ウォーク

2017年5月28日 (日)

レッツ4とGROMで「尾道~しまなみ海道~とびしま海道」その5

2017年5月21日(日)の続きです。

岡村島からは「とびしま海道」です。

大崎下島の重要伝統的建造物群保存地区、港町「御手洗」
住所としては、広島県呉市豊町御手洗。

以下、観光協会の紹介文を抜粋です。
 江戸時代より風待ち、潮待ちの天然の良港とされていた御手洗は
 人と情報が集まる要衝地として十八世紀に入って急速に発展した。
 四軒の「茶屋」が置かれ花街として歴史に色を添えた遊女達。
 夕暮れ時、聞こえる三味の音、無数の宿の灯りなど、海面に映える
 隆盛の輝きは黄金の島にふさわしい景色だったことでしょう。

かつての港の繁栄を物語る、大きな高灯篭。
花街のお茶屋だったという、若胡子屋。
自転車は、この町出身の中村春吉という方にちなむもの。
明治時代に自転車による世界一周無銭旅行をした方だそうです。
20170521_11

後で確認すると、押川春浪が中村春吉の旅行記を出していました。
ドリルが格好良い、東宝怪獣映画「海底軍艦」の原作者です。
Harukiti_201705

凝った作りの塀が続いていたり。
昔の喫茶店の看板があったり。
石垣の上は満舟寺というお寺。
学校ありの道路標識が楽しいです。
すぐそばに「御手洗幼・小・中学校」の跡地がありました。
中学校は昭和35年に豊島中と、小学校は昭和48年に豊島小と統合されたとのこと。
20170521_12

後で確認すると、橋でつながれた隣の豊島のことですね。

石碑の校歌を転記します。

 一、歴史の色もうるわしく
   花の港とうたわれて
   このよきそのに生いたらし
   学びの庭につどう子よ

 二、一峰山のそれのごと
   高くみがけよわが徳を
   ひろがる海の水のごと
   潔くおさめよわがわざを

 三、わが御手洗のほこりなる
   かの菅公をかがみとし
   日頃むつみて吾が友よ
   至誠の道にいそしまん

作詞者や作曲者や制定年がわかりません。
しまった。
きっと石碑の裏側です。
見損ねてしまいました・・・

で。
キレイに整備された保存地区も結構なのですが。
すぐそばの路地の宇津神社周辺です。
突然、GROMの^n^くんがわき道にそれました。
おぉ。
川沿いに続く板塀み。
三階建ての何かの会社。
これはすごい。
リアルに息づいている、伝統的建造物群ですねぇ。
さすがは^n^くん。
20170521_13

後で確認すると、ストリートビューでも詳しく紹介されていました。
Uzujinjya_201705

なかなか先に進めませんが。
続きは後ほど。

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2017年5月18日 (木)

再訪です福島県「喜多方~会津若松」その4

2017年5月13日(土)の午後です。

会津若松市内の、飯盛山です。
雨はやまず、観光客も少なくて閑散としています。
小さな山ですが、以前からある「動く歩道」大人250円。
ここにも「八重さん」
手塚治虫のパネルは「NPO法人 会津マンガ文化研究会」作成。
2017513_13

まずは白虎隊のお墓に手を合わせて、自刃の地も見学。
雨にかすんではいますが、お城も見えます。
観光ボランティアの方も、ちゃんと立っていました。
さーて。
山の裏手の「ささえ堂」です。
新しい立て看板が出来ています。
 日本遺産
 会津の三十三観音めぐり ~巡礼を通して観た往時の会津の文化~
 旧正宗寺三匝堂
 1796年に建立された、高さ16.5メートル、六角三層の堂であり、正宗寺の
 住職であった僧郁堂が考案した。
 (以下略)
2017513_14
以前は、西国三十三観音像が安置されていたそうです。
明治時代の神仏分離令で取り外し、その後「皇朝二十四孝」の絵額が掲げられたとのこと。
古来「二十四孝」は様々なものがあるようですが、江戸時代の藩主松平容敬が編纂したものだそうです。

