
屋上から見た東京駅の昼と夜。
夕日に照らされ、惑星タトゥイーンの宇宙港街の屋根みたい。
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その6階の「魚匠 銀平」。
付き出しから楽しく、お造り盛り合わせも新鮮でうまい。

スマホの万歩計は、19,500歩・14.5kmでした。
「レモン画翠」での買い物については、いずれまた。

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2018年3月21日 (水)

歩いてきました「早稲田周辺」その2

2018年3月17日(土)の続きです。

面影橋の停留所から終点の早稲田までは、わずか450メートル。
歩いてもすぐなのですが、せっかくなので。
これで165円を3回で、495円(^^;
私が学生の頃は、この路線は飯田橋まで続いていましたっけ。
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更に話は逸れます(^^;
高田馬場と言えば、赤穂浪士の堀部安兵衛の仇討ですよ。
水稲荷神社の入り口に「堀部堀部武庸加功遺跡之碑」がありました。
新宿区教育委員会の説明文を一部抜粋します。
 赤穂浪士・堀部安兵衛を顕彰する記念碑。
 江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫が明治四十三(1910)年に建立。
 当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし「忠臣蔵」の再評価が高まった時代。

せっかくですので、水稲荷神社もお参り。
二宮金次郎の石像があったり。
その先の早稲田通りの交差点そばのお蕎麦屋さん。
入口わきに「高田馬場の跡地」というパネル。
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少し急ぎましょう。
早稲田通り馬場下町交差点の「穴八幡宮」に到着です。
鏡子夫人が、漱石の「虫封じ」にお参りしたという神社です。
他にも、作家の五木寛之の、早稲田大学入学当時のエピソード。
 住むところがなくて、この神社の床下で野宿をして、
 藪蚊と共に「人気のない場所を探す二人連れ」に困った。
そんな話を、エッセイ集で読んだ覚えがあります。
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すぐ隣に「放生寺」が並んでいます。
昔は穴八幡宮と放生寺は、一体だったのですって。
明治元(1868)年の神仏分離令で、別々の神社とお寺に分かれたそうです。

早稲田通りには、タテカンがあったり古本屋が並んでいたり。
私は学生時代は神田で過ごしましたが、良く似た学生街の雰囲気。
小椋佳「春なんだなぁ」なんていう歌を思い出します。
 2017年4月23日(日) 小椋佳「春なんだなあ」
 「学生が自分らの青春に気付かずに」
そうそう。
その時には、気付かないんですよね。
かなりのおっさんの私ですが、それでも今を懐かしく思う日も来るのでしょう。
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お昼は、つい調子に乗って、学生向けの定食屋に入ってしまいました。
トンカツ定食650円。ご飯多すぎです(^^;
高田馬場跡のお寿司屋さんにすれば良かった・・・

やっと着きました「夏目漱石生誕の地」の石碑です。
東京メトロ早稲田駅すぐそばの、やよい軒の脇(^^;
ここからの上り坂は「夏目坂」。
解説文を要約します。
 漱石の「硝子戸の中」によると、名主であった漱石の父、
 夏目小兵衛直克がそう呼んでいたのが広まった、とのこと。
スマホで青空文庫を確認。
「硝子戸の中」
 父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければ
 ならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。
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坂道の途中の「誓閑寺」。
漱石の「硝子戸の中」では「西閑寺」、
「二百十日」で「寒磬寺」として登場するお寺だそうです。
スマホで青空文庫を確認。
どちらの作品でも「竹やぶから鐘の音が聞こえる」と描かれています。
入口に古びた梵鐘がありましたが、、、これがその鐘ではないようです。
なるほどねー。
これら作品の面影は、、、ないこともないですか。

もう一回、続けさせて頂きます。

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2018年3月19日 (月)

歩いてきました「早稲田周辺」

2018年3月17日(土)です。

昨年秋に「新宿区立漱石山房記念館」というのが開館しています。
公式サイトでは、以下の通りです。
 夏目漱石が生まれ育ち、その生涯をとじたまち新宿区に、
 漱石生誕150周年にあたる平成29年9月24日、
 漱石にとって初の本格的記念館が開館しました。

