記念碑

2025年6月26日 (木)

コペン GR SPORT で山梨県 その2

梅雨の谷間の快晴、2025年6月19日(木)の続きです。
友人のコペン GR SPORTで、山梨県内をうろうろしてきました。

樋口一葉ゆかりのお寺「慈雲寺」です。
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境内の奥には「樋口一葉文学碑」が。
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ご御朱印帳は持ってこなかったので、書き置きを頂きました。
ご住職と少し話。
このお寺には一葉は来たこともなく、樋口家の菩提寺でもないそうです。
両親が子どもの頃、ここの寺子屋に通っていた縁で、文学碑を建てたのだそうです。
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フルーツラインを少し流してと。
おっと。
空が暗くなり雷鳴が聞こえます。
長居は避けた方が良さそうです。
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「ぶどうの丘」で、甲府名物の桃のアイス、、、と言ってもスジャータですが(^^;
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勝沼ICから、中央道で引き上げです。


おまけです。
樋口一葉文学碑の、全文掲示がありました。
せっかくですので、全文転記します。
本文は適当に改行を加えました。
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 樋口一葉女史文学碑

この碑は大正十一年(一九二二年)一葉女史の文才を偲びて建てられたものである。
題額は東宮御学問所御用掛杉浦重剛、撰文は芸術院会員幸田成行(露伴)、
書は宮中御歌所出仕岡山高蔭にて、当時最も新しい形の碑文で、日本最高の文学碑といわれている。

杉浦重剛題額
一葉女史名は夏子樋口氏則義の第二女なり母は古谷氏瀧子
則義は甲斐國東山梨郡大藤村の人
壮歳志を立てて江戸に出で仕えて幕吏となり次いで職を東京府廳に奉ず
女史明治五年三月二十五日麴町山下町官舎に生まる
幼にして聰慧(そうけい)深く父の愛する所となる
年十五中島歌子に就て和歌を學ぶ學芸日月に進み歌子又其大成を期す
二十年夏嫡兄病みて死す父女史を器とするを以って女史をして家を承けしむ
二十二年七月父歿す
女史の世路の険艱(けんかん)に當りて孤高の性の却て多く苦めるもこれより始まり
人生の磨礪(まろう)に遭いて俊逸の才の漸く鋭きを加へしもこれより始まりぬ
窮窘(きゅうきん)数年女史終に文を以て世に問ふ
初は甚だ顧みられず然れども力めて息まず錐遂に嚢(のう)を出で米遂に粟を脱しぬ
濁江たけくらべ諸篇出づるに及びて學世愕然嘖稱(がくぜんさくしょう)して奇才と為し
佳作(かさく)の続出せんことを翹望(ぎょうぼう)す
悲しいかな天の才を與て壽を與へざるや二十九年十一月二十三日病を以て本郷丸山に終る
享年二十五築地本願寺先瑩(せんえい)に葬る
女史逝いて後三十年になりなんとす今猶其文を読み其人を思ふ者多し
今茲大藤村の人廣瀬弥七等女史の父母皆ここに出づるを以て碑を建てて女史を不朽にせんとす
鳴呼女史其文や鋒発韵流(ほうはついんりゅう)其人や内剛外柔
命薄けれども徳薄からず才名千載留まらん

 大正十一年七月 文学博士幸田成行撰 岡山高蔭書

平成八年四月 一葉会


「鋒発韵流」を検索。
この碑文の説明しか出てきません・・
https://ohta-masakazu.blog.jp/archives/15027653.html

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2025年5月 9日 (金)

埼玉県鴻巣市「なんじゃもんじゃの木」めぐり その3

埼玉県鴻巣市「なんじゃもんじゃの木」は、どこから来たのでしょうか?