入り口には、昭和43年に天皇皇后両陛下(当時の皇太子)の来訪の様子。
もうひとつは、埼玉県本庄市の成身院さざえ堂と、群馬県太田市の曹源寺さざえ堂。
これで「日本三大さざえ堂」なのですね(^^;
「皇朝二十四孝」の絵額は、薄れている上に、暗いし金網もあって、ほとんど分かりません。
外の通路には、色あせたJRのポスター。
下には、手書き文字の看板。
 さざえ堂
 特色
 一、上りも下りも階段がない。
 一、一度通った所は二度通らない。
 ・ご希望の方は、お見逃しないよう、案内人にお申し出下さい。
 ・土足のまま、二~三分で見られます。
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拝観料は、大人400円、大・高生300円、中・小生200円。
この前に来たのは10年以上前ですが、、、全く変わらない風情です。
表現を変えますと、、、昭和の観光地の雰囲気そのまま(^^;

驚くべし。
ウィキペディアから一行抜粋。
 神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、
 以後、栄螺堂は個人の所有となっている。

会津さざえ堂公式サイト
Sazaedo_201705
有限会社 山主飯盛本店
代表取締役 飯盛正徳   とあります。

なるほど。
それでは、巨額の費用をかけた全面修復など、到底出来ませんね。

さーて、そろそろ引き上げです。
一応、スペイドくんも記念撮影。
遊覧船の浮かぶ猪苗代湖も雨の中。
福島市内に抜ける「道の駅つちゆ」も雨の中。
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2017年5月17日 (水)

再訪です福島県「喜多方~会津若松」その3

2017年5月13日(土)の午後です。
会津若松市に移動しました。

若松城です。
鶴ヶ城とも聞きますが、それは地元の呼び名だそう。
会津若松城とも呼ばれるようで、ややこしい。

こんな内容の看板がありました。

 昭和9(1934)年、鶴ヶ城が国の史跡に指定され
 当時の文部省は所在地名を登録名としました。
 このため、公式には『若松城』と登録されました。
 一般的には『鶴ヶ城』が有名ですが、古い文献
 などでは『会津城』と書かれていることが多いようです。

おなじみ名古屋城と同じ、コンクリート製の復元天守
調べたら、施工も同じ間組です。
 名古屋城天守閣再建は1959年。
 会津若松城天守閣再建は1965年。
内部が博物館になっているのも、同じです。

入り口では「お城ボくん」がお出迎え。
会津若松市出身、タツノコプロの笹川ひろし氏の制作。
内部には、注意書きが沢山。
そうでした。「ならぬことはならぬものです」の土地柄(^^;
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のコーナーも。
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干飯櫓南走長屋は、木造で復元されたもの。
土産物コーナーに活用されたり、展示物があったり。
格好良いイラストは「諏訪原寛幸」氏によるもの。
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そう言えば。
2013年の春の連休には「八重の桜」ブームで会津若松市内に入ることも出来ませんでしたっけ。
2016年の春に行った埼玉山西省友好記念館でも「諏訪原寛幸」氏の作品は人気のようでした。

もう少しだけ続きます。

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2017年5月16日 (火)

再訪です福島県「喜多方~会津若松」その2

2017年5月13日(土)の午後です。

先日もちょっとご報告した、
煉瓦蔵の若喜商店の「若喜昭和館」です。
お店の二階が、非売品の展示室です。
おほー、すごい。
レアなプラモデルが沢山あります。
駄菓子屋にぶら下がっていた「GO!GO!ボート」
小松崎茂先生の箱絵の「日模 警視庁パトロールカー」
水着の女性は松尾ジーナ?「日東 ダックスホンダ」
これは古い「イマイ ミリオンレーサーシリーズ ベンツ」と「B,R.M.」
そして、ソフビ怪獣に囲まれた、ポインター号
ミサイルは1発は発射済みで、絶体絶命のピンチ(^o^)
よく見ると、味方のミクラスもいましたね(^_^;
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あれー知りません「SANWA PLASTIC PROPRAIL マッハ」とあります。
モーターはTKK NO25 電池は単3 2本使用。
プロペラで動くモノレールでしょうか。
あとはもう。
「三共 フライングサブマリン マリンキング」
「ミドリ SFシリーズ 地中戦車 キングモグラス」
「日模 万能海底探検戦車キングシャーク」
「イマイ 連結戦車クローラー」
大昔、お年玉を全額投入して買ったものでした。
最近はネット上で眺めることはできますが、現物を見ると感慨ひとしおです。
箱の厚みは、こんなモンだったのですね。
最近のガンプラ豪華仕様などとは、違いますね。
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古いロゴで機種名がカタカナのタミヤの飛行機
マルサンの人体解剖模型(^^;
当時、乳牛やバッタなどがシリーズで並んでいたのを覚えています。
一体誰が買ったのでしょう?
ブルマァクの物は初めて見ました。再販でしょうか?
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お店のご主人とお話をさせて頂いて、キリがないので、この辺で。
オミヤゲは、「オリエンタル マースカレー 粉末タイプ 300円」

