記念碑

2017年4月13日 (木)

埼玉の桜をチェック「こだま千本桜~成身院百体観音堂~間瀬峠」

2017年4月9日(日)です。
今日こそ、Breva750で出動、、、と思ったら。
今日も、朝から雨です(泣)

仕方ありません。
スペイドで、さくっと埼玉の桜を見てきます。
途中の花園IC付近の交通安全モニュメント(^^)
赤城乳業の「本庄千本さくら『5S』工場」
どなたもご存じ「ガリガリ君」のメーカーですが、、、
 群馬県の赤城ではなく、埼玉県。
 乳業とありますが、乳成分はなし。
これでは「埼玉氷菓」ですよねぇ(^^;

お馴染みの「こだま千本桜」に到着です。
何しろ広いですからね。臨時駐車場も余裕です。天気のせいもあるでしょうが。
河原ではマラソン大会。伴走の白バイはスタンディング(^^)
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今日はちょうど「桜まつり」。
ステージもあり。出店も色々、デコトラまで。
地域福祉活動募金のお礼は、赤城乳業のガリガリ君(^^)
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2月に来たばかりの「さざえ堂=成身院百体観音堂」 です。
おぉー、素晴らしい満開。
足元にはシャガ。観光センターの庭には水芭蕉。
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長瀞に抜ける峠道「間瀬峠」に向かいます。
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小さな古いダム間瀬堰堤です。
 8年の歳月(昭和5年~昭和12年)をかけて築造された
 東日本に現存する最古の農業用重力式コンクリートダムです。
なんとも良い雰囲気で、ここだけで半日くらいは過ごせるのですが。

登録有形文化財(建造物)。第11-0026号
昭和33年には、週刊読売選定の「新日本百景」にも選ばれているそうです。

銘板は、以下の通りです。

 堰堤概要
 位 置  児玉郡秋平村大字西小平
 形 式  玉石混凝土重力堰堤
 延 長  百二十六メートル
 高 サ  最高二七、五メートル
 上部幅員 四メートル
 仝標高  一五九、五メートル
 勾 配  内法壹分、外法八分六厘
 貯水量  五拾参萬立方メートル
 水面積  七町歩
 灌漑面積 七百町歩
 工 費  四拾壹萬八千圓
 竣 工  昭和十二年三月

混凝土=コンクリート、
内法=うちのり、壹分=1/60度 ですね。
なぜか数字の表記が違ったり、メートルだけカナだったり。

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この間瀬峠は「頭文字D プロジェクトD編 埼玉バトル」の舞台。
昔のあれこれにより、今でも二輪車は通行止め。
国道140号に出て「皆野寄居有料道路」で帰宅します。
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売店では「TOLLROADカード」が貰えます。
埼玉県道路公社のオリジナルカード。
Tollroadsaitama
狭山環状有料道路、新見沼大橋有料道路、皆野寄居有料道路の3枚でフルコンプ(^^)

というわけで。
来週末こそ、晴れてくれると良いのですが。

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2017年1月 9日 (月)

行ってきました、恒例「柴又帝釈天」その2

ちょっと追記です。
柴又駅前の、寅さんの銅像の碑文を転記します。

 寅さんは損ばかりしながら生きている
 江戸っ子とはそういうものだと
 別に後悔もしていない
 人一倍他人には親切で家族思いで
 金儲けなぞは爪の垢ほども考えたことがない
 そんな無欲で気持ちのいい男なのに
 なぜかみんなに馬鹿にされる
 もう二度と故郷になんか帰るものかと
 哀しみをこらえて柴又の駅を旅立つことを
 いったい何十辺くり返したことだろう
 でも 故郷は恋しい
 変わる事のない愛情で自分を守ってくれる
 妹のさくらが可哀想でならない
 ――ごめんよさくら いつかはきっと偉い
 兄貴になるからな――
 車寅次郎はそう心に念じつつ
 故郷柴又の町をふり返るのである
        一九九九年八月 山田洋次

