記念碑

2024年2月 1日 (木)

歩いてきました 埼玉県毛呂山町「鎌倉街道上道と古墳群」その2

2024年1月28日(日)の続きです。
毛呂山町の「毛呂山町歴史民俗資料館」の周辺。
「鎌倉街道上道」「古墳群」を歩いて見てきました。

「大類グラウンド」には、立派な野球場がありました。
入口の脇には、こんな石碑が。
「日本プロ野球名球会来町記念」
平成6年11月13日建立。
毛呂山町合併四十周年と、このグラウンドの落成記念に名球会メンバーを招待したのだそうです。
金田正一、江藤慎一、福本豊などのサイン。
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歩道のない郊外の舗装道路を歩きます。
「蕎麦料理すみや」の向かい側です。
かなり摩滅していますが「神明台の庚申塔」「馬頭観音」ですね。
広い畑を背に、並んでいます。
造花が少し色あせています・・・
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古びた「野原医院」というカンバンがありまして。
ルート図ではここを曲がるようです。
少しだけ先には、小さなお地蔵様。
お顔だけ補修されているようです。
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少し戻り、脇の道に入ります。
立派な農家の先に、ちょっと傷んだ建物。
これが「野原医院」のようですが、使われていないようです。
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すぐ先にある「十社神社」です。
小さいですが、キレイに整備されています。
先日の羽生市では「桑崎三神社」という神社がありました。
2024年1月19日(金) GSR250Sで埼玉群馬の「河畔砂丘」めぐり その2
そちらは、八幡社、天神社、稲荷社で三神社でしたが、こちらはどうでしょう?
毛呂山町のサイトをチェック。
苦林野合戦で足利基氏方で戦死した武将、金井新左衛門ほか9名の英霊を祀ったといわれます。
なるほど。
南北朝時代の武将が、神様になったのですか。
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境内の端には、新しい弁財天。
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本殿裏手には、小さな丘がぼこぼこ。
これが「大類古墳群」の一部なのでしょう。
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更に田舎道を歩きます。
狭い道路沿いの畑に、小さな「前方後円墳」
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更にすぐ先には「苦林古墳」
こちらも「前方後円墳」です。
道路から見える「前方」部分に「苦林野古戦場跡」の石碑があります。
昭和8年建立と読み取れました。
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「後円」の部分には「苦林野合戦供養塔」
千手観音ですね。
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20分ほど歩いて「毛呂山町歴史民俗資料館」に戻りました。
「鎌倉街道上道」周辺は、良く手入れされた気持ちの良い遊歩道でした。
点在する「古墳群」周辺は、ローカルな田舎道です。
古墳自体も、知らなければ見落としてしまいそうなものばかり。
それがまた面白いところでした。

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2024年1月21日 (日)

GSR250Sで埼玉群馬の「河畔砂丘」めぐり

「河畔砂丘(かはんさきゅう)」というのがありまして。
ウィキペディアから、ざっと転記します。
砂床河川の中・下流域の流路に沿って形成される砂丘である。
海岸部ではなく内陸部に形成される。
河原から吹き上げられた砂が、蛇行した河川の凸部の風下側に堆積することにより形成される。
現存するものの多くは、愛知県と岐阜県の木曽川流域、群馬県と埼玉県の利根川流域のみ。
これらも宅地開発や、容易に砂礫を採取出来ることから本来の地形を留めているものはほとんど無い。
加須市にある会の川砂丘(志多見砂丘)は日本に残る河畔砂丘の中で最大級のもの。