ちなみに。
キングシャークは、現在ヤフオクで即決45,000円。
Kingshark_201705
うーん。
うなりつつ、会津若松に向かいます。

続きは後ほど。

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2017年5月14日 (日)

再訪です福島県「喜多方~会津若松」

2017年5月13日(土)です。

前日までの好天から一転して、日本中が大雨の予報です。
やれやれ。
早朝からスペイドで喜多方市へ向かいます。

大きい傘で、街中を歩きます。
まずは、本と文房具の「松本屋」さんです。
昭和初期の「店蔵」ですね。
どうぞどうぞと、靴を脱いで二階のお座敷を見せて頂きました。
2017513_01

その後、お店をうろうろ。
数は少なくても、良心的な品ぞろえに感心させられます。
特に児童書は充実していました。
永遠の定番「ぐりとぐら」の隣は、最近話題の「ダースヴェイダー絵本」
なんと、ダースヴェイダーが4歳のルークを育てているんです。
 今は本屋さんは厳しいですねぇ。
 そうですよねぇ、本や雑誌離れ、その上購入はネットですもんね。
 でも、子どもの本くらい、実物を見て買ってあげたいですよね。
貼り紙も良いですねぇ。
 積ん読も"読書"
 そこにその本があるだけで
 あの本があるなと思うことも
 読書の領域に入ってきます。
 "積ん読"といって読まないけれ
 ども読むというか、その本と
 付き合うという読書の仕方が
 あります
 "門前の小僧ならわぬ経を読む"
 そういう状態が積ん読では
 ないでしょうか。
お土産に、文庫本を少し買って。
お隣にも、同じ松本屋という建物。
カンバンは、先日と同じ、ロボコンの小学館の学習雑誌。
聞きそびれましたが、昔は文房具と本屋で別店舗だったのでしょうか。
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先日は閉まっていた「マルヤ玩具店」さんです。
 済みません、見るだけなんですが・・・
 どうぞどうぞ(^^)
流行のおもちゃに交じって、古いスーパー戦隊とか、フランス人形とか。
タミヤのラジコン「ボルテックファイター」
1997年頃の商品です。
私の昔のホームページ
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お昼は、名物の「喜多方ラーメン」
私は特にラーメンには興味はないのですが、せっかくですもんね。
松本屋さんで紹介して頂いた「香福」さんです。
ある人気店で修業して独立したお店で、間違いないですよ、とのこと。
普通のラーメン600円。
チャーシューとメンマとネギだけのシンプルな構成。
チャーシューがこってり、スープはさっぱり味。
大変美味しく頂きました。

続きは後ほど。

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2017年5月12日 (金)

再訪です「野木町煉瓦窯~野木神社~新井家ふるさと記念館」

2017年5月7日(日)です。

良く晴れた穏やかな連休最終日。
つい先日、2月に行った野木町ですが、見損ねた場所を補完してきます。

午前の遅い時間に出発して、野木町煉瓦窯の到着はお昼になりました。
併設のカフェで、サンドイッチのセット950円。
屋外テーブルで煉瓦窯やメタセコイアの並木を眺めながら、のんびりと。
隣の乗馬クラブからのお客さんも結構いるようです。
案内画像を見ると、向こうがメインの施設みたい。
20170507_01