今年の3月には、さくらさんの像も設置されるそうです。

葛飾柴又 寅さんのそばに妹「さくら」の銅像
17年3月に設置 葛飾区が1800万円を補正予算案
Mainichpnp_tora

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2016年11月 6日 (日)

朗読館「歌は世につれ」~阿久悠の綴った時代

こんなイベントがあるそうです。

joプロジェクト≪キョウユウ≫広場
第4回公演のお知らせ 2016.10.31 Monday19:04

朗読館「歌は世につれ」~阿久悠の綴った時代

◇11月29日(火)
【昼の部】14:30開演(14:00開場)
【夜の部】18:30開演(18:00開場)
 第1部「星をつくった男~阿久悠と、その時代」重松 清 著
    「不機嫌な作詞家~阿久悠日記を読む」三田 完 著
 第2部『詩小説』(第7回島清恋愛文学賞受賞)/阿久 悠 著より
    「また逢う日まで」「北の宿から」「青春時代」

☆会場 :お江戸日本橋亭
東京都中央区日本橋本町3-1-6日本橋永谷ビル1F
(東京メトロ銀座線三越前駅 10番出口/
JR総武快速線新日本橋駅 3番出口 ともに2分)

☆出演 :広居バン、堀江令子、三田朱美

☆料金 :前売り・当日ともに ¥3000[全席自由]
    昼の部:おやつ&飲み物付き
    夜の部:軽食&飲み物付き

Jo_akuyuu_a Jo_akuyuu_b


先日、このイベントの主催の方からメールを頂きました。
私が以前掲載した石碑の画像を、このイベントの中で使いたいとのこと。

2012年6月17日(日) 初島小中学校校歌

20120617_8 20120617_6


それはもう、どうぞご自由にお使い下さい(^^)
私も行ってみたいですが、平日夕方ですかぁ・・・

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2016年10月 1日 (土)

スペイドで、越生町からときがわ町周辺 その3

2016年9月25日(土)の続きです。

どんどん登っていくと「くぬぎむら体験交流館」が見えてきました。
あぁやっぱり。廃校になった小学校の跡地です。

残念ながら、すでに交流館の営業は終わっていました。
また来てくださいね、と声をかけられ周囲をうろうろ。
丸太のテーブルもキレイですし、結構はやっているようです。

ときがわ町のキャッチコピーは「都心に一番近い田舎・ときがわ町」
先の古民家カフェやかき氷、いつもの「とうふ工房わたなべ」。
サイクリスト向けの施設拡充など。
町全体で、がんばっているなーと思います。

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記念碑の碑文を、全文転記します。

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閉校記念碑(表面)
大椚第二小学校ここにありき

つどいの歌
 作詞 渡辺泰禅
 作曲 田中平八

一 大つき山に 日がのぼる
  あかい大きな 日がのぼる
  みんなあつまれ 元気よく
  きょうも楽しく 学ぼうよ

二 むこうの尾根に 雲がわく
  白い大きな 雲がわく
  ながい坂道 かけのぼれ
  強いからだを つくろうよ

三 青く広がる 広い空
  遠くかすんだ 広いはら
  夢ははてなく かけめぐる
  輝く未来を ひらこうよ


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大椚第二小学校閉校の碑(裏面)

 大椚第二小学校は、明治七年民家清水謙三
郎氏宅の一部を仮校舎として開校し、槻川分
教室と称した。十二年一月現在地に校舎を新
築、同年五月竣工、泉原学校と称した。その
後数々の増改築が施された。しかし、昭和二
十二年九月風水害による裏山の崩壊により校
舎が倒壊し新築を余儀なくされ、二十四年五
月新校舎が竣工新しい学舎での教育が始まっ
た。時代の変革と共に校名の改称も幾度とな
くされた。そして三十五年四月独立して都幾
川村立大椚第二小学校となった。
 四十七年五月「つどいの歌」、四十八年四
月「校章、バッチ」を制定。四十八年五月文
部省及び県教委よりへき地教育研究委嘱。六
十年六月開講二十五周年記念式典の挙行。平
成十年四月NHK総合テレビ「小さな旅」で
放映等々、小規模校としての長所を生かした
学校教育の推進に邁進してきた。
 開校以来百三十年の伝統を誇る大椚第二小
学校も、児童数の減少に逆らいきれず、村当
局と地域住民との話し合いを重ねた結果、平
成十六年三月三十一日を以って閉校すること
になった。
 ここに今日まで学校教育に尽力された諸先
人、諸先生方に感謝申し上げると共に、本校
同窓生の幸せと当地域の発展を念じ、記念碑
を建立し後世に伝えることとした。