愛宕神社のそばの木の説明文
・書かれているのは「明治神宮外苑」の「二代目の六道木」の由来
・書かれた時期は「昭和53年12月」
・目の前の木との関連は不明

鴻神社の説明文
・この木は「六道の辻にあった木の三代目」
・「明治神宮」より下賜された
・相手は「当時の文化財保護委員の藤井誠氏」
・下賜された時期は「昭和56年」

勝願寺住職の話
地域ニュースサイト号外NETライター(鴻巣市・北本市)
【鴻巣市】「この木はなんじゃ!?」が語源といわれている「なんじゃもんじゃの木」が見頃です♪
4/29(火) 21:01
・「明治神宮」から「文化財保護委員の方」を通して譲り受けた
・時期は「今から40~45年前」
・同時期にいくつかのお寺や神社に渡った


ははぁ。
・明治神宮外苑に「なんじゃもんじゃの木」の「二代目」があった
・その木の子孫が、鴻巣市の文化財保護委員を通して、市内各地に配られた
・時期は「昭和50年代」
ということですか。

「明治神宮」と「明治神宮外苑」の違いも、少し気になりますが。
配ったのは、宗教法人の「明治神宮」で、木の植えてある場所が「明治神宮外苑」なのでしょう。

それはさておき。
なぜ埼玉県鴻巣市なのでしょう?
他の地域で同じような事例はないのでしょうか?
ネットで探して、わずかにこの2件が見つかりました。


埼玉新聞
淡雪をまとったよう…埼玉・幸手に幻想的な光景広がる
 元幸手市長宅でナンジャモンジャが見頃

5/1(木) 10:43
埼玉県の元幸手の市長・町田英夫さん。
町田さんは1978年に明治神宮外苑から「この木を地域に広めてほしい」と譲り受けた苗木を、約4千平方メートルの庭に植栽。
15本の大木を含む55本まで増やした。


NPO法人 静岡市観光ボランティアガイド 駿府ウエイブ
城北公園の「なんじゃもんじゃ」の木の白い花がきれいです。
2024年4月21日
公園内の木は、昭和59年に神宮外苑と岐阜県瑞浪市の篤志家から譲ってもらい、100本近くあるそうです。

近くの埼玉県幸手市と、遠く離れた静岡県静岡市
どうも良く分かりません。


この木は、通称名「なんじゃもんじゃの木」ですが、正式名は「ヒトツバタゴ」
ウィキぺディアによりますと、以下の通りです。
日本では分布域が限られ、対馬、長野県、岐阜県の東濃地方の木曽川周辺、愛知県に隔離分布する珍しい分布形態をとる。
人為的に植えられ、公園などで見ることもある。
日本において本種は希少種のひとつであり、絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト)に指定されている。

鴻巣市内では、今回の三か所以外でも「なんじゃもんじゃの木」を見かけました。
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絶滅危惧種に指定されるくらいですから、育ちにくいのでしょうか?
昭和50年代に全国各地に配られたものの、埼玉県鴻巣市が特に生育に適していたのでしょうか?

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2025年5月 2日 (金)

えぇ?こんなところに?「安倍晴明 生誕の地」碑文を全文転記

先日の「ザ・ヒロサワ・シティ」「ユメノバ」の帰りです。
・2025年4月25日(金) 再訪です「ザ・ヒロサワ・シティ」

すぐ近くで、偶然「安倍晴明 生誕の地」を発見。
「晴明橋公園」というようです。
畑の中にぽつんとある、10メートル四方ほどの小さな公園です。
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石碑の表面は白い塗料が流れて見にくいですが、なんとか全文転記してみました
文中の明野町は、2005年に下館市・関城町・協和町と合併して筑西市になりました。

ウィキペディアによりますと、安倍晴明の生誕地には、以下の三か所の説があるそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/安倍晴明#生誕地
・猫島(茨城県筑西市)
・坂本(滋賀県大津市)
・讃岐国香東郡井原庄(香川県高松市香南町)
石碑の見出しなどでは「生誕の地」とされていますが、
碑文では「生誕伝説発祥の地とされている」と記されています。