今年1月には、神楽坂や東京理科大学の周辺など、漱石ゆかりの地を歩きました。

また、早稲田と言えば、都電荒川線の西の終点。
東の三ノ輪橋から王子駅前までの区間は、ここ数年でも何回か乗っています。


というわけで。
王子駅前から早稲田まで都電荒川線に乗って。
早稲田周辺の夏目漱石ゆかりの地を歩いてきます。


新しい愛称「さくらトラム」こと「都電荒川線」は、東京に残る唯一の都電。
東の三ノ輪橋から西の早稲田まで、12.2km、30停留場。
JR王子駅前が、ちょうど中間点という感じです。
都電専用路線の部分もありますが、自動車との混合通行も。
王子の飛鳥山下での、一般道です。
都電の前に、自動車が割り込んだりね。
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停留所「鬼子母神前」で途中下車です。
停留所から参道はすぐです。大きなケヤキの並木です。
ロリ系ファッションと言うのでしょうか、そんな外国人の女性がいたり。
名物のススキのミミズクがあったり。
ご朱印も頂きました。
お納めは「お気持ちで」とのことで、それなりに。
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再度都電に乗り、もう一度「面影橋前」で途中下車です。

大昔のフォークソング「面影橋から」なんていうのが、ありまして。
六文銭の及川恒平という方の作詞作曲。
発表年は良く分かりませんが、1971年と書いているサイトがありました。
 「面影橋から天満橋、天満橋から日陰橋」と歌われています。
実在のこの橋がモデルという訳では、ないようです。

NSPの「面影橋」という歌もありました。
ウィキペディアで確認。
1979年3月21日シングル発売。
作詞作曲の天野滋さんは、2005年に亡くなっていたのですね。
こちらでは、こうです。
 「黄昏せまる面影橋に 見送るつもりで来たが
  帰したくなくなって さよならいえない」

かぐや姫の「神田川」も、この辺が舞台なのでしょう。
今は桜並木でキレイですが、私が高校生の頃は、もうねぇ。
桜なんてなかったですし、川自体もかなり汚かったと記憶しています。
そんな、いかにもアレな感じの場所だったのだろうと思います。

どうも前置きが長くなりました。
実際の「面影橋」です。
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この通り、何の変哲もない橋。
神田川沿いのソメイヨシノのつぼみは、今にも開きそう。
(帰宅後のニュースでは、この日に靖国神社の開花宣言がありました)
橋のたもとには、太田道灌の「山吹の里」の石碑があります。
セニアカーのおじいさんがいましたので、離れて撮影のみ。
豊島区教育委員会の説明文を一部抜粋します。

 「山吹の里」は、ここ以外にも、荒川区町屋、横浜市六浦、埼玉県越生などの説がある。
 この石碑は、貞享三(1686)年に建立された供養塔を転用したもの。 だそうです。

わが埼玉県の越生梅林では「NHK大河ドラマに太田道灌を」という署名活動がありましたっけ。

なかなか早稲田に着きませんが。
続きは後ほど。

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2018年3月 9日 (金)

眺めてきました「KDDI八俣送信所」

結城のひなまつりの帰りです。
茨城県古河市内の「KDDI八俣送信所」に寄ってみました。

去年もそばを通ったのですが、今回はすぐ近くまで行ってみます。


KDDIの関連サイトでは、以下のように紹介されています。
 日本で唯一の海外向け短波放送を行う「KDDI八俣送信所」だ。
 送信所の鉄塔をよく見ると、2本の鉄塔の間に細かい網目状の導線が張り巡らされている!

2009年まで、同じ古河市に「KDDI名崎送信所」というのがありまして。
私の大好きな映画「ガメラ2 レギオン襲来」の名場面の舞台になっているんです。

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 北海道から東京に向けて侵攻する、巨大レギオン。
 栃木県足利市で迎え撃つ自衛隊は歯が立たず、ガメラも大苦戦。
 そこに小型レギオンの群れが飛来し、絶体絶命の大ピンチ。
 名崎送信所から発する電波で小型レギオンをおびき寄せ、対戦車ヘリ部隊が殲滅!
 送信所の建物に侵入した羽根レギオンに、渡良瀬二佐は単身拳銃で立ち向かう!

