記念碑

2017年10月 5日 (木)

Breva750で、照葉峡~金精峠~日光いろは坂~杉並木 その3

最後は「女人堂」です。
ステンレス製の立て札がありました。
20170930_08
----------------------------------------

日光市指定文化財

 女人堂 にょにんどう

種別 有形民俗文化財(信仰)
員数 一棟
規模 桁行 3.363m
   梁間 3,454m
   軒高 2,666m
   棟高 3,757m
   建坪 13.3m2
構造 木造切妻作り屋根目板打鉄板葺
建築年代 江戸時代(現在の建物 対象三年七月再建)

 男体山は二荒山神社の鎮まる山で神聖なところと信仰されていたため、牛馬はその
地名が示すように馬返しまでで返され、いろは坂への乗り入れが禁じられた。また、
女性も巫女石の伝承があるようにいろは坂を登ることが禁じられ、馬返しの先の深沢
まで行くことが許され、そこに女人堂を建て男体山を遥拝したと伝えられ、元々は門
であったとも云われている。
 古い信仰文化を示す貴重な遺跡である。

 昭和五十八年七月三十日指定
                               日光市教育委員会

----------------------------------------
ウィキペディアによりますと。
男体山が女人禁制牛馬禁制だったのは、明治時代初期まで。
今の「第一いろは坂」の元になる道が作られたのは、大正時代。
ということは。
女人禁制の頃は、まだ「いろは坂」とは呼ばれていなかったのでしょう。
としますと「いろは坂を登ることが禁じられ」は、どうかと思いますが。

第二いろは坂が作られ、上り下りの一方通行になったのが1965年。
その時に合計48のカーブで「いろは坂」と名付けられたのだと思っていたのですが。
それ以前から、そう呼ばれていたのでしょうか?
もしかすると狭い道のつづれ折りで、今の「第一いろは坂」だけで、
カーブが48あったのかも知れません。



その後、日光市内を抜けて今市まで。
最後の目的地、国道119号沿いの杉並木の中を通ります。
クルマでは何度も通っていますが、バイクでは今回が初めて。

「昼なお暗き杉の小径」おっと、これは場所が違いました。

杉の根を保護するため「ポカラ工法」が使われているそうです。
20170930_11
畑土や畜産堆肥を詰めた中空コンクリート(ポカラ)を埋設し、
道路面と並木敷の高さを同じにすることにより樹根の生育領域を拡大する工法。

というわけで。
関越道の水上インターから、日光宇都宮道路の今市インターまで。
約150㎞、見どころいろいろ、楽しんできました。
自宅までは、高速道路で全体で400kmほど。
以前も一度書きましたが、快走率30%以上の、良い感じのルートです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 3日 (火)

Breva750で、照葉峡~金精峠~日光いろは坂~杉並木 その2

2017年9月30日(土)の続きです。

目的地はいろは坂、と言っても。
別にダウンヒルを攻めたいわけではありません。
昔から気になっていた、途中のポイントに寄ってみます。
クルマでは途中で停車は無理ですが、二輪車なら大丈夫。



まずは「中の茶屋」です。
20170930_06
左側の東屋は、特になにもない建物だけでした。
右側の少し奥に、石碑がふたつありました。
白い方は結構古く、黒い方はごく最近のもの。

黒い方は、鮮明に文字が読めました。
----------------------------------------
・表面
 中の茶屋石標
 構造 御影石造標
 刻銘
  明治天皇中茶屋御野立所
 史蹟名勝天然記念物保存法に
 依り史蹟として
 昭和十四年九月文部大臣指定
 昭和十五年十月建設
・裏面
 中の茶屋石標案内板改修工事
  平成二十六十月建立
     日光二荒山神社
      宮司 吉田健彦
----------------------------------------
へぇー。
明治天皇が、ここで野点をしたのですか。
白い方が昭和15年に建てられたと。
それが老朽化して、平成26年に新しい石碑を追加したと。

「史蹟名勝天然記念物保存法」とありますが、、、
「史蹟名勝天然紀念物保存法」が正しいようです(^^;
1950年に廃止され、文化財保護法に受け継がれたそうです。



次に、壁面にレリーフのある謎のスペース。
20170930_07
狭いですが、一応展望スペースなのでしょう。
全体として結構傷んでいます。
クルマで停められそうですが、ちょっとねぇ。
まず、レリーフです。
----------------------------------------
日光有料道道路完成記念
 延長 6080米
 有効幅員 6米
  着工 昭和廾八年一月十日
  竣功 昭和廾九年九月二十日
   昭和卅年十月一日
日光市いろは坂完成記念碑建設委員会建之