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  安倍晴明生誕の地
 安倍晴明は、平安時代、日本一の陰陽師として
知られ、明野町猫島はその晴明生誕伝説発祥の地
とされている。
 慶長年間(一五九六~一六一五)の成立とされ
る晴明伝「簠簋抄(ほきしょう)」によると、晴
明は常陸国筑波山麓、猫島の生まれとある。
 晴明の祖、阿倍仲麻呂は遣唐使として中国に渡
り彼の地で亡くなった。
 共に留学していた吉備真備は、帰国の時、仲麻
呂の助力によって得た陰陽道の秘伝書「簠簋内伝
・金鳥玉兎集」を持ち帰り、筑波山麓猫島に住む、
子孫の童子に秘伝の書を渡した。この童子こそ神
童と呼ばれた幼き日の晴明であった。童子は筑波
山で修行を続け、ある日、鹿島神宮に参籠し、森
で鳥たちの啼き声から、超能力で都の帝の病気を
知り、京に上り帝の病を治した。喜んだ帝は三月
の晴明節に因んで「晴明」の名を賜ったという。
 陰陽師安倍清明は、天文・暦学などで平安時代
の社会に大きく貢献した。
 陰陽道は日本人の心として、人々の深層に宿り、
暦・年中行事等、現在に生きている。
 晴明の物語は口碑伝承として全国に広まった。
「今昔物語集」「平家物語」「源平盛衰記」などに
も記されている。
  平成十二年一月三日建立
    明野町

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2025年4月30日 (水)

えぇ?こんなところに?「安倍晴明 生誕の地」

先日の「ザ・ヒロサワ・シティ」「ユメノバ」の帰りです。
・2025年4月25日(金) 再訪です「ザ・ヒロサワ・シティ」

すぐ近くで、偶然「安倍晴明 生誕の地」を発見。
「晴明橋公園」というようです。
畑の中にぽつんとある、10メートル四方ほどの小さな公園です。
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石碑の文面は白い塗料が流れて見にくいです。
全文転記したいですが、後日にします。

とりあえず、木札「晴明橋の由来」
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全文転記します。
  晴明橋の由来
 かつて、この地に陰陽師・安倍清明が架けたという石橋があった。
「晴明橋」と呼ばれ、地元の人々に親しまれてきた。
 当時、観音川流域は湿地帯も多く、大雨が降ると水田が水浸しになり村人達を困らせた。
心を痛めた晴明は、地形を利用して橋を架けた。
橋は堰堤を兼ねた構造だったともいわれ、以後どんな増水にも耐え、水が橋を超えることがなかったという。
 災害を未然に防いだので、村人達から大いに感謝されたという。
 この橋は、その口承をもとに、橋の一部を再現したものである。
  筑西市

石碑などの裏には、5台分の駐車スペースとベンチがふたつ。
「生誕の地」を示すかんばんの柱には、なにやらアヤしい木札
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四人で手を合わせよ。
過去にも出会った三人が出会った場所に
いる時、四十九の道標が完成する。
まだ見ぬ黒点はすでに目の前。
最後の決め手は、始まりの始まりに。
真新しい立派な木の板で、四隅に穴あけして、しっかりと取り付けられています。

グーグルマップのストリートビューで、過去の状態を確認。
2023年5月には、ちょうど道路舗装工事中。
この時には、この木札は付いていません。
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公式なものとは思えません。
う~ん、アヤしい・・・

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2024年10月 9日 (水)

埼玉県行田市「昭和天皇の行幸記念碑」

埼玉県行田市の「足袋とくらしの博物館」を見てきました。

少し離れた場所にクルマを置いて歩きます。
何度も行っている「忍城御三階櫓」が見えます。
1988年に再建された「復興天守」。
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途中にある行田市商工センター前です。
昭和58年の天皇陛下の行幸記念の石碑がありました。
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碑文は、その際の天皇陛下の歌です。
 御製
  行田にて
足袋はきて
 葉山の磯を
  調へたる
むかし思へば
 なつか志く
  して
 侍従長
  入江相政 謹書