というわけで。
2024年1月19日(金)です。
GSR250Sで埼玉と群馬の砂丘を、何か所か回ってみます。

まずは埼玉県加須市「志多見砂丘公園」に向かいます。
すぐそばの農協の施設です。
「JAさいたま志多見カントリーエレベーター」
「おいしい志多見砂丘米」
とあります。
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「志多見砂丘公園」に到着。
Y字路に挟まれた三角の小公園。
周囲には桜や椿の木が並んでいます。
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平坦な広場で、砂丘という感じは全くありません。
遊具もなく、コンクリート製のあずまやとベンチ、簡易トイレと水道があるだけ。
簡単なカンバンがあります。
右の縦長の杭には「平成二十五年度食餌木植栽事業 (社)埼玉県猟友会」とあります。
何か、鳥が食べる実のなる木を植えたのでしょうか。
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交差点の先に、何やら立派な石碑が。
手入れをされていない植栽に遮られていますが、こんな内容でした。
志多見賛歌
 作詞 加須市長 髙瀬一太郎
紫匂う武蔵野の
  中央に拓けし
 志多見の里は
歴史の譽いや高く
恵み豊かに人和して
希望の光り
  求めて行かん
志多見土地改良区
青毛堀用悪水路土地改良区 理事長 松本勘一
  平成十年一月吉日 建立
この記念碑について、ネットで検索しても情報は見つかりません。
要は土地改良の記念碑なのでしょう。
「紫匂う武蔵野の」で検索すると、幾つもの校歌の歌い出し。
「恵み豊か+人和して」は、埼玉県歌のフレーズですねぇ。
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わずか2kmほど移動します。
「加須市指定名勝 志多見砂丘」です。
この通り、狭い道沿いの小高い雑木林。
特に手入れもされていないようで、ボサボサ。
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解説カンバンがあります。
昭和56年12月1日 加須市教育委員会
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フェンスの向こうは、遊園地「むさしの村」
バックヤードは、まぁこんなものでしょう。
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すぐそばの、小規模開発の住宅地です。
隣接する空き地には、この通りの砂山が。
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道路側からはこの通り。
ブロック塀ぎりぎりの高さです。
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国道122号と県道38号「志多見交差点」そばの空き地です。
小高い丘にはぼさぼさの雑木林。これも砂丘なのでしょう。
砂山がブロック塀に覆いかぶさっています。
先の住宅地もそうですが、砂丘が今でも成長しているのでしょうか。
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何と言いますか。
大変失礼ながら、これで「指定名勝」と隣接地域なんですか。

続きは後ほど。

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2023年10月 6日 (金)

歩いてきました「宇都宮城址~宇都宮二荒山神社」

2023年10月2日(月)です。
今年の8月26日に開業した、栃木県の「宇都宮芳賀ライトレール線」に乗ってきました。
用語が混乱してしまうので、一応確認。
・運行している会社名:宇都宮ライトレール株式会社
・路線名:宇都宮芳賀ライトレール線
・鉄道事業の種類:ライトレール、ライトレールトランジット(Light rail transit, LRT)
・車両の愛称:ライトライン

その前に、宇都宮市内をぶらぶら。
「宇都宮城址公園」です。
お堀に沿って土手が築かれ、その両端に立派な櫓が作られています。
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展示館にあった、城全体の模型です。
オレンジ色での線で囲まれた、左側の部分が再現されています。
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内側の芝生の広場には、撤収中のテントが沢山。
昨日と一昨日の土日で、何かイベントでもあったのでしょう。
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町なかを歩きます。
大変立派な「宇都宮中央郵便局」
ウィキペディアで確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宇都宮中央郵便局
2000年(平成12年)7月31日 - 宇都宮市本町から同市中央本町(旧栃木県済生会宇都宮病院跡地)へ移転。
交差点に向いているガラス窓は「郵便記号」に似せているのでしょうか。
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到着です「二荒山神社」
同じ漢字の「日光二荒山神社」と区別するため「宇都宮二荒山神社」とも言われるようです。
読み方も違います。
・日光の方は「ふたらさんじんじゃ」
・宇都宮の方は「ふたあらやまじんじゃ」
大きな鳥居の先に、長い石段。
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立派な社殿。
早めの七五三参拝の子どもが、ポップコーンの自販機を見ていたり(^^)
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ここまで来ると、東武宇都宮駅も近いです。
アーケード街「オリオン通り」を、ぶらぶら。
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さて。
「宇都宮城址公園」に戻り、クルマを出してJR宇都宮駅前に移動です。
駅のそばの「旧篠原家住宅」
国指定重要文化財・市指定有形文化財。
残念。月曜日は休館でした。
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JR宇都宮駅西口のペデストリアンデッキにある「餃子像」
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そばのプレートには、以下のような解説文。
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 餃子像
 この像は「餃子の町・宇都宮」
のシンボルとして、
TV東京「おまかせ山田商会」
(H5年~H6年放送)の番組
企画で餃子の皮に包まれた
ビーナスをモチーフに、
地元産大谷石を使い制作
されたものです。
 宇都宮観光コンベンション協会

