記念碑

2018年11月18日 (日)

箱根の歌碑「箱根八里」

箱根八里の歌碑 です。

箱根関所跡の駐車場にありました。
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 箱根八里
  鳥居忱 作詞
  瀧廉太郎 作曲

 箱根の山は 天下の嶮
 函谷關も 物ならず
 萬丈の山 千仞の谷
 前に聳え 後にさゝふ

  雲は山をめぐり
  霧は谷をとざす

 昼猶闇き 杉の並木
 羊腸の小徑は 苔滑か

  一夫關に當るや
  萬夫も開くなし

 天下に旅する剛氣の武士
 大刀腰に 足駄がけ
 八里の岩ね 踏み鳴らす
  斯くこそありしか
  往時の武士

   望月正道 書
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すぐそばの解説文。
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 唱歌「箱根八里」は、作曲者
瀧 廉太郎 作詞者 鳥居 忱(まこと)
の両氏によって明治三十四年
につくられ、中学校唱歌に
採用されて以来、平成十三年
で誕生百年を迎えました。
 この「箱根八里」の歌碑は、
幾久しく多くの人々に愛唱さ
れ、往時をしのび永く後世に
伝えるために、昭和四十一年
に建立されたものです。
       箱 根 町
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良い歌ですよねー。
漢文調で、山と谷、前と後、雲と霧といった、安定感ある描写。
険しい山の情景や、昔の豪傑の旅の様子が目に浮かびます。
ここには載っていませんが、二番もあります。
そちらでは「猟銃肩に草鞋がけ」と、作詞当時の猟師が描かれています。

歩きやバイクで、狭い山道に差し掛かると。
 昼猶闇き 杉の並木
 羊腸の小徑は 苔滑か
つい口ずさんでしまいます。


作詞者について、ウィキペディアで確認。
 鳥居 忱(とりい まこと、嘉永6年8月22日(1853年9月24日)- 大正6年(1917年)5月15日)
 本名は忠一(ただかず)、初名は尾巻(おまき)。忱は通称。
 父は壬生藩江戸家老・鳥居志摩(忠敦)。
 江戸の大名小路(現在の東京都千代田区丸の内)若年寄役屋敷で生まれる。
うわーすごい。
江戸時代の家老の息子なんですねぇ。

主な作品。
 唱歌長岡少尉(永井建子作曲)
 旅順閉塞(今井慶松作曲)
 箱根八里(滝廉太郎作曲)
 セザール・マラン作詞・曲「秋のあわれ」訳詞
 宮城県登米市立佐沼小学校校歌(明治29年(1896年)9月 作詞・作曲)

これらも、ちょっと調べてみました。
長岡少尉と旅順閉塞、さすがに日露戦争当時の歌の情報は少ないです。
小学校校歌は、学校のホームページに載っていました。

失礼して、歌詞を転記します。

 佐沼小学校 校歌
  作詞・作曲 鳥居 忱

 1そのすえ海と なりぬべき
  清き流れの  佐沼川
  岸辺に生うる 撫子は
  やがて御国の 花なれや

 2ますら丈夫の いさおしの
  跡しのばるる 鹿が城
  麓に生うる  小松こそ
  やがて御国の 柱なれ

なるほど。
子どもたちを撫子や小さい松の木に例え「やがて御国の」花や柱になれと。
日清戦争が1894年から1895年。その直後に作られたのですね。

さすがに今どき、この歌だけでは、ちょっとアレなのでしょう。
校歌と共に「児童会のうた」というのが、載っていました。
 晴れた青空 輝く光・・・
現代では、こちらの方が馴染むのでしょうね。

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2018年11月17日 (土)

箱根の歌碑「金太郎」・文学碑「新田次郎」

最後に、見かけた石碑など。

金太郎のふる里 足柄山

夕日の滝のそばにあった歌碑です。
まだ新しいもので、歌碑の上にはかわいい金太郎や動物。
歌詞の書体も、かわいいもの。
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金太郎の歌
 作詞/石原和三郎
 作曲/田村虎蔵
一、まさかりかついで金太郎
  熊にまたがり
     お馬のけいこ
  はいしどうどう
     はいどうどう
  はいしどうどう
     はいどうどう