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石碑の脇に、金属パネルがありました。
石碑裏面の文章を、読みやすく掲示しているようです。
全文転記します。
 陰碑・碑文
天皇陛下 埼玉古墳群御見学の為
昭和五十八年五月三十一日 当地に
行幸せらる
その折 市長 市政を奏逑す
日本一の行田足袋に 興深く聖聴さる
則ち 新春 行田足袋をおもふ の御歌
を拝す
市民挙りて 永久えに 伝えんと 茲に
建碑す
昭和五十九年十一月三日
建立 行田市長 中川直木
協賛 行田足袋商工協同組合
(大澤俊吉撰文並書)
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はて?
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「奏逑す」
とあります。
ネットの辞書で「逑」の意味を確認。
①あつまる。あつめる。あ(合)う。 [類]糾
②つれあい。たぐい。「好逑」 [類]仇(キュウ)
これはどうも、違うのではないかと思います。
良く似た字の「述」なら「のべる・言う」で意味が通るのですが。

さて「足袋とくらしの博物館」はすぐそこです。
続きは後ほど。

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2024年2月 1日 (木)

歩いてきました 埼玉県毛呂山町「鎌倉街道上道と古墳群」その2

2024年1月28日(日)の続きです。
毛呂山町の「毛呂山町歴史民俗資料館」の周辺。
「鎌倉街道上道」「古墳群」を歩いて見てきました。

「大類グラウンド」には、立派な野球場がありました。
入口の脇には、こんな石碑が。
「日本プロ野球名球会来町記念」
平成6年11月13日建立。
毛呂山町合併四十周年と、このグラウンドの落成記念に名球会メンバーを招待したのだそうです。
金田正一、江藤慎一、福本豊などのサイン。
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歩道のない郊外の舗装道路を歩きます。
「蕎麦料理すみや」の向かい側です。
かなり摩滅していますが「神明台の庚申塔」「馬頭観音」ですね。
広い畑を背に、並んでいます。
造花が少し色あせています・・・
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古びた「野原医院」というカンバンがありまして。
ルート図ではここを曲がるようです。
少しだけ先には、小さなお地蔵様。
お顔だけ補修されているようです。
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少し戻り、脇の道に入ります。
立派な農家の先に、ちょっと傷んだ建物。
これが「野原医院」のようですが、使われていないようです。
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すぐ先にある「十社神社」です。
小さいですが、キレイに整備されています。
先日の羽生市では「桑崎三神社」という神社がありました。
2024年1月19日(金) GSR250Sで埼玉群馬の「河畔砂丘」めぐり その2
そちらは、八幡社、天神社、稲荷社で三神社でしたが、こちらはどうでしょう?
毛呂山町のサイトをチェック。
苦林野合戦で足利基氏方で戦死した武将、金井新左衛門ほか9名の英霊を祀ったといわれます。
なるほど。
南北朝時代の武将が、神様になったのですか。
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境内の端には、新しい弁財天。
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本殿裏手には、小さな丘がぼこぼこ。
これが「大類古墳群」の一部なのでしょう。
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更に田舎道を歩きます。
狭い道路沿いの畑に、小さな「前方後円墳」
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更にすぐ先には「苦林古墳」
こちらも「前方後円墳」です。
道路から見える「前方」部分に「苦林野古戦場跡」の石碑があります。
昭和8年建立と読み取れました。
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「後円」の部分には「苦林野合戦供養塔」
千手観音ですね。
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20分ほど歩いて「毛呂山町歴史民俗資料館」に戻りました。
「鎌倉街道上道」周辺は、良く手入れされた気持ちの良い遊歩道でした。
点在する「古墳群」周辺は、ローカルな田舎道です。
古墳自体も、知らなければ見落としてしまいそうなものばかり。
それがまた面白いところでした。

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2024年1月21日 (日)

GSR250Sで埼玉群馬の「河畔砂丘」めぐり

「河畔砂丘(かはんさきゅう)」というのがありまして。
ウィキペディアから、ざっと転記します。
砂床河川の中・下流域の流路に沿って形成される砂丘である。
海岸部ではなく内陸部に形成される。
河原から吹き上げられた砂が、蛇行した河川の凸部の風下側に堆積することにより形成される。
現存するものの多くは、愛知県と岐阜県の木曽川流域、群馬県と埼玉県の利根川流域のみ。
これらも宅地開発や、容易に砂礫を採取出来ることから本来の地形を留めているものはほとんど無い。
加須市にある会の川砂丘(志多見砂丘)は日本に残る河畔砂丘の中で最大級のもの。