 日光電気精銅所制作

元栃木県知事 小平重吉氏
 寿像制作者 藤野舜正 
----------------------------------------
ネットの漢字辞典でチェック。

「廿」音読み「ジュウ」、訓読み「にじゅう」
人名用漢字。JIS X 0213第一水準。
「卅」は、音読み「ソウ」、訓読み「さんじゅう」
常用漢字ではない。JIS X 0213第二水準。
よく似た「廾」は、音読み「キョウ」
意味は、ささげる。両手で捧げ持つ。こまぬく。
JIS第2水準。
「寿像」とは「生前に作っておくその人の像」ですって。

石碑もありました。
この場所はもう、神社の境内なのですね。
----------------------------------------
二荒山神社境内
 右 般若滝
 左 方等滝
----------------------------------------

小さく滝も見えます。
国土交通省の説明パネルもありました。
方等の滝の上は、登録有形文化財「方等上流砂防堰堤」。
20170930_10
 精緻な石積の外観と,周囲に回復された緑の中に映える水流が,
 いろは坂からの俯瞰景に彩りを添えている。
普通は見えませんけどね(^^;

手間がかかって進みません。
もう一か所あるのですが、続きは後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 8日 (木)

Breva750で「海野宿~無言館~別所温泉~地蔵峠」その4

2017年6月3日(土)の続きです。

私の好きな「地蔵峠」です。
ウォークで何度か通り、大いに気に入って、Breva750でも来ています。

 麓から峠の先の鹿沢温泉までの区間に、百体の観音様がいます。
 江戸末期から明治初期にかけて、湯治に行く人の目印として置かれたそうです。

全部の観音様で停まる訳にも行きません。
横目で眺めながら走るだけでも、楽しいです。
20170603_08

以前は反対側が工事中でしたが、キレイに完成していました。

鹿沢温泉の紅葉館の前には「雪山賛歌」の石碑。
有名な歌は、ここで作られたそうです。
20170603_09

碑文

 雪山讃歌
     西堀栄三郎

 雪よ岩よ われらが宿り
  俺たちゃ 町には
   住めない からに

 山よ さよなら
  ごきげん よろしゅう
   また来る時にも
    笑って おくれ

 雪山讃歌のおこり

 大正15年1月京都帝国大学の山岳部が鹿沢温泉でスキー合宿され
 た。合宿が終ってから後に第1回南極越冬隊長をされた西堀栄三
 郎氏、京大カラコラム遠征隊長となった四手井綱彦氏、アフガニ
 スタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏、並びに東大スキー部OB
 でのちにチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸氏の4名にてスキ
 ーで新鹿沢へ下って宿泊されたが翌日天候が崩れ宿に閉じ込めら
 れた。一行は、退屈まぎれに「山岳部の歌」を作ろうと言う事に
 なり、曲をアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」としこれに
 合せて皆で上の句、下の句と持ち寄って作り上げたものであると
 言う。戦後京大山岳部員が当時の資料に記載されていたこの歌を
 寮歌に加え歌われ始めたのが急激に一般にも愛唱されるようにな
 ったが、作者不詳となっていたものを作詩の状況を知った、京大
 教授、桑原武夫氏が作詩は西堀だと著作権の登録をされたもので、
 この印税は同山岳部の活動の大きな資金源となっていると言う。
 「雪よ岩よ」で山を愛するものに親しまれているこの歌こそ粉雪
 舞う鹿沢温泉角間峠付近にぴったりで有り、その自然は今も昭和
 初期と全く変わっていないと思う。今回地元でこれを記念し「雪山
 讃歌の碑」として台字を西堀氏直筆にて鹿沢温泉に建立した。
  昭和57年4月
     群馬県吾妻郡嬬恋村


この説明文、少しは改行に気を遣えばよいのに・・・
そう思いながら眺めていたら。
ブドドド、、、とキャブトンマフラーのサウンドが。
続きは後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月28日 (日)