すぐそばの野木神社へ。

さほど大きな神社ではありませんが、カメラや双眼鏡の人が10人位。
大きな銀杏の木に、フクロウの親子がいるのですって。
親鳥だけですが、しっかり見ることが出来ました。
いつも持っているオリンパスのモノキュラーiで、ちょうど良く見えました。
ご朱印も頂いてと。
絵馬を奉納する「絵馬所」を見ると、なにやら丸いものが。
20170507_02
お、ウィキペディアにも載っていました。
 境内には、田村麻呂の手植えと伝えられるイチョウの木(推定樹齢1200年)が現存する。
 出産した女性が、乳の出が良くなるようにと願って、白布に米ぬかを入れて
 乳房を模したものをこのイチョウに奉納するという民間信仰がある。
へーえ。

新井家ふるさと記念館(旧新井製糸場)

煉瓦窯から、歩いて10分ほどです。
行ってみると、個人のお宅なんですね。
奥から、おひげの立派な年配の男性が出てきて、対応して下さいました。
80代とのことですが、大変お元気でした。
以前は製糸場だったそうです。
事務所の家屋、漆喰の蔵、煉瓦の倉の3棟が、登録有形文化財。

事務所だった日本家屋は明治26(1893)年の築造。
新井家は、古河藩主の土井侯から杉の大木を一本まるまる頂いたそうです。
その木を製材して、20年以上乾燥させて建てたとのこと。
つまり、幕末の頃の話なのですね。
この方が、子どもの頃におじいさんから話を聞いたそうですよ。
で、「四方柾目の柱」や「一枚板の床の間天井」などなど、じっくり解説して下さいます。
20170507_03

煉瓦の倉は、明治35(1902)年に建てられたそうです。
使っているのは変形や変色した「屑煉瓦」。
なるほど、外観からも不揃いなのが分かります。
内部には、製糸場に関する物品がぎっしり。
20170507_04
その他、ホフマン窯の煙突の内部調査用ビデオカメラとか。
展示資料や機材は、全部この方の手作りとのこと。
1時間半、しっかりと説明して頂きました(^^;

いやーもう、お腹いっぱい。
野木町は、一応これで満足、ということで。

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2017年5月11日 (木)

歩いてきました「郡山市内~白河小峰城~白河市内」その3

2017年5月5日の午後の続きです。
白河小峰城址の公園の隅に、石碑がふたつ。
碑文を転記してみます。

明治20年8月19日 白河皆既日食の碑
  明治20年(1887)8月19日の午後、明治に入って初めて国内での皆既日食が起こり、
 アメリカのアマースト大学の日食観測の大家D,P,トッド博士の観測隊一行がはるばる
 来日し、白河を観測地に選びました。
 (中略)
 また、この皆既日食の観測隊や見物客を運ぶため、鉄道を突貫工事で開通させ
 白河駅を開業したとも伝えられています。

ハルマ和解
  『ハルマ和解』(別称江戸ハルマ)は、我が国初めての蘭日
 事典である。
  十八世紀末、稲村三伯ら江戸の蘭学者は、オランダ語の
 辞書の編纂を企て、大槻玄沢を介し、フランソア・ハルマ
 の蘭仏事典の和訳の協力を、白河藩主松平定信公に召し抱
 えられた元長崎通詞の石井庄助(恒右衛門)に懇請した。

  石井は寬政六年(一七九四)、江戸より帰国する定信公に
 随従して白河に来ても、この翻訳に従事した。白河に在っ
 ては、藩校立教館の蘭書局でオランダ語を教えている。
  翌年江戸に戻り、稲村三伯・宇田川玄真ら蘭学者がさら
 に校訂を加え、寬政八年完成刊行した。杉田玄白は、『蘭学
 事始』で「ハルマ釈辞の書は全くこの人(石井)の力によ
 れり」と述べている。
  松平定信公は「遼西ドドネウス草木譜」の翻訳刊行を白
 河藩の事業として行うなど、蘭学に対する貢献は大きい。

 「一滴の油、これを広き池水の内に点ずれば、散って満池
 に及ぶとかや」『蘭学事始』
                社団法人 白河青年会議所

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ふぅ。
売店で一休みすると、なにやらご当地萌えキャラ。
小峰シロさん。こちらは簡単。
 皆さん
 はじめまして
 小峰シロです!!
 ヨロシクね