というわけで。
2024年1月19日(金)です。
GSR250Sで埼玉と群馬の砂丘を、何か所か回ってみます。

まずは埼玉県加須市「志多見砂丘公園」に向かいます。
すぐそばの農協の施設です。
「JAさいたま志多見カントリーエレベーター」
「おいしい志多見砂丘米」
とあります。
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「志多見砂丘公園」に到着。
Y字路に挟まれた三角の小公園。
周囲には桜や椿の木が並んでいます。
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平坦な広場で、砂丘という感じは全くありません。
遊具もなく、コンクリート製のあずまやとベンチ、簡易トイレと水道があるだけ。
簡単なカンバンがあります。
右の縦長の杭には「平成二十五年度食餌木植栽事業 (社)埼玉県猟友会」とあります。
何か、鳥が食べる実のなる木を植えたのでしょうか。
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交差点の先に、何やら立派な石碑が。
手入れをされていない植栽に遮られていますが、こんな内容でした。
志多見賛歌
 作詞 加須市長 髙瀬一太郎
紫匂う武蔵野の
  中央に拓けし
 志多見の里は
歴史の譽いや高く
恵み豊かに人和して
希望の光り
  求めて行かん
志多見土地改良区
青毛堀用悪水路土地改良区 理事長 松本勘一
  平成十年一月吉日 建立
この記念碑について、ネットで検索しても情報は見つかりません。
要は土地改良の記念碑なのでしょう。
「紫匂う武蔵野の」で検索すると、幾つもの校歌の歌い出し。
「恵み豊か+人和して」は、埼玉県歌のフレーズですねぇ。
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わずか2kmほど移動します。
「加須市指定名勝 志多見砂丘」です。
この通り、狭い道沿いの小高い雑木林。
特に手入れもされていないようで、ボサボサ。
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解説カンバンがあります。
昭和56年12月1日 加須市教育委員会
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フェンスの向こうは、遊園地「むさしの村」
バックヤードは、まぁこんなものでしょう。
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すぐそばの、小規模開発の住宅地です。
隣接する空き地には、この通りの砂山が。
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道路側からはこの通り。
ブロック塀ぎりぎりの高さです。
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国道122号と県道38号「志多見交差点」そばの空き地です。
小高い丘にはぼさぼさの雑木林。これも砂丘なのでしょう。
砂山がブロック塀に覆いかぶさっています。
先の住宅地もそうですが、砂丘が今でも成長しているのでしょうか。
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何と言いますか。
大変失礼ながら、これで「指定名勝」と隣接地域なんですか。

続きは後ほど。

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2023年10月 6日 (金)

歩いてきました「宇都宮城址~宇都宮二荒山神社」

2023年10月2日(月)です。
今年の8月26日に開業した、栃木県の「宇都宮芳賀ライトレール線」に乗ってきました。
用語が混乱してしまうので、一応確認。
・運行している会社名:宇都宮ライトレール株式会社
・路線名:宇都宮芳賀ライトレール線
・鉄道事業の種類:ライトレール、ライトレールトランジット(Light rail transit, LRT)
・車両の愛称:ライトライン