いやもうたまらない、シリーズ屈指の名シーン。
舞台となった「名崎送信所」が見たかったですが、、、
今は工業団地になり日野自動車の工場になってしまいました。
仕方ありません。
代わりに、同じ古河市内の「KDDI八俣送信所」を見ておきます。

途中でスバル360が3台も置いてある家を発見。
県道沿いに、カンバンも出ています。
ゲートは閉まっていますが、特に警戒厳重と言う感じではありません。
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立入禁止の看板は、下に「通り抜け禁止」と書いてあったのが透けて見えます。
つまり、、、通り抜けが出来たのですね(^^;
別の入口は、がらんと開いていました。
さーて、鉄塔群とカーテンアンテナです。
このように、すぐそばで見物して記念撮影。
私のデジカメではうまく撮れませんが、鉄塔の間に網目状の導線が張られています。
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ガメラを別にしても、このような巨大構築物は、見るだけでも楽しいですねー。

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2018年3月 8日 (木)

歩いてきました「結城のひな祭り」その3

2018年3月3日(土)の続きです。

お蕎麦屋さん「田村そば店」で、おかめそば700円。
どーんと仙台麩が立っています。
えーと。
おかめそばって、具を並べて「おかめ」の顔に見えるのですよね。
ですがこちらは、特に顔に見えるというわけでも。
お雛さまには、キャラメルコーンなど、かわいいお菓子が飾られていました。
すぐ隣の「石島荒物店」も良い感じ。
ガラス窓の貼り紙は「子ども英会話教室」ですって。
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空き店舗を再生した、おしゃれっぽいカフェも数店。
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蔵に洋風の増築をした建材店、裏の三階建てと繋がるお茶屋さん。
呉服屋さんも、良いですねぇ。
カメラ屋さんには、振袖姿の広瀬すず。
さらに「カラー写真<現像・焼付>明日出来ます」という懐かしいカンバン(^^;
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時代は下がって、凝った意匠の赤い屋根は床屋さん。
建物両脇に塔のような飾りのついた建物は、何のお店だったのでしょう。
洋品店には、地元中学校の入学用品の立て看板。
手造りのパネルは、ポケモンとアンパンマン。
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というわけです。

お雛さまの展示は、真壁の約160か所に対し、こちらは37か所。
歴史的景観という意味でも、真壁ほどの密度ではありません。
また、休憩などの拠点も少なく、食事や物販のイベントもありません。

その代わり、看板建築などの昭和テイストも楽しめますし。
先のような話好きのダンナさん、良い感じのお店もありました。

これはこれで、良いですねぇ。
ビラには「近隣のひな祭り」として、真壁と筑西が紹介されていました。
これで来年は、お雛さまで三日を費やすことに(^^)

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2018年3月 6日 (火)

歩いてきました「結城のひな祭り」その2

2018年3月3日(土)の続きです。

さて、先に話を聞いた「結城蔵美館」に行ってみます。
一階はキレイなお雛さまやグッズ類。
こちらの上階に展示してある「御手杵の槍」のキャラクターグッズも。
あぁ、例の「刀剣乱舞」ですね。
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二階三階には、大演習と槍の展示。
失礼して、公式サイトから引用します。

大本営(陸軍特別大演習)の展示
 陸軍特別大演習が明治40年11月に結城を中心に行われ,
 全ての閣僚,陸軍・空軍の幹部をはじめ,
 明治天皇もお出でになり延べ3週間にわたり演習が行われました。
 当時の記録を残した写真集や記録誌等が展示されております。
へぇー。
展示パネルなども面白い。
結城小学校に設けられた行在所では、床下7センチまで土を入れ替え。
その上、熱湯洗浄とアルコール消毒が繰り返し行われたとのこと。