二、足柄山の山奥で
  けだもの集めて
     相撲のけいこ
  はっけよいよい
     のこった
  はっけよいよい
     のこった
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裏面には、特別奉賛者の名前がずらり。

(省略します)
平成十八年九月吉日
  南足柄市商工会
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とのことです。



新田次郎文学碑

足柄山の「誓いの丘の鐘」のそばにありました。
おやまぁ、新田次郎のイメージとかけ離れた甘い言葉。
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 恋をしている若者たちの
 目に映る富士山は
 バラ色に輝いて
 見えるであろう

   新田次郎
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すぐわきに説明文の看板がありました。
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 新田次郎文学碑について
 (長いので途中省略)
 碑文は富士山を愛し自然をこよなく愛した先生の作品「白い花が好きだ」
 の「富士の美」から選定しました。

  平成十四年六月六日
    新田次郎文学碑建設事業委員会
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新田次郎は「強力伝」「芙蓉の人」などの登山ものは、それなりに読んでいます。
私の子どもの頃の、NHK少年ドラマシリーズ「つぶやき岩の秘密」の原作も、この方です。
浅学ゆえ、この作品は知りませんでした。

ネットでちょっと立ち読み。
Nitta_201811

おやおや。
違ってますねぇ。「富士の美」じゃなくて「富士山の美」のようです。
結構ありますね、こういうの。

2012年11月18日(日) 浅間山すそ野ぐるり一周ウォーク 第3回 白糸の滝~桜岩観音
  国産初のカラー映画
  ×「カルメン故郷へ帰る」 ○「カルメン故郷に帰る」

  いろは坂「明治天皇中茶屋御野立所」
  ×「史蹟名勝天然記念物保存法」 ○「史蹟名勝天然紀念物保存法」

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2018年11月14日 (水)

のんびり箱根~熱海

2018年11月10日(日)です。
クルマで箱根に行きました。
都内や神奈川の友人と順に合流して、国道246号でゆったりと。
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通りすがりの休憩ポイント。
南足柄市の「矢倉沢ざる菊まつり」ですって。
へぇー。
ざるを伏せたように咲くので「ざる菊」だそうです。
みそおでんやジェラートで休憩。
南足柄市のキャラクターは「よいしょの金太郎」ですって。
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通りすがりの「夕日の滝」です。
枯葉が一杯の美しい散策路。

県道78号「金太郎富士見ライン」足柄峠です。
湘南や嬬恋などでも見かけるような「誓いの丘の鐘」(^^;
雲がなければ、正面に富士山が見えるようです。
カワサキニンジャ400とヤマハYB-1は、親子ツーリングですって。
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山麓に見える白い風車「富士松展望レストラン」。
観光客がいないと、静かなもの。
並んでいたオミヤゲは、いかにも外国人観光客向け。

賑わう仙石原湿原や紅葉の美しいビジターセンター。
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着きました。夕暮れ迫る芦ノ湖の湖畔。
遊覧船を待っている外国人観光客の皆さん。

続きは後ほど。

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2018年5月 4日 (金)

Breva750で再訪「利根沼田望郷ライン~中之条」

2018年5月1日(火)、連休の谷間ですが私は休日です。
Breva750で出掛けてみます。

以前行って大いに気に入ったルートを、もう一度走ります。

関越自動車道の昭和ICから赤城西麓広域農道を通り、川場村を経てJR後閑駅あたりまで。
まさに「快走ルート」と呼ぶにふさわしい、気持ちの良い道です。

昭和ICすぐそばの「道の駅あぐりーむ昭和」。
ここから後は、良く整備された道を標識通りに進みます。
一面に広がる山麓の農場、所どころに芝桜やつつじやタンポポなど。
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数か所のビュースポットには、トイレや自販機も置かれています。
上が平らな山は、三峰山というようです。
気持ち良さそうな鯉のぼりのある農家には、大きなトレーラー。
あちこちに立派な石碑。
 清水潤う西麓の大地 昭和村長 加藤秀光
 赤城西麓 清水の利根 沼田市長 星野巳喜雄
広域農道整備の記念碑なのでしょう。
20180501_02