その前に、宇都宮市内をぶらぶら。
「宇都宮城址公園」です。
お堀に沿って土手が築かれ、その両端に立派な櫓が作られています。
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展示館にあった、城全体の模型です。
オレンジ色での線で囲まれた、左側の部分が再現されています。
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内側の芝生の広場には、撤収中のテントが沢山。
昨日と一昨日の土日で、何かイベントでもあったのでしょう。
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町なかを歩きます。
大変立派な「宇都宮中央郵便局」
ウィキペディアで確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宇都宮中央郵便局
2000年(平成12年)7月31日 - 宇都宮市本町から同市中央本町(旧栃木県済生会宇都宮病院跡地)へ移転。
交差点に向いているガラス窓は「郵便記号」に似せているのでしょうか。
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到着です「二荒山神社」
同じ漢字の「日光二荒山神社」と区別するため「宇都宮二荒山神社」とも言われるようです。
読み方も違います。
・日光の方は「ふたらさんじんじゃ」
・宇都宮の方は「ふたあらやまじんじゃ」
大きな鳥居の先に、長い石段。
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立派な社殿。
早めの七五三参拝の子どもが、ポップコーンの自販機を見ていたり(^^)
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ここまで来ると、東武宇都宮駅も近いです。
アーケード街「オリオン通り」を、ぶらぶら。
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さて。
「宇都宮城址公園」に戻り、クルマを出してJR宇都宮駅前に移動です。
駅のそばの「旧篠原家住宅」
国指定重要文化財・市指定有形文化財。
残念。月曜日は休館でした。
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JR宇都宮駅西口のペデストリアンデッキにある「餃子像」
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そばのプレートには、以下のような解説文。
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 餃子像
 この像は「餃子の町・宇都宮」
のシンボルとして、
TV東京「おまかせ山田商会」
(H5年~H6年放送)の番組
企画で餃子の皮に包まれた
ビーナスをモチーフに、
地元産大谷石を使い制作
されたものです。
 宇都宮観光コンベンション協会

ウィキペディアで確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/おまかせ!山田商会
おまかせ!山田商会
宇都宮市が餃子の街として有名になったのは、この番組の町おこし企画がきっかけとなっている。
餃子像も同企画で作られたものである。
へぇー。
更に脚注リンクがありました。
https://www.goko-net.jp/gyouza/
宇都宮 餃子ストーリー
「宇都宮餃子」を作った男
GOKO監査役 沼尾博行
宇都宮餃子 誕生物語
1990年(平成2年)に市役所内で中堅職員を対象とした研修が開かれ、
その発表会で「餃子を通しての町おこし」という提案がされた。

へぇー。
こんな経緯だったのですか。

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2023年7月 2日 (日)

行ってきました 埼玉県朝霞市「陸上自衛隊 広報センター」余談

「陸上自衛隊広報センター りっくんランド」に行ってきました。
https://www.mod.go.jp/gsdf/eae/prcenter/
Asaka_202306

展示はもちろんのこと、売店も充実しています。
自衛隊ロゴのTシャツやバッグ、お菓子、プラモデルなどなど。
残念ながら撮影禁止になっていました。
まぁねぇ、版権商品もあるでしょうし。
買わずに撮影だけで済まされても困るでしょう。

せっかくなので、お菓子をひとつ。
「防衛省まんじゅう」です。
中身は「防衛省」と焼き印のある、普通のお菓子です。
何も言わなくても、レジ袋に入れてくれました。
この通りオリーブグリーンの迷彩柄(^^;
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包装紙の裏側には「自衛官の心構え」
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へぇー。
防衛白書の検索サイトでチェック。
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_web/
「自衛官の心構え」で検索してみました。
1982年度の防衛白書から、以下の表現がヒット。
自衛官のあるべき姿は,「服務の本旨」(自衛隊法第52条)及び「自衛官の心構え 」(昭和36年6月28日制定)を準拠としている。
文面も載っていました。
お菓子の包装紙と同じなので、全文転記します。
自衛官の心構え
1 使命の自覚
(1) 祖先より受けつぎ,これを充実発展せしめて次の世代に伝える日本の国,その国民と国土を外部の侵略から守る。
(2) 自由と責任の上に築かれる国民生活の平和と秩序を守る。
2 個人の充実
(1) 積極的で,偏りのない立派な社会人としての性格の形成に努め,正しい判断力を養う。
(2) 知性,自発率先,信頼性及び体力等の諸要素について,ひろく調和のとれた個性を伸展する。
3 責任の遂行
(1) 勇気と忍耐をもって,責任の命ずるところ身をていして任務を遂行する。
(2) 僚友互いに真愛の情をもって結び,公に奉ずる心を基とし,その持場を守りぬく。
4 規律の巌守
(1) 規律を部隊の生命とし,法令の遵守と命令に対する服従は誠実厳正に行う。
(2) 命令を適切にするとともに,自覚に基づく積極的な服従の習性を育成する。
5 団結の強化
(1) 卓越した統率と情味ある結合のなかに,苦難と試練に耐える集団としての確信をつちかう。
(2) 陸,海,空心を一にして精強に励み,祖国と民族の存立のため,全力をつくしてその負託にこたえる。