御手杵の槍展示(天下の三名槍の一つ)
 室町時代,駿河国嶋田の鍛冶師:五条義助に結城家17代当主・結城晴朝が作らせたものです。
 その後,結城秀康に伝わり,秀康の五男で結城氏の名跡を継いだ直基の子孫,
 松平大和守が受け継がれ,鞘の形が餅をつく杵に似ていることから,「御手杵の槍」と呼ばれました。
 御手杵の槍は,静岡県島田市より平成15年2月1日に当市へ寄贈されました。
この「御手杵の槍」は、各地でレプリカが作られているようです。
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問屋街の和菓子屋さん「富士峰菓子舗」。
和服の方が入って行くのを見て、吸い寄せられてしまいました(^^;
オミヤゲを買って、この場でも草もちをひとつ。
お茶を頂いて、話を聞かせて頂きました。
ヨモギは、今は除草剤や犬の散歩がありますからね。
そういう心配のない場所を知人に頼んで、そこで手摘みしているそうです。
お雛さまは、昭和3年31年56年と、三世代並んでいて微笑ましい。
残念。その次は男の子なのですって。
おまけです。
薬屋さんの前にはカタナ。
宇都宮ナンバーでしたから、観光の方でしょう。
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ホームページも見つけました。
優しい文章が良い感じです(^^)
Fujimine_201803

まだまだ終わりません。続きは後ほど。

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2018年3月 5日 (月)

歩いてきました「結城のひな祭り」その1

2018年3月3日(土)です。
茨城県西部の「結城市」に行ってきました。

ウィキペディアでは、概要以下の通りです。
・面積:65.76km2、総人口:51,476人
・伝統産業として全国的に有名な結城紬(国の重要無形文化財)がある。
 結城紬は、2010年11月16日にユネスコの無形文化遺産に登録された。
・鎌倉時代から城下町の基礎を形成しており、茨城県はもとより関東でも有数の古い城下町である。
・市内に25という数多くの寺院があり、市内北部の市街地に集中している。
 また、分院も含めると相当数にのぼる。
・神社も数多く、蔵つくりの街並みと相まって歴史深さを感じさせる街である。

なかなか良さそうです。
結城市でも「真壁のひな祭り」と同じようなイベントを開催しているようです。
せっかく行くなら、こういう機会の方が色々話も聞けそうです。
天気予報では、この週末は好天で気温も上がるそうです。
それでは、Breva750で行ってみます。

以前も書きましたが。
途中の道のりは、面白くも何ともありません。
平らで中途半端な田舎道と、流れの速い国道4号線バイパスを淡々と流すだけです。
さーて着きました。JR結城駅。
がらーん。
大変立派な「結城市民情報センター」。
図書館や観光拠点はもちろん、天体観測まで出来るようです。
結城紬の実演や、桐の加工品など。
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こちらでビラを貰って、歩いてみます。
Yuukihina_201803_1 Yuukihina_201803_2
展示ポイントは37か所です。
真壁の約160か所に比べますと、かなりの小規模。
後から気付きました。
この程度なら、順に全部回れば良かった。

まずは「石崎旅館」です。柱の上に大黒様。
近くのお寺の工事で滞在していた職人が、宿代の代りに彫ったものとのこと。
そのお寺の大黒様と同じ材木だそうです。
直接は聞けませんでしたが、後で調べると旅館はもう廃業しているようです。
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そこかしこに、往時を伝える立派な商家。
それにふさわしい、立派なお雛様。
私の好きな「出桁造り」も見られます。
裏手には、大谷石の蔵があったり。
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呉服問屋だったという「鈴木新平商店」さんです。
左側の立派な段飾りは、ごく最近のもの。
右側の御殿飾りは、相当に年季が入っています。
あまり見ないこの形式は、真壁でも多く見かけました。
由来は分からないが、当時は宇都宮のお店から購入しているそうです。
すごいのは、裃や陣笠です。
陣笠の裏の綿のクッション?は、縦に二列。
髷が崩れないように、中央が空いているとか。
それから明治大正期の写真帳のような本が多数。
日露戦争や明治天皇大葬の礼とか。
カラーの一枚物は、雑誌の付録。
軍艦の組立模型やカルタのようなもの。
明治40年の「陸軍特別大演習」の際には、大勢の軍人を泊めたとか。
へぇー。
明治時代に大規模な軍事演習があり、臨時の大本営が設置されたんですって。
資料は「結城蔵美館」に展示してあるそうで。
それではこれから、そこに行ってみます。
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続きは後ほど。

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2018年2月28日 (水)