さすがに疲れてきました。
後は、さくっと流しましょう。

町なかも歩いてみます。
時代の付いた染物屋さんや薬屋さん。
聖ハリストス正教会。
午後3時までは特別公開だったそうで、わずかに遅れて残念。
全国各地の関連する教会を思い出します。
 東京復活大聖堂(ニコライ堂)
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街角には「リアルタイム放射線測定システム」・・・
Shirakawa_201705_1

街中の観光拠点や、遊歩道の復元水車。
20170505_15
ご当地ヒーローのダルライザー
Shirakawa_201705_2

帰路の渋滞も、気にはなるのですが。
昨日の裏磐梯からは、かなり帰路は短縮されていますからね。
夕暮れまで街歩きを楽しんで、ゆっくり帰りました。

喜多方、郡山、白河。
どこも大変良かったですが。
もっとゆっくりしたかったですが。
だからと言って、郡山や白河だけで丸二日というわけにも。

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2017年5月10日 (水)

歩いてきました「郡山市内~白河小峰城~白河市内」その2

2017年5月5日(金)の午後です。
福島県白河市に移動しました。

まずは、JR白河駅すぐそばの、白河小峰城
国指定文化財、日本100名城のひとつ。
ここには、立派な木造復元天守があるそうです。
4月の名古屋城復元の心配の参考になるかも知れません、、、
なんて言って、私が参考にしても仕方ないのですが(^^;

小峰城跡は、キレイな公園として整備されています。
遅めの昼食は、近くの「城山坊」という小さなお蕎麦屋さん。
静かで雰囲気の良いお店で、値段も意外にリーズナブル。
良いお店でした。
ちなみに。
城跡から歩ける範囲には、食事をするお店がほとんどありません・・・
石垣は、東日本大震災でかなりの被害を受け、今も修復工事中。
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石垣と白い門に囲まれ、青空に映える三重櫓は、小さいながら大変立派です。
戊辰戦争によって焼失し、1991年に作られた木造復元天守。
釿(ちょうな)の跡の残る太い梁。
床材には、戊辰戦争の弾痕。
復元工事に激戦地の杉を使っていて、偶然発見されたそうです。
20170505_12

これは立派なもので、見ごたえ充分でした。
名古屋城もこうなるとして、、、
失礼ながら、規模も観光客数も桁違い。
松本城などと同様に、動線が心配です。
それから、これまでの展示品のために、博物館も別に作らないと。
コンリート天守閣も、壊すのはもったいないし。
どうしますかねぇ。
私が悩んでも(以下省略)

公園の隅に石碑がふたつありました。
碑文を転記してみます。

長くなりそうなので、後ほど。

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2017年5月 9日 (火)

歩いてきました「郡山市内~白河小峰城~白河市内」

2017年5月5日(金)です。

日本遺産というのがありまして。

平成28年4月25日 福島県 郡山市・猪苗代町
未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-
Nihon_201705
 明治維新後、武士の救済と、新産業による近代化を進めるため、
 安積(あさか)地方の開拓に並々ならぬ想いを抱いていた大久保利通。
 夢半ばで倒れた彼の想いは、郡山から西の天空にある猪苗代湖より水を引く
 「安積開拓・安積疏水開さく事業」で実現した。
 (中略)
 この事業は、猪苗代湖の水を治め、米や鯉など食文化をいっそう豊かにし、
 さらには水力発電による紡績等の新たな産業の発展をもたらした。

というわけで。
猪苗代は何度も行っていますので、今回は郡山市内を歩いてみます。

郡山公会堂
まずは、外から眺めるだけです。
ウィキペディア抜粋。
 1924年(大正13年)9月の郡山市の市制施行を記念し、その翌月10月に完成した。
 オランダデン・ハーグの平和宮、および大阪市の大阪市中央公会堂がモデルと伝えられている。
すぐ隣には、新設の大きなホールがあります。
それでも、きちんと維持活用されているというのが、良いですね。
前庭に「ボクの街 郡山」という歌碑。
ちょっと楽しいので全文転記します(^^)