ウィキペディアで確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/おまかせ!山田商会
おまかせ!山田商会
宇都宮市が餃子の街として有名になったのは、この番組の町おこし企画がきっかけとなっている。
餃子像も同企画で作られたものである。
へぇー。
更に脚注リンクがありました。
https://www.goko-net.jp/gyouza/
宇都宮 餃子ストーリー
「宇都宮餃子」を作った男
GOKO監査役 沼尾博行
宇都宮餃子 誕生物語
1990年(平成2年)に市役所内で中堅職員を対象とした研修が開かれ、
その発表会で「餃子を通しての町おこし」という提案がされた。

へぇー。
こんな経緯だったのですか。

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2023年7月 2日 (日)

行ってきました 埼玉県朝霞市「陸上自衛隊 広報センター」余談

「陸上自衛隊広報センター りっくんランド」に行ってきました。
https://www.mod.go.jp/gsdf/eae/prcenter/
Asaka_202306

展示はもちろんのこと、売店も充実しています。
自衛隊ロゴのTシャツやバッグ、お菓子、プラモデルなどなど。
残念ながら撮影禁止になっていました。
まぁねぇ、版権商品もあるでしょうし。
買わずに撮影だけで済まされても困るでしょう。

せっかくなので、お菓子をひとつ。
「防衛省まんじゅう」です。
中身は「防衛省」と焼き印のある、普通のお菓子です。
何も言わなくても、レジ袋に入れてくれました。
この通りオリーブグリーンの迷彩柄(^^;
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包装紙の裏側には「自衛官の心構え」
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へぇー。
防衛白書の検索サイトでチェック。
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_web/
「自衛官の心構え」で検索してみました。
1982年度の防衛白書から、以下の表現がヒット。
自衛官のあるべき姿は,「服務の本旨」(自衛隊法第52条)及び「自衛官の心構え 」(昭和36年6月28日制定)を準拠としている。
文面も載っていました。
お菓子の包装紙と同じなので、全文転記します。
自衛官の心構え
1 使命の自覚
(1) 祖先より受けつぎ,これを充実発展せしめて次の世代に伝える日本の国,その国民と国土を外部の侵略から守る。
(2) 自由と責任の上に築かれる国民生活の平和と秩序を守る。
2 個人の充実
(1) 積極的で,偏りのない立派な社会人としての性格の形成に努め,正しい判断力を養う。
(2) 知性,自発率先,信頼性及び体力等の諸要素について,ひろく調和のとれた個性を伸展する。
3 責任の遂行
(1) 勇気と忍耐をもって,責任の命ずるところ身をていして任務を遂行する。
(2) 僚友互いに真愛の情をもって結び,公に奉ずる心を基とし,その持場を守りぬく。
4 規律の巌守
(1) 規律を部隊の生命とし,法令の遵守と命令に対する服従は誠実厳正に行う。
(2) 命令を適切にするとともに,自覚に基づく積極的な服従の習性を育成する。
5 団結の強化
(1) 卓越した統率と情味ある結合のなかに,苦難と試練に耐える集団としての確信をつちかう。
(2) 陸,海,空心を一にして精強に励み,祖国と民族の存立のため,全力をつくしてその負託にこたえる。

更におまけです。
最寄り駅、東武東上線の和光市駅
駅前の様子です。
掲示板の上にいるのは「わこうっち」
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裏面には「わこうっち」「さつきちゃん」
元素周期表
113番元素ニホニウム発見の町和光市
とあります。
和光市にある「理化学研究所」が関わっているのですね。
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こちらは「清水かつら」作詞の童謡の歌碑
みどりの そよ風
靴が鳴る
しかられて
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裏面です。
清水かつら氏は、和光市在住だったそうです。
同氏の生誕百年と和光ライオンズクラブ20周年記念として、
平成10年2月吉日に建立。
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これで終りにします。