レッツ4とGROMで「尾道~しまなみ海道~とびしま海道」その5

2017年5月21日(日)の続きです。

岡村島からは「とびしま海道」です。

大崎下島の重要伝統的建造物群保存地区、港町「御手洗」
住所としては、広島県呉市豊町御手洗。

以下、観光協会の紹介文を抜粋です。
 江戸時代より風待ち、潮待ちの天然の良港とされていた御手洗は
 人と情報が集まる要衝地として十八世紀に入って急速に発展した。
 四軒の「茶屋」が置かれ花街として歴史に色を添えた遊女達。
 夕暮れ時、聞こえる三味の音、無数の宿の灯りなど、海面に映える
 隆盛の輝きは黄金の島にふさわしい景色だったことでしょう。

かつての港の繁栄を物語る、大きな高灯篭。
花街のお茶屋だったという、若胡子屋。
自転車は、この町出身の中村春吉という方にちなむもの。
明治時代に自転車による世界一周無銭旅行をした方だそうです。
20170521_11

後で確認すると、押川春浪が中村春吉の旅行記を出していました。
ドリルが格好良い、東宝怪獣映画「海底軍艦」の原作者です。
Harukiti_201705

凝った作りの塀が続いていたり。
昔の喫茶店の看板があったり。
石垣の上は満舟寺というお寺。
学校ありの道路標識が楽しいです。
すぐそばに「御手洗幼・小・中学校」の跡地がありました。
中学校は昭和35年に豊島中と、小学校は昭和48年に豊島小と統合されたとのこと。
20170521_12

後で確認すると、橋でつながれた隣の豊島のことですね。

石碑の校歌を転記します。

 一、歴史の色もうるわしく
   花の港とうたわれて
   このよきそのに生いたらし
   学びの庭につどう子よ

 二、一峰山のそれのごと
   高くみがけよわが徳を
   ひろがる海の水のごと
   潔くおさめよわがわざを

 三、わが御手洗のほこりなる
   かの菅公をかがみとし
   日頃むつみて吾が友よ
   至誠の道にいそしまん

作詞者や作曲者や制定年がわかりません。
しまった。
きっと石碑の裏側です。
見損ねてしまいました・・・

で。
キレイに整備された保存地区も結構なのですが。
すぐそばの路地の宇津神社周辺です。
突然、GROMの^n^くんがわき道にそれました。
おぉ。
川沿いに続く板塀み。
三階建ての何かの会社。
これはすごい。
リアルに息づいている、伝統的建造物群ですねぇ。
さすがは^n^くん。
20170521_13

後で確認すると、ストリートビューでも詳しく紹介されていました。
Uzujinjya_201705

なかなか先に進めませんが。
続きは後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月11日 (木)

歩いてきました「郡山市内~白河小峰城~白河市内」その3

2017年5月5日の午後の続きです。
白河小峰城址の公園の隅に、石碑がふたつ。
碑文を転記してみます。

明治20年8月19日 白河皆既日食の碑
  明治20年(1887)8月19日の午後、明治に入って初めて国内での皆既日食が起こり、
 アメリカのアマースト大学の日食観測の大家D,P,トッド博士の観測隊一行がはるばる
 来日し、白河を観測地に選びました。
 (中略)
 また、この皆既日食の観測隊や見物客を運ぶため、鉄道を突貫工事で開通させ
 白河駅を開業したとも伝えられています。

ハルマ和解
  『ハルマ和解』(別称江戸ハルマ)は、我が国初めての蘭日
 事典である。
  十八世紀末、稲村三伯ら江戸の蘭学者は、オランダ語の
 辞書の編纂を企て、大槻玄沢を介し、フランソア・ハルマ
 の蘭仏事典の和訳の協力を、白河藩主松平定信公に召し抱
 えられた元長崎通詞の石井庄助(恒右衛門)に懇請した。

  石井は寬政六年(一七九四)、江戸より帰国する定信公に
 随従して白河に来ても、この翻訳に従事した。白河に在っ
 ては、藩校立教館の蘭書局でオランダ語を教えている。
  翌年江戸に戻り、稲村三伯・宇田川玄真ら蘭学者がさら
 に校訂を加え、寬政八年完成刊行した。杉田玄白は、『蘭学
 事始』で「ハルマ釈辞の書は全くこの人(石井)の力によ
 れり」と述べている。
  松平定信公は「遼西ドドネウス草木譜」の翻訳刊行を白
 河藩の事業として行うなど、蘭学に対する貢献は大きい。