更におまけです。
最寄り駅、東武東上線の和光市駅
駅前の様子です。
掲示板の上にいるのは「わこうっち」
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裏面には「わこうっち」「さつきちゃん」
元素周期表
113番元素ニホニウム発見の町和光市
とあります。
和光市にある「理化学研究所」が関わっているのですね。
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こちらは「清水かつら」作詞の童謡の歌碑
みどりの そよ風
靴が鳴る
しかられて
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裏面です。
清水かつら氏は、和光市在住だったそうです。
同氏の生誕百年と和光ライオンズクラブ20周年記念として、
平成10年2月吉日に建立。
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これで終りにします。

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2023年6月 5日 (月)

GSR250Sで行田市「辯天門樋」と「成就院三重塔」

2023年6月4日(日)です。
先日の埼玉県吉見町「岩殿山安楽寺」の三重塔に続いて。
埼玉県行田市「五智山成就院」の三重塔を眺めてきました。

2023年6月3日(土) ご近所散歩 埼玉県川島町「平成の森公園」~吉見町「岩殿山安楽寺」
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江戸時代初期の塔は、埼玉県内で三塔しかないそうです。
後の二つは、川口市「西福寺」と、行田市「成就院」。
行田市ならすぐ近く。ちょっと行ってみました。

三重塔の前に「辯天門樋」です。
後ろに、お馴染み「古代蓮の里」の展望タワーが見えます。
2022年6月16日(木) 埼玉県行田市「古代蓮の里」蓮の花 開花状況
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解説文は、行田市のサイトから拝借。
辯天門樋(べんてんもんぴ)は、埼玉古墳群から約1キロメートル東の旧忍川沿いに位置し、
農業用水路の取水口として、明治38(1905)年6月3日に竣工しました。
造型装飾に重きを置いた治水関連の近代化遺産であり、埼玉県の近代煉瓦生産を物語る遺構としても貴重です。
なるほど。
深谷の煉瓦で作られているのですね。
草で良く見えませんが、右側に何やら石碑もあるようです。
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川の対岸に回ります。
簡易舗装された道路で、そばまで行けました。
ここまではクルマでも入れる道幅ですが、その先はぐっと狭くなっています。
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石碑は「中川の碑 ―中川と元荒川―」とあります。
中川水系の略図と解説ですね。
上には、かっぱの像。
埼玉県治水協会、平成25年3月建立。
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「真言宗智山派 五智山 成就院」は、ここからすぐ近く。
奥の左手に、立派な三重塔が見えます。
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山門脇には六地蔵。
奥では、石の小坊主がお出迎え。
広くはないですが、静かで良く整備された境内。
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おー。
小振りではありますが、立派な塔です。
解説文は、行田市のサイトから拝借。
総高11.18メートル、間口奥行2.24メートル、相輪高2.92メートル
この三重塔は、享保14年(1729年)に建立されたもので、昭和56・57年に解体復原工事を実施し、現在に至っています。
塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣(ようえ)観世音菩薩が本尊として安置されています。
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前の道路とお寺の間の用水路には、カルガモの親子(^^)
8年前に書いた、他の鳥との見分け方です。
2015年7月3日(金) これって可愛くないですかー
「マガモ」は、くちばし全体が淡い黄色。
「カルガモ」は、くちばしの先だけ黄色。
「アヒル」は、マガモを家禽として改良したもの。
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さて。
行田市内は、いろいろ見どころもあるのですが。
今日は、このまま熊谷市に移動です。
熊谷市塩にある「塩の大エノキ」に行ってみます。

数少ない相互リンクの「バイク三昧で行こう」で、知りました。
2023年5月3日「近場の巨木巡りツー(CT125)」

続きは後ほど。

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