農道を過ぎると、ちょっとした山道です。
ほぉ。
立派な道路に立派な「道切り」。
二か所ありましたので、その間の集落が据えたのでしょう。
草鞋にしては、丸っこいですが。
拡幅工事中の道路を抜けていく自転車。
ネットで見ると、バイクより自転車のコースとして人気のようです。
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沼田市内のビューポイント。
のぼりは「日本一有名な河岸段丘 天空の城下町 沼田」ですって。
すぐそばに、小さなお社が並んでいました。
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石碑には以下の通りです。
  昔の住人より 山の守り神とし
 て信仰されてきた高平地区八つの
 十二様を一同に集結を計り 地区
 民はもとより望郷ラインを通行さ
 れる皆様に 自然の尊さと林業に
 係る人の安全を願い 多くの皆様
 の参拝を望み当地に移築する
       一番 白大沢
       二番 中之沢
       三番 松ケ久保
       四番 黒岩
       五番 浄平
       六番 滝ノ沢
       七番 桜ケ原
       八番 戸之敷

   平成二十三年5月吉日
        高平公益社

へぇ「十二様」ですって。
ウィキペディアでは「山精様」として説明がありました。

へぇ「高平公益社」ですって。
以下のようなサイトがありました。

社団法人 高平公益社(白沢村)
 林資源の維持培養と地区住民の福祉の増進を図るため、明治40年に設立された。
 この共有林は経営面積522ha。住民の労力奉仕によって、スギを主林木に造林された。
 この山林の収益は組合員に分配することなく村内の共同施設、農業改善の施策、
 青年団、老人会、学校、消防、集落公費、神社祭典、各種記念事業等の
 寄付や援助に当てられている全国に類のない経営体である。

白沢村は、2005年に沼田市の編入されたそうです。

とにかく広くて明るくて気持ちの良い道です。
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関東平野のど真ん中、海も山も坂道さえロクにない埼玉県民。
道が左右や上下にうねっているだけで、嬉しい・・・(^^)

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2018年3月22日 (木)

歩いてきました「早稲田周辺」その3

歩いてきました「早稲田周辺」その3

2018年3月17日(土)の続きです。

「新宿区立漱石山房記念館」に向けて、夏目坂を上ります。
途中に、ベニカナメモチの高い生垣のある大きなマンション。
有島武郎の旧居跡ですって。

道路わきに、建売住宅のカンバンがありました。
元は一軒のお宅を三分割したのでしょう。
土地15坪に三階建て22坪で、、、7,000万円!
近所の奥さんと立ち話。
この辺は静かで暮らしやすいですよ。幼稚園や学校も近いし。
ここに住めば早稲田に入れるのなら良いですねーと冗談。
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さて到着です。
隣接の「新宿区立漱石公園」の入り口わきに、銅像がありました。
富永直樹作「漱石胸像」平成3年建立。
銅像の向かって右には「則天去私」とあります。
ネット上の辞書では、以下の通り。
 天に則り私を去るの意。
 夏目漱石が晩年に文学・人生の理想とした境地。
 自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの。
 漱石自身の造語。

裏面の碑文は、以下の通りです。
                  

 漱石は慶応3年(一八六七)二月九日、
この近くの江戸牛込馬場下横町(現・新
宿区喜久井町1)に生まれた。明治四十
年九月にこの地に住み、「三四郎」「それか
ら」「門」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」な
どを発表、大正五年(一九一六)十二月
九日、数え年五十歳で死去した。
 この終焉の「漱石山房」跡地に漱石の
胸像を建立し、その偉大な文業を、永遠
に称えるものである。
 なお、表の漱石の自筆の俳句は
「ひとよりも空 語よりも黙
  肩に来て人なつかしや赤蜻蛉」
と読む。

 平成三年三月  新 宿 区


「新宿区立漱石山房記念館」の外観やパネルです。
昨年の9月24日に開館したばかりで、ピカピカです。
内部は撮影禁止。
一階の無料スペースには、カフェやグッズ売店もあります。
有料エリアの観覧料は、一般300円。
展示の目玉は、漱石の書斎の再現展示。
今日あちこちでチェックした「硝子戸の中」が、まさにここなのですか。
建物外観の再現もありますが、中途半端で、なくても良いくらいに感じました。
周囲にバルコニーのある、ちょっと変わった構造の家だったようです。
その他、初版本の展示など。
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裏の公園には、夏目家のペットの合同供養塔が復元されていました。
特に「吾輩」の塔という訳ではないようです。