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2023年6月 5日 (月)

GSR250Sで行田市「辯天門樋」と「成就院三重塔」

2023年6月4日(日)です。
先日の埼玉県吉見町「岩殿山安楽寺」の三重塔に続いて。
埼玉県行田市「五智山成就院」の三重塔を眺めてきました。

2023年6月3日(土) ご近所散歩 埼玉県川島町「平成の森公園」~吉見町「岩殿山安楽寺」
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江戸時代初期の塔は、埼玉県内で三塔しかないそうです。
後の二つは、川口市「西福寺」と、行田市「成就院」。
行田市ならすぐ近く。ちょっと行ってみました。

三重塔の前に「辯天門樋」です。
後ろに、お馴染み「古代蓮の里」の展望タワーが見えます。
2022年6月16日(木) 埼玉県行田市「古代蓮の里」蓮の花 開花状況
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解説文は、行田市のサイトから拝借。
辯天門樋(べんてんもんぴ)は、埼玉古墳群から約1キロメートル東の旧忍川沿いに位置し、
農業用水路の取水口として、明治38(1905)年6月3日に竣工しました。
造型装飾に重きを置いた治水関連の近代化遺産であり、埼玉県の近代煉瓦生産を物語る遺構としても貴重です。
なるほど。
深谷の煉瓦で作られているのですね。
草で良く見えませんが、右側に何やら石碑もあるようです。
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川の対岸に回ります。
簡易舗装された道路で、そばまで行けました。
ここまではクルマでも入れる道幅ですが、その先はぐっと狭くなっています。
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石碑は「中川の碑 ―中川と元荒川―」とあります。
中川水系の略図と解説ですね。
上には、かっぱの像。
埼玉県治水協会、平成25年3月建立。
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「真言宗智山派 五智山 成就院」は、ここからすぐ近く。
奥の左手に、立派な三重塔が見えます。
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山門脇には六地蔵。
奥では、石の小坊主がお出迎え。
広くはないですが、静かで良く整備された境内。
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おー。
小振りではありますが、立派な塔です。
解説文は、行田市のサイトから拝借。
総高11.18メートル、間口奥行2.24メートル、相輪高2.92メートル
この三重塔は、享保14年(1729年)に建立されたもので、昭和56・57年に解体復原工事を実施し、現在に至っています。
塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣(ようえ)観世音菩薩が本尊として安置されています。
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前の道路とお寺の間の用水路には、カルガモの親子(^^)
8年前に書いた、他の鳥との見分け方です。
2015年7月3日(金) これって可愛くないですかー
「マガモ」は、くちばし全体が淡い黄色。
「カルガモ」は、くちばしの先だけ黄色。
「アヒル」は、マガモを家禽として改良したもの。
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さて。
行田市内は、いろいろ見どころもあるのですが。
今日は、このまま熊谷市に移動です。
熊谷市塩にある「塩の大エノキ」に行ってみます。

数少ない相互リンクの「バイク三昧で行こう」で、知りました。
2023年5月3日「近場の巨木巡りツー(CT125)」

続きは後ほど。

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2023年5月10日 (水)

埼玉県さいたま市北区盆栽町「清水瀞庵翁紀功碑」

2023年5月4日(木・祝)の続きです。
埼玉県さいたま市北区盆栽町にある「大宮盆栽村」
ここで開催中の「第40回 大盆栽まつり」に行ってきました。

「植獄(うえたけ)稲荷神社」の境内にある「清水瀞庵翁紀功碑」です。
大宮盆栽村の創設に尽力した清水園の園主だった方を称える石碑だそうです。
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碑文は、昭和10年に書かれた漢文でした。
手前に「書き下ろし文」のパネルも設置してあります。
石碑の漢文なんて誰も読まないでしょうが、これなら読みやすい。
大変結構なことだと思います。

榛名山の「長野堰疎水紀功碑」にも、同様の掲示がありましたっけ。
2022年10月25日(火) タントで榛名山周辺「長野堰用水と長野堰疎水紀功碑」

「書き下ろし文」のパネル。
性格の悪い私は、ちょっとひっかった所がありました。
「斯界」「かくかい」とルビが振ってあります。
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ネットの辞書で確認。
「斯」の読み方は[音]シ[訓]これ この かく この これ
訓読みで「斯くの如し=かくのごとし」は、よく見かけます。

ですが、この「斯界」の場合は、音読みで「しかい」ですよね。
一応ネットで再確認。
各種の辞書や文例のサイトを見ても、これ以外の読み方は見つかりませんでした。
昭和10年当時は、このような訓+音「かくかい」「湯桶読み」をしたのでしょうか?