 「一滴の油、これを広き池水の内に点ずれば、散って満池
 に及ぶとかや」『蘭学事始』
                社団法人 白河青年会議所

20170505_13

ふぅ。
売店で一休みすると、なにやらご当地萌えキャラ。
小峰シロさん。こちらは簡単。
 皆さん
 はじめまして
 小峰シロです!!
 ヨロシクね

さすがに疲れてきました。
後は、さくっと流しましょう。

町なかも歩いてみます。
時代の付いた染物屋さんや薬屋さん。
聖ハリストス正教会。
午後3時までは特別公開だったそうで、わずかに遅れて残念。
全国各地の関連する教会を思い出します。
 東京復活大聖堂(ニコライ堂)
20170505_14

街角には「リアルタイム放射線測定システム」・・・
Shirakawa_201705_1

街中の観光拠点や、遊歩道の復元水車。
20170505_15
ご当地ヒーローのダルライザー
Shirakawa_201705_2

帰路の渋滞も、気にはなるのですが。
昨日の裏磐梯からは、かなり帰路は短縮されていますからね。
夕暮れまで街歩きを楽しんで、ゆっくり帰りました。

喜多方、郡山、白河。
どこも大変良かったですが。
もっとゆっくりしたかったですが。
だからと言って、郡山や白河だけで丸二日というわけにも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 9日 (火)

歩いてきました「郡山市内~白河小峰城~白河市内」

2017年5月5日(金)です。

日本遺産というのがありまして。

平成28年4月25日 福島県 郡山市・猪苗代町
未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-
Nihon_201705
 明治維新後、武士の救済と、新産業による近代化を進めるため、
 安積(あさか)地方の開拓に並々ならぬ想いを抱いていた大久保利通。
 夢半ばで倒れた彼の想いは、郡山から西の天空にある猪苗代湖より水を引く
 「安積開拓・安積疏水開さく事業」で実現した。
 (中略)
 この事業は、猪苗代湖の水を治め、米や鯉など食文化をいっそう豊かにし、
 さらには水力発電による紡績等の新たな産業の発展をもたらした。

というわけで。
猪苗代は何度も行っていますので、今回は郡山市内を歩いてみます。

郡山公会堂
まずは、外から眺めるだけです。
ウィキペディア抜粋。
 1924年(大正13年)9月の郡山市の市制施行を記念し、その翌月10月に完成した。
 オランダデン・ハーグの平和宮、および大阪市の大阪市中央公会堂がモデルと伝えられている。
すぐ隣には、新設の大きなホールがあります。
それでも、きちんと維持活用されているというのが、良いですね。
前庭に「ボクの街 郡山」という歌碑。
ちょっと楽しいので全文転記します(^^)

 ボクの街 郡山
    内海 久二
 恋とは楽しく 悲しいものと
  麓山の松風 ささやいた
 泣くのはおよしと 弁天池で
  優しく微笑む お月さん
 ああ 想い出の 夢が住んでる
  ボクの街 郡山

20170505_01

郡山歴史資料館
郡山公会堂のすぐ隣にあります。
開館時間までかなり間があるので、外から眺めていたら。
なんと、館内の照明を点けて、館長さん自ら説明して下さいました。
 安積地方の絹産業については「もう桑畑などの痕跡はありませんねぇ」とか。
 太平洋戦争の頃は「軍都」で、毒ガスの秘密工場計画があったとか。
 東口には爆薬のカーリットの工場があったとか。
 日大理工学部の敷地も陸軍の施設だったとか。
残念ながら内部は撮影禁止で、画像はありません。
こちらも図書館だった建物の転用です。
設立記念の壁画が残っていたり、大切に使われている様子が伺えます。

安積国造神社
郡山駅すぐそばの神社です。旧社格は県社。
神楽殿には大きな「おかめ」の面。
門前町にはなんとも時代の付いた喫茶店。
すぐ裏の幼稚園の脇には、立派な「郡山市耕地整理記念」の石碑。
大正15年(1926年)6月 郡山市耕地整理組合。

20170505_02

旧福島県尋常中学校本館
国指定重要有形文化財、近代化産業遺産、先の日本遺産の構成施設。
1889年に建てられた旧制中学校の本館。
今は、県立安積高等学校になっています。
1984年に高校の創立百周年記念事業として「安積歴史博物館」として一般公開。
さて見てみましょう。この通り、堂々たる木造校舎。
20170505_03

古い蔵書や歴代の教科書が、自由に見られます。
えー、紫式部日記註釈、他に天保15年の古事記伝、安政3年の万葉集略解とか。
遠慮なくめくってみます。すらすら読めたら楽しいでしょう。
戦後の民主化教育の時代の「家庭科」。
 家長制度による、お母さんだけ忙しいのは間違い。
 民主的な家庭は、家族同志相手の人格を尊重しあう、と説いています。
理科や数学は、言い回しが古いだけで今とさほど変わらなかったり。
卒業生の実績展示。
芥川賞作家が3人。
日本初の角膜移植の今泉亀撤博士の紹介など。
20170505_04