地下鉄で早稲田から飯田橋へ。中央線でお茶の水へ。
今度は、さだまさし。
 「食べかけの檸檬 聖橋から放る」
 「各駅停車の檸檬色が・・・」
駅構内や駅沿いの道は、私の若い頃、40年前の雰囲気が残っています。
画材店「レモン画翠」で、ちょっと買い物。
あの頃は、上階に喫茶室がありましてねぇ。
学校の帰りに、立寄ったものでしたよ。えぇ。
バナジューがうまくてねぇ。
くどくど。じじいの繰り言です。
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中央線で東京駅へ。
丸の内南口の、日本郵政が展開する商業施設KITTE。
屋上から見た東京駅の昼と夜。
夕日に照らされ、惑星タトゥイーンの宇宙港街の屋根みたい。
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その6階の「魚匠 銀平」。
付き出しから楽しく、お造り盛り合わせも新鮮でうまい。

スマホの万歩計は、19,500歩・14.5kmでした。
「レモン画翠」での買い物については、いずれまた。

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2018年3月21日 (水)

歩いてきました「早稲田周辺」その2

2018年3月17日(土)の続きです。

面影橋の停留所から終点の早稲田までは、わずか450メートル。
歩いてもすぐなのですが、せっかくなので。
これで165円を3回で、495円(^^;
私が学生の頃は、この路線は飯田橋まで続いていましたっけ。
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更に話は逸れます(^^;
高田馬場と言えば、赤穂浪士の堀部安兵衛の仇討ですよ。
水稲荷神社の入り口に「堀部堀部武庸加功遺跡之碑」がありました。
新宿区教育委員会の説明文を一部抜粋します。
 赤穂浪士・堀部安兵衛を顕彰する記念碑。
 江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫が明治四十三(1910)年に建立。
 当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし「忠臣蔵」の再評価が高まった時代。

せっかくですので、水稲荷神社もお参り。
二宮金次郎の石像があったり。
その先の早稲田通りの交差点そばのお蕎麦屋さん。
入口わきに「高田馬場の跡地」というパネル。
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少し急ぎましょう。
早稲田通り馬場下町交差点の「穴八幡宮」に到着です。
鏡子夫人が、漱石の「虫封じ」にお参りしたという神社です。
他にも、作家の五木寛之の、早稲田大学入学当時のエピソード。
 住むところがなくて、この神社の床下で野宿をして、
 藪蚊と共に「人気のない場所を探す二人連れ」に困った。
そんな話を、エッセイ集で読んだ覚えがあります。
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すぐ隣に「放生寺」が並んでいます。
昔は穴八幡宮と放生寺は、一体だったのですって。
明治元(1868)年の神仏分離令で、別々の神社とお寺に分かれたそうです。

早稲田通りには、タテカンがあったり古本屋が並んでいたり。
私は学生時代は神田で過ごしましたが、良く似た学生街の雰囲気。
小椋佳「春なんだなぁ」なんていう歌を思い出します。
 2017年4月23日(日) 小椋佳「春なんだなあ」
 「学生が自分らの青春に気付かずに」
そうそう。
その時には、気付かないんですよね。
かなりのおっさんの私ですが、それでも今を懐かしく思う日も来るのでしょう。
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お昼は、つい調子に乗って、学生向けの定食屋に入ってしまいました。
トンカツ定食650円。ご飯多すぎです(^^;
高田馬場跡のお寿司屋さんにすれば良かった・・・