 ボクの街 郡山
    内海 久二
 恋とは楽しく 悲しいものと
  麓山の松風 ささやいた
 泣くのはおよしと 弁天池で
  優しく微笑む お月さん
 ああ 想い出の 夢が住んでる
  ボクの街 郡山

20170505_01

郡山歴史資料館
郡山公会堂のすぐ隣にあります。
開館時間までかなり間があるので、外から眺めていたら。
なんと、館内の照明を点けて、館長さん自ら説明して下さいました。
 安積地方の絹産業については「もう桑畑などの痕跡はありませんねぇ」とか。
 太平洋戦争の頃は「軍都」で、毒ガスの秘密工場計画があったとか。
 東口には爆薬のカーリットの工場があったとか。
 日大理工学部の敷地も陸軍の施設だったとか。
残念ながら内部は撮影禁止で、画像はありません。
こちらも図書館だった建物の転用です。
設立記念の壁画が残っていたり、大切に使われている様子が伺えます。

安積国造神社
郡山駅すぐそばの神社です。旧社格は県社。
神楽殿には大きな「おかめ」の面。
門前町にはなんとも時代の付いた喫茶店。
すぐ裏の幼稚園の脇には、立派な「郡山市耕地整理記念」の石碑。
大正15年(1926年)6月 郡山市耕地整理組合。

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旧福島県尋常中学校本館
国指定重要有形文化財、近代化産業遺産、先の日本遺産の構成施設。
1889年に建てられた旧制中学校の本館。
今は、県立安積高等学校になっています。
1984年に高校の創立百周年記念事業として「安積歴史博物館」として一般公開。
さて見てみましょう。この通り、堂々たる木造校舎。
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古い蔵書や歴代の教科書が、自由に見られます。
えー、紫式部日記註釈、他に天保15年の古事記伝、安政3年の万葉集略解とか。
遠慮なくめくってみます。すらすら読めたら楽しいでしょう。
戦後の民主化教育の時代の「家庭科」。
 家長制度による、お母さんだけ忙しいのは間違い。
 民主的な家庭は、家族同志相手の人格を尊重しあう、と説いています。
理科や数学は、言い回しが古いだけで今とさほど変わらなかったり。
卒業生の実績展示。
芥川賞作家が3人。
日本初の角膜移植の今泉亀撤博士の紹介など。
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2階に上がります。
階段の踊り場やテラスも良いデザイン。
外を見ると、吹奏学部の練習の音。
放送部の腕章を付けた女子高生がビデオ撮影していたり。
教室の再現展示。
机と椅子が一体式になっています。
お約束のいたずら彫刻。
根性とか無我とか、立派な文字もありますが。
個人名では、吉永小百合岩下志摩倍賞千恵子(^^;
黒板に何やら書いてあるのは、、、
おっと。
プログラム言語のお約束「Hello, world」のソースコード(^^;
広い講堂にはパイプ椅子。
ここは今でも安積高校で使うそうです。
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ちなみに。
今の安積高校は、偏差値67福島県内2位と大したもの。
これはどうも、思っていた以上に時間をかけてしまいました。

まだまだ見どころもあるのですが。
これ位にしておきます。
高速道路で移動します。
続きは後ほど。

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2017年5月 8日 (月)

歩いてきました「浄土平~五色沼~喜多方」その2

2016年5月4日(木)の続きです。

喜多方市について、ウィキペディから抜粋。
 日本三大ラーメンの一つに数えられる喜多方ラーメン発祥の街、
 蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の街」として知られる。
 面積 554.63km2
 総人口 48,278人 (推計人口、2017年4月1日)