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2023年2月24日 (金)

行ってきました「お札と切手の博物館」

2023年2月18日(土)です。

昨年夏に、造幣局の博物館を見てきました。
2022年7月2日(土) 行ってきました「造幣さいたま博物館」

今度は、お札と切手です。
東京都北区のJR王子駅から歩いて5分ほど。
国立印刷局王子工場に隣接する「お札と切手の博物館」です。
https://www.npb.go.jp/ja/museum/index.html
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入り口付近の植栽は「こうぞ」「みつまた」「がんぴ」。
和紙と言いますか、お札の材料ですね。
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入場無料。
展示室は一階と二階です。
さほど広くはありません。
一階では、偽造防止技術を、印刷技術と製紙技術に分けて展示。
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中央には、潜像模様、ホログラム、すかし、マイクロ文字、紫外線発光インキなどの体験コーナー。
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一億円の札束の見本です。
どうせ本物ではないのなら、触ったり持ち上げたり出来れば良いのに。
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二階です。
お札の変遷、世界のお札や切手など。
特集展示は「お札を彩るさまざまな模様」
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お札の模様の分類。
1.主模様、2.枠模様、3.地模様
なるほど。
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ちょっと懐かしいお札に「C千円」「C500円」とあります。
ウィキペディアでは「〇号券。〇券とも呼ばれる。」とあります。
これを「シリーズ記号」と呼ぶそうで、明治以降の記号は、こうだそうです。
・明治中期~1935年(昭和10年)頃:甲、乙、丙、丁
・1942年(昭和17年)頃~1945年(昭和20年)頃:い、ろ
・1946年(昭和21年)以降:A、B、C、D、E
つまり今のお札は「E券」と呼ぶわけですね。
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世界の切手や世界の紙幣コーナー。
動物がいたり、鉄道や建築物があったり、お国柄や歴史があって、見飽きません。
独裁者がいたり、なんと上から消されていたり。
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こんな事例もありました。
経済混乱時のジンバブエ 100兆ドル 2009年
内戦時のユーゴスラビア 5000億ディナール 1993年
それぞれ記載の数字は「100 000 000 000 000」「500 000 000 000」・・・
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といった具合です。
なるほどこれは面白い。
2時間以上かけて、ゆっくりと楽しみました。

おまけです。
JR王子駅そばの石碑「洋紙発祥の地」です。
後ろに詳しい説明パネルがあります。
駐輪禁止のコーンが置いてありますが、この通り(^^;
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2023年2月18日 (土)

ちょっと寄り道「常総市の謎の天守閣」

もう5年も前ですが。
圏央道の常総IC付近、はるか北の方に見える、お城のような建物。
2018年7月23日(月) 判明! 常総市の圏央道はるか北の「謎の天守閣」
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茨城県常総市「地域交流センター」というのですね。
2022年2月12日(日)「真壁のひなまつり」に向かう時に、少し遠回りをして前まで行ってみました。
どーん。
「常総市地域交流センター(豊田城)」とあります。
少し古びてはいますが、なかなか立派です。
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参考まで。
お城の「天守」は、以下のように分類されます。
ウィキペディアから抜粋します。
現存天守
日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のこと。
復元天守(復原天守)
火事・天災・破却・戦災で消失した天守を、少なくとも外観は以前の通りに復元したもの。
復興天守
天守がかつて存在したことは確かで、元の場所に構造問わず再建された天守のうち、史料不足により規模や意匠に推定の部分があるもの。
模擬天守
城は実在したが、元々天守のなかった城や、天守が存在したか不明な城に建てられた天守のこと。
天守閣風建築物
模擬天守の一部であり、厳密に分けられているものではないが、上記模擬天守の条件に当てはまらない天守の意匠を模して建設されたもの。