やっと着きました「夏目漱石生誕の地」の石碑です。
東京メトロ早稲田駅すぐそばの、やよい軒の脇(^^;
ここからの上り坂は「夏目坂」。
解説文を要約します。
 漱石の「硝子戸の中」によると、名主であった漱石の父、
 夏目小兵衛直克がそう呼んでいたのが広まった、とのこと。
スマホで青空文庫を確認。
「硝子戸の中」
 父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければ
 ならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。
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坂道の途中の「誓閑寺」。
漱石の「硝子戸の中」では「西閑寺」、
「二百十日」で「寒磬寺」として登場するお寺だそうです。
スマホで青空文庫を確認。
どちらの作品でも「竹やぶから鐘の音が聞こえる」と描かれています。
入口に古びた梵鐘がありましたが、、、これがその鐘ではないようです。
なるほどねー。
これら作品の面影は、、、ないこともないですか。

もう一回、続けさせて頂きます。

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2018年3月19日 (月)

歩いてきました「早稲田周辺」

2018年3月17日(土)です。

昨年秋に「新宿区立漱石山房記念館」というのが開館しています。
公式サイトでは、以下の通りです。
 夏目漱石が生まれ育ち、その生涯をとじたまち新宿区に、
 漱石生誕150周年にあたる平成29年9月24日、
 漱石にとって初の本格的記念館が開館しました。

今年1月には、神楽坂や東京理科大学の周辺など、漱石ゆかりの地を歩きました。

また、早稲田と言えば、都電荒川線の西の終点。
東の三ノ輪橋から王子駅前までの区間は、ここ数年でも何回か乗っています。


というわけで。
王子駅前から早稲田まで都電荒川線に乗って。
早稲田周辺の夏目漱石ゆかりの地を歩いてきます。


新しい愛称「さくらトラム」こと「都電荒川線」は、東京に残る唯一の都電。
東の三ノ輪橋から西の早稲田まで、12.2km、30停留場。
JR王子駅前が、ちょうど中間点という感じです。
都電専用路線の部分もありますが、自動車との混合通行も。
王子の飛鳥山下での、一般道です。
都電の前に、自動車が割り込んだりね。
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停留所「鬼子母神前」で途中下車です。
停留所から参道はすぐです。大きなケヤキの並木です。
ロリ系ファッションと言うのでしょうか、そんな外国人の女性がいたり。
名物のススキのミミズクがあったり。
ご朱印も頂きました。
お納めは「お気持ちで」とのことで、それなりに。
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再度都電に乗り、もう一度「面影橋前」で途中下車です。

大昔のフォークソング「面影橋から」なんていうのが、ありまして。
六文銭の及川恒平という方の作詞作曲。
発表年は良く分かりませんが、1971年と書いているサイトがありました。
 「面影橋から天満橋、天満橋から日陰橋」と歌われています。
実在のこの橋がモデルという訳では、ないようです。

NSPの「面影橋」という歌もありました。
ウィキペディアで確認。
1979年3月21日シングル発売。
作詞作曲の天野滋さんは、2005年に亡くなっていたのですね。
こちらでは、こうです。
 「黄昏せまる面影橋に 見送るつもりで来たが
  帰したくなくなって さよならいえない」

かぐや姫の「神田川」も、この辺が舞台なのでしょう。
今は桜並木でキレイですが、私が高校生の頃は、もうねぇ。
桜なんてなかったですし、川自体もかなり汚かったと記憶しています。
そんな、いかにもアレな感じの場所だったのだろうと思います。

どうも前置きが長くなりました。
実際の「面影橋」です。
20180317_03
この通り、何の変哲もない橋。
神田川沿いのソメイヨシノのつぼみは、今にも開きそう。
(帰宅後のニュースでは、この日に靖国神社の開花宣言がありました)
橋のたもとには、太田道灌の「山吹の里」の石碑があります。
セニアカーのおじいさんがいましたので、離れて撮影のみ。
豊島区教育委員会の説明文を一部抜粋します。

 「山吹の里」は、ここ以外にも、荒川区町屋、横浜市六浦、埼玉県越生などの説がある。
 この石碑は、貞享三(1686)年に建立された供養塔を転用したもの。 だそうです。

わが埼玉県の越生梅林では「NHK大河ドラマに太田道灌を」という署名活動がありましたっけ。

なかなか早稲田に着きませんが。
続きは後ほど。

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2018年2月21日 (水)