この街は、ここ数年では F800STレヴォーグで来ています。
二回ともゆっくり出来なかったので、今日はじっくり歩きましょう。

明治から昭和にかけての古い建物がたくさん。
角地の店舗の裏は、贅を尽くした煉瓦造の蔵座敷。
木骨煉瓦造の金田洋品店は文字もハイカラなデザイン。
旧甲斐家の店舗には、中心柱のない木造螺旋吊り階段。
奥の母屋も、大変な豪華建築。
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街中の小さい家も、見どころたっぷり。
表通りから引っ込んだ新明書店。今は営業していないんですね。
看板は「がんばれ!!ロボコン」。ということは、1975年前後ですか。
電動工具のお店は屋根の傾斜が、いかにも雪国。
屋根裏は、どう活用されていたのでしょうか。
長ーい建物が、数軒のお店に分割されています。
一番手前は自転車屋さん。
色あせた「石丸サイクル」「片倉のシルク号自転車」の看板。
そばに寄ると、休業の貼り紙。
「100kmサイクリングの為」ですって(^^)
別の自転車屋さんには、ドロップハンドルの2台。
なんと「カワムラのニシキ号」。
先端メッキのフォーク、ちょっと上向きのランドナーバー。
ダイアコンペの補助ブレーキレバー。
昭和の普及価格帯サイクリング車のテイスト満載で、たまりません。
これならもう、ヴィンテージとして値段が付きそう。
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さらに細かい話です。
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會津風雅堂について。
あちこちの商店に「会津新作シネマ上映会」のポスター。
5月20日(土) 會津風雅堂
 10:00- 超スーパーヒーロー大戦
 12:20- 君の名は
 14:45- チア☆ダン
 大人1400円 中学生以下(3才より) シルバー(60歳以上)1000円
川越のスカラ座のような所かと思ったら、違いました。
 公益財団法人 会津若松文化振興財団
 1階1158席、2階600席
会津若松市にある、キレイで大きな公共施設なんですね。
Fuugadou

ついでに、映画館について調べてみます。
現在、ここ喜多方市には、映画館は一つもなし。
会津若松市は、どうでしょう。
会津地方の中核都市で人口約12万人。
 NAVITIMEでは「会津東宝劇場」「栄楽座」の2館。
 YAHOO!ロコでは「会津東宝劇場」1館だけ。
 GoogleMapで見ると「会津東宝劇場」は、今は「東宝パーキング」。
 個人のブログによりますと、2012年に火事で営業終了とのこと。
う~ん、そうですか。

懐かしプラモについて。
レトロな土産物店に、プラモデルが結構たくさん並んでいました。
 タミヤの1/12ビッグスケールシリーズです。
 ゴールドリーフロータス49Bは「当時物12000円」
 ホンダF-1は「再販80年ころ4000円」
グンゼの軽装甲偵察車シュペーアは「絶版 定2600円→1800円」
概ね妥当なネダンのようです。
まぁ買う人は少ないでしょうが、聞かれたら答えられるようにしてあるのでしょう。
その上には、PLATZのヤークトティーガー 黒森峰女学園ver. (^_^)


ラーメンについて。
年表がありました、数字は店舗数と観光客数。
 1975年 約 60軒   5万人 NHK「新日本紀行」その後若い女性が目立ってくる
 1985年 約 60軒  25万人 るるぶや週刊誌のグラビア
 1990年 約115軒  68万人 喜多方、札幌、博多のラーメンソング
 1993年 約120軒 102万人 佐野市でラーメンサミット
 1994年 約120軒 100万人 横浜ラーメン博物館
なるほど。
今日も、人気店の前には行列が出来ていました。
今の若い人って、ラーメンが好きですもんね。
全国的なラーメンのブームに乗って発展してきたのがわかります。

キリがないので、このへんで。

ここ喜多方市は「重要伝統的建造物群保存地区」という訳ではありません。
特に「一定時期の建築様式が集中している」というわけでは、ないですからね。
明治から現在に至る様々な建物が混在しているのが、面白いところだと思います。

また、あざとい和風レトロ風観光施設は、ほとんどありません。
もちろん、味噌醤油の店がレトロ風土産物を並べたりの業態転換はあります。
でもこれは歴史的建造物の維持として、意義のあることですからね。
見せて頂いたお店は、どこも穏やかで親切。
買い物もしていないのに、プレゼントの草花の苗をくれたり。
連休というのに、普通に定休日になっているお店も多数。
全体として、穏やかな良い雰囲気の街ですね。

さーて。
宿泊は、郡山市です。
移動は約70kmを1時間ちょっと。
続きは後ほど。

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