常総市のホームページでは「豊田城」について、以下のような説明がありました。
http://www.city.joso.lg.jp/shigai/kanko/chiiki/1421553530228.html
当時は、このような石垣や天守閣(高さ48.5メートル)ではなく、カヤ葺きの居館造で、小貝川の水を引き込んだ濠や土塁により要塞化したものであったろうと考えられます。
ということは。
こちら「豊田城」は模擬天守ということになりますね。

入り口わきの銅像は、常総市出身の歌人「長塚 節」
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同じ敷地内です。
正面は「石下体育館」右側は「農産物直売所」
テントの下には、白菜や大根など様々な農作物が並んでいます。
正面の体育館は、、、かなり老朽化しているように見えます。
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日刊建設新聞というサイトで、こんな記事がありました。
http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=31697
石下体育館を解体 旧玉幼稚園で解体設計業務(常総市補正)
[2022/12/9 茨城版]
常総市は市議会定例会に補正予算案や工事請負変更契約の締結などの議案を提案している。
このうち、一般会計補正予算では6億8424万円を追加し、総額を267億3723万円とした。
主なものでは、石下体育館・武道館の解体工事費に1億2300万円を計上。
解体後の跡地活用では隣接する市地域交流センターの駐車場として活用していく。

ネットで検索しますと、別の場所に「常総市石下総合体育館」があるようです。

体育館の前に石碑がふたつ。
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「文武両道 大久保 仁書」
裏面は、以下の通り。
昭和五十二年十月吉日
石下町体育協会
(個人名は省略します)
「石下町民体育館 剛健」
裏面は、以下の通り。
贈落成記念
空手道 秋田政夫
昭和五十二年十月吉日

「常総市地域交流センター(豊田城)」。内部は最近リニューアルもされたようです。
機会があれば、ゆっくり見学してみたいですが。
また5年後になってしまうかも・・・

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2022年12月19日 (月)

GSR250Sで埼玉県寄居町その1 石碑「史跡鉢形城跡と四十八釜」

2022年12月16日(金)です。
朝方用事を済ませたら、急に時間が空きました。
穏やかな快晴なので、GSR250Sで少し走ってきましょう。
以前から気になっていた、小さいポイントを確認してきます。

まずは、寄居町「鉢形城跡」そばの石碑です。
駐車場もなく、いつもつい素通りしていたポイントです。
今日は止まりましょう。
鉢形城址公園フィールドマップです。右下の「搦手橋」の南側です。
Yoriimap_202212

橋の南側の歩道に入ってと。
石で区切られた、わずかなスペースです。
「史跡鉢形城跡と四十八釜」とあります。
まだ新しく碑文も読みやすいので、全文転記します。

史跡鉢形城跡と四十八釜
 ここは、国指定史跡鉢形城跡の搦手である。
鉢形城は荒川の断崖絶壁と急峻な深沢川の渓谷に囲まれた地形を利用した平山城で、戦国時代史を彩る屈指の名城である。
築城時期は文明八年(一四七六)長尾景春説が有力である。
その後関東管領山内上杉氏を経て、永禄年間に北条氏邦が入城し、天正十八年(一五九〇)六月十四日豊臣秀吉軍に開城された。
 城の内堀として重要であった深沢川は今も尚両岸より断崖絶壁が迫り、潅木天を覆い渓谷の姿を止めている。
激しい渓流は谷底の岩盤をうがち幾多の淵をつくり、いつのころからか淵を釜と呼んで「四十八釜」と総称され、現在町指定名勝である。
代表的な「船釜」は、水深三メートルを越え「艫ノ滝」が落ち込む幽谷美に満ちた淵である。
尚、古くは当地域は「数釜ノ庄」と呼ばれ語源を深沢川の釜に求める伝承が今も残されている。
 平成八年三月吉日
   寄居町 寄居町教育委員会
  昭和七年四月十九日指定
題字 埼玉県議会議員 石渡 勲 書
   数釜四季報 森田佐久 撰文
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裏面です。