SR400で吉見周辺散策 その2

さらにマイナースポットです。

まずは「岩窟ホテル」です。
今は閉鎖されています。
ホテルと呼ばれていますが、宿泊施設だったわけではありません。
個人で岩盤をくり抜いて作った、ちょっとした洞窟です。
私が子どもの頃の昭和40年代には、公開されていました。
入場料は、いくらだったのでしょう。
洞窟内部には階段や窓がくり抜かれ、二階から外が見渡せました。
広場には、ブランコやシーソー程度の施設があったと記憶しています。
道路を隔てた向かい側には、今でも売店があります。

次は「松山城跡」入り口です。
昨年2月には、北側から行ってみましたが、南側からの入り口もありました。
駐車場はなく、歩道わきにベンチと案内表示があるだけ。
上って行ってみたかったですが。
ライディングシューズは歩きにくいので、またの機会に。

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少し離れて「電力王福沢桃介生誕の地」という立て札です。
謎の台湾料理「天香味」のすぐそば。
クルマの信号待ちで見かけて、前から気になっていました。

  電力王 福沢桃介
 福沢桃介は、明治元年この戸の岩崎家
に生まれ、同七年に川越に移り住ん
だと言われています。
 桃介は幼いころから聡明で、慶應義
塾に進学後は、福沢諭吉の次女「房」
と結婚し、福沢姓を名乗るようになり
ました。明治二十年に米国留学し、
帰国後は財界で活躍しました。
 桃介は木曽川水源開発を始め、中部
地方から関西を中心に 多くの水力発
電を開発したため「電力王」と呼ばれ
ました。昭和十三年、渋谷の本邸に
て 七十歳で生涯の幕を閉じました。
 昭和六十年には福沢桃介を題材に
したNHKドラマ「春の波涛」
が放映されました。
  平成二十年九月
        吉見町教育委員会

えーと「春の波涛」ですかぁ。
 貞奴の夫である川上音二郎、福澤諭吉の娘婿で「電力王」の異名をとり、
 貞とのロマンスでも知られる福澤桃介、
 芸者時代に貞を水揚げした伊藤博文など幅広いキャラクターが登場したが、
 視聴率では低迷した。
うーん、全く記憶がありません。
あの有名な「貞奴」。伊藤博文が水揚げして、お下がりを娘婿に・・・(^^;

すぐ脇は広い畑。
周囲は農家や民家が点在するばかり。
これといった感慨はありません。

というわけで。
マイナーなスポットの個人的メモでした(^^;

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2018年1月13日 (土)

両国で発見 (0o0) 「徳川家康像」

2018年1月6日(土)「第五回愚者の会」の帰りです。

休館中の江戸東京博物館の裏手の遊歩道です。
寒桜の花の向こうに、銅像を発見。
大きな綾藺笠を被っているので、太田道灌だろうと思ったら。
なんと、徳川家康の像でした。
20180106_11

大きな亀に乗っています。鷹狩の姿だそうです。
へぇ?
鷹狩の様子は、テレビニュースなどで見ることがあります。
左腕に分厚く長い手袋をして、鷹は前腕にとまらせますよね。
この像では、素手のような握りこぶしに、鳥が前向きにとまっています。
鳥の大きさは、鳩くらいでしょうか。


この銅像の製作者は山下恒雄という方だそうです。
ネットで作品を検索してみます。
Yamashita_201801

ははぁ。
私は、このような芸術品について、特に知識もありませんが。
抽象と具象という見方をすれば、抽象的な作風ということでしょうか。


像の碑文を全文転記します。

徳川家康公銅像建立由来

 鷹狩の雄姿で江戸城を望んでいる徳川家康公が始めて、
草深い江戸の地に天正十八年(1590年)に、豊臣秀吉
の命により国替えとなった。
 そして、関ヶ原の戦い後慶長八年(1603年)征夷大
将軍となり江戸に幕府を開き天下普請を大名に命じ、本格的
な都市づくりの大事業を行い、政治の中心地として明治に至
るまでの永き亘って現在の東京の基礎となったことは周知の
事実である。
 社団法人 江戸消防記念会では、このような、江戸開府の
大事業を成し遂げた徳川家康公の偉業を称え、顕彰すべく
銅像建立の計画を練っていたところ、平成五年三月、江戸
東京博物館が両国の地に落成の運びとなるや、徳川家康公
銅像建立機運が一気に盛り上がり記念会創立以来の名誉ある
事業であることから、これを積極的に推進し、東京都をはじめ
関係諸機関に格別のご協力をいただきまして、江戸消防記念会
が主体となって平成六年四月銅像を建立、東京都に寄贈した
ものである。
   