2階に上がります。
階段の踊り場やテラスも良いデザイン。
外を見ると、吹奏学部の練習の音。
放送部の腕章を付けた女子高生がビデオ撮影していたり。
教室の再現展示。
机と椅子が一体式になっています。
お約束のいたずら彫刻。
根性とか無我とか、立派な文字もありますが。
個人名では、吉永小百合岩下志摩倍賞千恵子(^^;
黒板に何やら書いてあるのは、、、
おっと。
プログラム言語のお約束「Hello, world」のソースコード(^^;
広い講堂にはパイプ椅子。
ここは今でも安積高校で使うそうです。
20170505_05

ちなみに。
今の安積高校は、偏差値67福島県内2位と大したもの。
これはどうも、思っていた以上に時間をかけてしまいました。

まだまだ見どころもあるのですが。
これ位にしておきます。
高速道路で移動します。
続きは後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 3日 (水)

歩いてきました 埼玉県飯能市「多峯主山・天覧山」その2

2017年4月30日(日)の続きです。

再度少し登ると、天覧山195mです。
山腹には、徳川綱吉の生母桂昌院が奉納したという十六羅漢像
この山は、古くは愛宕山、その後先の羅漢像にちなみ羅漢山、
そして明治16年に明治天皇が軍事演習視察のため登頂した後、
天覧山に改称されたのですって。
埼玉県指定名勝の第1号なんですって。
20170430_05

へーえ。
ウィキペディアで確認しますと、埼玉県指定文化財のうち、
名勝は以下の7か所でした。
先日の間瀬堰堤もそうですが、意外に感じるところも・・・
 越生梅林(越生町)
 玉淀(寄居町)
 天覧山の勝(飯能市)
 中津峡(秩父市)
 平林寺林泉境内(新座市)
 物見山岩殿山観音の勝(東松山市)
 外秩父丸山の眺望(横瀬町)

話を戻します。
街中に降りてきました。
大変立派な能仁寺
戦国時代の飯能地方の領主、中山家黒田家の菩提寺。
飯能中央公園には、鉄腕アトムの銅像
1983年に飯能青年会議所10周年記念に作られたそうです。
まだ「アニメでまちこおこし」などという話のなかった頃。
先進事例と言うべきでしょうか。
20170430_06

駅のそばの市街地です。
飯能市指定有形文化財の店蔵絹甚
明治37年に建てられた絹の買継商の建物だそうです。
川越と同じ「うだつ」のある蔵造りの建物。
更に歩くと、おもちゃ屋さんの隣に、飯能織物協同組合の建物。
今も開業している、土肥歯科医院
20170430_07

というわけです。
小学校低学年の子どもと一緒の方とか。結構年配の方とか。
あまりキツくないですが、素晴らしい眺望も楽しめる。
行き帰りの河原や町中も楽しい、良いコースでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月13日 (木)

埼玉の桜をチェック「こだま千本桜~成身院百体観音堂~間瀬峠」

2017年4月9日(日)です。
今日こそ、Breva750で出動、、、と思ったら。
今日も、朝から雨です(泣)

仕方ありません。
スペイドで、さくっと埼玉の桜を見てきます。
途中の花園IC付近の交通安全モニュメント(^^)
赤城乳業の「本庄千本さくら『5S』工場」
どなたもご存じ「ガリガリ君」のメーカーですが、、、
 群馬県の赤城ではなく、埼玉県。
 乳業とありますが、乳成分はなし。
これでは「埼玉氷菓」ですよねぇ(^^;

お馴染みの「こだま千本桜」に到着です。
何しろ広いですからね。臨時駐車場も余裕です。天気のせいもあるでしょうが。
河原ではマラソン大会。伴走の白バイはスタンディング(^^)
20170409_01

今日はちょうど「桜まつり」。
ステージもあり。出店も色々、デコトラまで。
地域福祉活動募金のお礼は、赤城乳業のガリガリ君(^^)
20170409_02

2月に来たばかりの「さざえ堂=成身院百体観音堂」 です。
おぉー、素晴らしい満開。
足元にはシャガ。観光センターの庭には水芭蕉。
20170409_03

長瀞に抜ける峠道「間瀬峠」に向かいます。
20170409_04

小さな古いダム間瀬堰堤です。
 8年の歳月(昭和5年~昭和12年)をかけて築造された
 東日本に現存する最古の農業用重力式コンクリートダムです。
なんとも良い雰囲気で、ここだけで半日くらいは過ごせるのですが。