寄付者
 数釜四季報 森田佐久 戸田市美女木住
 観光協会長 石渡 勲
協賛
 寄居町観光協会
 寄居町商工会
 鉢形地区区長会
 鉢形城三鱗会
 数釜の会

 碑文 鳥塚翠白書
 施工 中川石材店
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「数釜四季報」「数釜の会」「森田佐久」をネットで検索してみても、何も分かりません。
「石渡勲」さんは分かりました。
埼玉県議会の副議長(平成12年3月から平成13年3月)まで務めた方。
寄居町の広報によりますと、平成30年に85歳で亡くなり、町葬がおこなわれたそうです。
「鉢形城三鱗会」FBがありました。
会の名前は、北條氏の家紋にちなんだのでしょう。

「搦手橋」から見下ろすと、なるほど深い渓谷になっていました。
ですが、下りてみるルートは分かりません。
そのうち探してみましょう。

全文転記で疲れましたので、続きは後ほど

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2022年10月27日 (木)

タントで榛名山周辺「榛名神社」

さて本日最後の目的地「榛名神社」です。

用命天皇元年(586年)創建。旧社格は「県社」「上野六宮」とのこと。
「上野国十二社」と言うそうで、その六番目なのですね。
参考まで。
十二社の筆頭は、春に行った貫前神社。
2022年4月17日(日) 行ってきました 群馬県富岡市「一之宮貫前神社」
十二社のリストは以下の通りです。
貫前神社・赤城神社・伊香保神社・甲波宿禰神社・大国神社・榛名神社
小祝神社・火雷神社・倭文神社・美和神社・賀茂神社・宇芸神社

先の「高崎市榛名歴史民俗資料館」のすぐ先、クルマでほんの数分。
参道沿いのお店にも駐車場があり、結局すぐそばまで行き着いてしまいました。

鳥居の奥に「随神門」が見えます。
両側に「随神」がいるはずですが、現在は修復中とのことで空っぽでした。
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昼なお暗い、石畳の参道。
左側には巨木、右側は深い谷の底に川が流れています。
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大変立派な「三重塔」です。
江戸時代末に改築され、明治二年(1869年)に竣工したものだそうです。
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「双龍門」「鉾岩」です。
急坂の狭い道に奇岩が続く山奥なのに、建築物の立派なこと。
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「榛名講」も盛んだったようで、関連する石碑が沢山ありました。
その中で面白かったもの。
「ハケ・ブラシ塚」
昭和五十一年五月吉日 東京ブラシ講 とあります。
その隣に、、、
「参拝拾五周年記念碑」
平成元年吉日
東京ブラシ講 世話人一同
一番向こうに石造りの四角い箱。
銅板に、こうあります。
「ハケ、ブラシ、筆、感謝焼納所」
東京ブラシ講40周年参拝記念 平成27年10月吉日
何やら沢山の物が詰め込まれています。
時々片付けて「焚き上げ」をしているのでしょうか。
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こちらは「講中」ではありませんが。
赤いトマトを模した石がはめ込まれていて、良く目立ちます。
「古谷トマト F1 種子特産之碑」
昭和三十二年二月七月七日
夏の栄養果菜としてのトマトは今やわが國の三代果物の一
つとしてミカンリンゴに次ぐ消費量を占めるに至・・
県北部一帯はトマト一代交配F1種の名産地として・・・
読みにくいので、全文転記は諦めます。
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当時は、トマトは果物だったのですね。
昭和九年の東大農学部の学生、古谷春吉
という方の功績を記しているようです。
「古谷春吉」の文献を国立国会図書館サーチで検索
https://iss.ndl.go.jp/
トマトのほか栗、西瓜、蔬菜、狸、綿羊、豚、鶏などについて、沢山の本を書いているようです。
「F1」について確認。
ウィキペディアから抜粋。
「雑種第一代(ざっしゅだいいちだい、英語: F1 hybrid; Filial 1 hybrid)」。
生物において、異なる2つの系統の交配により生まれた第一世代目の子孫を指す。
石碑で「1」が小さく彫られています。そういう書き方をするようです。

「本殿」「拝殿」は修復中でした。
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キリがないので、これくらいにします。

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