うっひゃー。
私は、語学や文法について、特に深い知識もありませんが。
これはもう、誰でもわかるような、びっくりです。


江戸消防記念会のホームページもチェック。
http://www.edosyoubou.jp/
この銅像の紹介文がありました。
内容は、概ね先の碑文と同じですが、更にアレな表現も。
Edosyubou_201801

 このような、江戸開府の大事業を成し遂げ、現在の大東京の基礎を築いた、徳川家康公の
 業績を称えるとともに、遺徳を偲ぶべきモニュメントがありません。
  江戸消防の史実調査研究を事業目的としている社団法人 江戸消防記念会では、早くから
 このことに着目、銅像建立の必要性を論じてきたところであります。

「称えるとともに~ありません。」だそうです。
「史実調査研究を事業目的」で「銅像建立の必要性」を論じるそうです。
いやどうにも、これはすごい。


江戸東京博物館のサイトでレファレンス事例がありました。
一部抜粋します。

TOP>目的別利用案内>図書室のご利用>レファレンス事例集>徳川家康の銅像は都内に何体あるか。(2005年)

社団法人江戸消防記念会から当館に徳川家康像が寄贈されたのは1994年4月25日。
現在(2014年10月)都内にあるのはこの一体だけと言うことになります。
製作者は山下恒雄氏、像の高さは3.7メートル(台座からの高さ7.76メートル)、重量30トン。
台座の亀について正式な説明書きはありませんが、水の都としての江戸を表現しているとも言われています。
もっとも、昔から亀を土台にする像は多く見られます。
この亀の形をした動物を贔屓(ひいき)と言い、元々川の神の名であって、亀の形をとってこの世に現れると言われています。
この幻獣は石碑にかたどられ、「不動」の象徴とされているのです。


へぇー、なるほど。
あれは亀ではなく、幻獣なのですか。
そしてこれが、都内唯一の徳川家康像なのですか。


いやーすごい。これはすごい。
銅像も碑文も説明文も、ここまでのものは、初めて見ました。

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2018年1月 5日 (金)

歩いてきました「柴又帝釈天」

2018年1月4日(木)です。
毎年恒例の初詣、葛飾柴又帝釈天です。

柴又駅前の広場です。
1999年に設置された、振り返る寅さんの姿の「フーテンの寅」像。
その視線の先に新しく作られたのが「見送るさくら」像。
2017年3月25日に除幕式があったそうです。
201801041_01

以下、土台の文章を全文転記します。


―― ある別れ

 さくらは失恋して旅に出る寅を駅まで
見送ることにする
「いいんだよ、忙しいんだろお前」と
言いながらもその思いやりが
みにしみるほど寅は傷ついていた
 駅前でさくらは立ち止まる
「それじゃお兄ちゃん身体に気をつけてね」
「あヽ」と無造作にうなずいて駅舎に
向かう寅の足がふと止まりふり返る
「おい」
「なあに」
「満男に一生懸命勉強しろと言っとけよ」
「うん、わかった」
乱暴な口調で言いすててスタスタと
改札口に向かう寅
 さくらは踵を返し、秋の終わりを思わせる
冷たい風が吹く中を家路につく

 二〇一七年三月 山田洋次

寅さんの方の碑文は、昨年転記しています


帝釈天参道には、大きな看板。

祝 葛飾柴又
  国の「重要文化的景観」に選定へ

以下、ウィキペディアから抜粋です。
 重要文化的景観(じゅうようぶんかてきけいかん)は、
 日本の景観計画区域または景観地区内にある文化的景観であって、
 都道府県または市町村が保存措置を講じているもののうち、
 特に重要なものとして文化財保護法第134条第1項の規定に基づき
 国(文部科学大臣)が選定した文化財である。


いつものようにお参りをして、ご朱印を頂いて。
今年は、参道のお猿が目につきました。
申年が終わったばかりですが(^^;
201801041_02

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