登録有形文化財(建造物)。第11-0026号
昭和33年には、週刊読売選定の「新日本百景」にも選ばれているそうです。

銘板は、以下の通りです。

 堰堤概要
 位 置  児玉郡秋平村大字西小平
 形 式  玉石混凝土重力堰堤
 延 長  百二十六メートル
 高 サ  最高二七、五メートル
 上部幅員 四メートル
 仝標高  一五九、五メートル
 勾 配  内法壹分、外法八分六厘
 貯水量  五拾参萬立方メートル
 水面積  七町歩
 灌漑面積 七百町歩
 工 費  四拾壹萬八千圓
 竣 工  昭和十二年三月

混凝土=コンクリート、
内法=うちのり、壹分=1/60度 ですね。
なぜか数字の表記が違ったり、メートルだけカナだったり。

20170409_05

この間瀬峠は「頭文字D プロジェクトD編 埼玉バトル」の舞台。
昔のあれこれにより、今でも二輪車は通行止め。
国道140号に出て「皆野寄居有料道路」で帰宅します。
20170409_06
売店では「TOLLROADカード」が貰えます。
埼玉県道路公社のオリジナルカード。
Tollroadsaitama
狭山環状有料道路、新見沼大橋有料道路、皆野寄居有料道路の3枚でフルコンプ(^^)

というわけで。
来週末こそ、晴れてくれると良いのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月 9日 (月)

行ってきました、恒例「柴又帝釈天」その2

ちょっと追記です。
柴又駅前の、寅さんの銅像の碑文を転記します。

 寅さんは損ばかりしながら生きている
 江戸っ子とはそういうものだと
 別に後悔もしていない
 人一倍他人には親切で家族思いで
 金儲けなぞは爪の垢ほども考えたことがない
 そんな無欲で気持ちのいい男なのに
 なぜかみんなに馬鹿にされる
 もう二度と故郷になんか帰るものかと
 哀しみをこらえて柴又の駅を旅立つことを
 いったい何十辺くり返したことだろう
 でも 故郷は恋しい
 変わる事のない愛情で自分を守ってくれる
 妹のさくらが可哀想でならない
 ――ごめんよさくら いつかはきっと偉い
 兄貴になるからな――
 車寅次郎はそう心に念じつつ
 故郷柴又の町をふり返るのである
        一九九九年八月 山田洋次

今年の3月には、さくらさんの像も設置されるそうです。

葛飾柴又 寅さんのそばに妹「さくら」の銅像
17年3月に設置 葛飾区が1800万円を補正予算案
Mainichpnp_tora

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年11月 6日 (日)

朗読館「歌は世につれ」~阿久悠の綴った時代

こんなイベントがあるそうです。

joプロジェクト≪キョウユウ≫広場
第4回公演のお知らせ 2016.10.31 Monday19:04

朗読館「歌は世につれ」~阿久悠の綴った時代

◇11月29日(火)
【昼の部】14:30開演(14:00開場)
【夜の部】18:30開演(18:00開場)
 第1部「星をつくった男~阿久悠と、その時代」重松 清 著
    「不機嫌な作詞家~阿久悠日記を読む」三田 完 著
 第2部『詩小説』(第7回島清恋愛文学賞受賞)/阿久 悠 著より
    「また逢う日まで」「北の宿から」「青春時代」

☆会場 :お江戸日本橋亭
東京都中央区日本橋本町3-1-6日本橋永谷ビル1F
(東京メトロ銀座線三越前駅 10番出口/
JR総武快速線新日本橋駅 3番出口 ともに2分)

☆出演 :広居バン、堀江令子、三田朱美

☆料金 :前売り・当日ともに ¥3000[全席自由]
    昼の部:おやつ&飲み物付き
    夜の部:軽食&飲み物付き

Jo_akuyuu_a Jo_akuyuu_b


先日、このイベントの主催の方からメールを頂きました。
私が以前掲載した石碑の画像を、このイベントの中で使いたいとのこと。

2012年6月17日(日) 初島小中学校校歌

20120617_8 20120617_6


それはもう、どうぞご自由にお使い下さい(^^)
私も行ってみたいですが、平日夕方ですかぁ・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)