うろうろ「秩父市内と宝登山の蝋梅」

2018年2月25日(日)です。

もうすぐ3月。
越生の梅も長瀞の蝋梅も、そろそろ見頃でしょう。
どちらにするか迷いました。
そうだ、秩父市内のパリー食堂にも行こうと思いつきました。

というわけで。
まずは、おなじみ秩父市内のレトロな街並みです。
「すてきな貴女にピッタシカンカン」
うーん。
たまりませんねぇ。
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さて、パリー食堂なのですが。
残念。お休みでした。
仕方ありません。近くの「活々亭」で、豚みそ丼850円。
サービスでコーヒーも頂いてしまいました。
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更にぷらぷら。
へぇー。
ポエトリーカフェ武甲書店の「映画茶会」ですって。
おっ。
おなじみ「ツインスター」のカンバンがあります。
ドローンやRCバギーなどを扱う「フリークスガレージ」というお店。
ウチではドローンではなくてUAVと呼んでいます。
プロパイロットの養成講座もやっています。
ははぁ。
UAV = Unmanned Aerial Vehicle = 無人航空機ですか。
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埼玉県秩父郡長瀞町に移動です。
ロープウェイの乗り場には、秩父鉄道の鉄道むすめ「桜沢みなの」。
ここは宝登興業株式会社という別会社なのですが。
なるほど。
ウィキペディアによりますと、主要株主は秩父鉄道(99.5%)だそうです。
大人往復820円。
まずは宝登山神社の奥宮へ。
秩父のお約束、狛犬は狼です。
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宝登山は標高わずか497mですが、いくらか寒く感じます。
一面の蝋梅園はほぼ満開。
福寿草や紅白の梅も咲いています。
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ロープウェイは「もんきー」「ばんび」。
製造年は、なんと昭和36年8月と表記されています。
そうかー。
私が子どもの頃に乗ったゴンドラそのもの、なのですね。
傾斜計やスイッチボックスが、なかなかの風情(^^;
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ウィキペディアによりますと「関東最古の搬器」だそうです。
へぇー。
ロープウェイのアレはゴンドラという呼び方しか思いつきませんでしたが。
日本語では「搬器」と言うのですか。

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2018年1月18日 (木)

行ってきました「江戸東京たてもの園」その5

もうこれ位で終わりにします。

建築家の前川國男の自宅です。
ル・コルビュジエの弟子で、東京文化会館や国会図書館などを手掛けた方。
表札のある門柱は、我が北関東栃木県産の大谷石ですね。
山小屋風の広く明るい吹き抜け。
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八王子千人同心組頭と、農家の綱島家
小学生の体験学習などにも活用されているようです。
農家の家屋ですと「田の字」配置が典型と思っていました。
そうではない、年代による配置の変遷も良く分かりました。
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収蔵品の展示「武蔵野の歴史と民俗」。
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模型と共に詳細な説明パネル。
売店には、和風小物などや建築関係の本など。
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というわけで。
たちまち、16時30分の閉館となりました。


大変に見応えがあったのですが。
私は、埼玉県北部在住です。
わざわざ1時間も電車に乗って復元展示を見に行くまでもなく、
近所には、古ぼっちい建物なんて、いくらでもあるのですけどね(^^;

それからもうひとつ。
ここにあるのは「失われてしまうには惜しい」名建築ばかり。
それでは「惜しくない」建築はどうなのか? と思います。
例えば、江戸時代の棟割り長屋は消え去ったとして。
まだ少しは残っている、豪農ではない普通の農家。
昭和のスレートやトタン屋根の庶民の家 とかですね。

棟割り長屋や昭和の団地などの再現展示は、結構あるのですが。
ここ数年で私が見てきただけでも、こんな感じ。
 江戸東京博物館のひばりが丘団地

そうでなくて、ホンモノの庶民の家を残すのは、、、やはり難しいでしょうか。


おまけです。

JR東小金井に向かう途中に、下村湖人ゆかりの浴恩館公園。
日本青年館別館「浴恩館」という建物があり、今は文化財センターとして使われているそうです。
下村湖人は、小説「次郎物語」の作者です。
私は小学生の頃、偕成社のジュニア版日本文学名作選で読みました。
この作品を執筆した建物があるとのことだったのですが。
なんと、平成25年に焼失したそうです(^^;
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驚いたことに、この選集の全目次がネットに上がっていました。

道はすっかり暗くなりました。
駅まで歩いて、もう帰りましょう。

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