 平成十六年三月吉日
   大椚第二小学校閉校記念事業実行委員会

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2016年9月19日 (月)

サンバーにGROMとBreva750を載せて北海道 その4 ※追記あり

2016年9月11日(日)です。

本日のルートは、大体こうです。

サンバーで洞爺湖~倶知安町
GROMとBreva750を降ろして、羊蹄山周辺
 GROMの^n^くんは、サンバーに戻り苫小牧港へ
 私はBreva750で、余市や小樽を回り、苫小牧港へ
合流後、19:00発の苫小牧発仙台行きフェリーに乗船
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それでは、サンバーで出発です。
洞爺湖の湖畔を回って。
函館周辺に比べ、バイクも多く見かけます。
東北ナンバーのカブの皆さん、良い感じでした。
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羊蹄山の見える河原で、GROMとBreva750を降ろしてと。
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続きは後ほど。



続きです。
まずは羊蹄山周辺をぐるぐる。
山に向かう直線道路で、ドローンを飛ばしてみたり。
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その後、^n^くんとは別行動。
余市に向かうガソリンスタンドで給油です。
向かいに何やら石碑と、新しい建物。
廃校になった小学校の跡地に、コミュニティセンターが出来たそうです。
スタンドのおじさんと話。
 この辺は、もう子どもはいませんよね。
 年を取って農業をやめて、都会に出た息子夫婦の所に行く。
 そんな話ばかり。
 北海道の人口500万人のうち、札幌市が200万人ですからね。
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余市町の「ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所」です。
観光シーズンの谷間でしょうか、混雑はさほどではありません。
失礼して、Breva750を正門脇に停めて記念撮影。
すぐそばの「余市宇宙記念館・スペース童夢」。
余市町出身の毛利衛さんにちなんだ施設。
こちらは、入口まで行ってみただけ。
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海沿いを走り、小樽市です。
運河周辺は観光客で賑わっていました。
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高速道路で苫小牧フェリー埠頭へ。
関東の高速道路のように高いフェンスではありません。
札幌の街並みや広い農場など、チラ見しながら、淡々と。
5時過ぎに苫小牧に到着し、^n^くんと合流。
7時発の仙台行きフェリー。
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レストランはバイキング1,500円。
フルートとピアノの演奏があったり。
ミニシアターでは、おしゃれなスパイ映画「コードネーム U.N.C.L.E.」。
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ゆっくり寝て、ゆっくり朝食。
翌朝10時に仙台港です。
埼玉まで約350Km。
運転は二人で交代ですからね、楽なものです。
明るいうちに帰着出来ました。
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感想などは、後ほど。

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2016年9月17日 (土)

サンバーにGROMとBreva750を載せて北海道 その3 ※追記あり

2016年9月10日(土)です。

本日のルートは、こんな感じです。
函館市大沼~木古内町~江差町~せたな町~美利河ダム~洞爺湖畔
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見どころは「旧JR江差線」。
2014年5月12日に木古内駅~江差駅間が廃止になっています。
残りの、五稜郭駅~木古内駅間は、第三セクター「道南いさりび鉄道線」に。

今日は、^n^くんとは別行動。
Breva750で、一人でスタートです。
一旦函館方面に戻り、大沼公園も少し眺めてと。
海沿いの道を流して、木古内の道の駅で小休止。
いやもうどこも解放感に満ちた絶景ロード。
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海沿いをそれて、木古内町~江差町間の山道に入ります。
ダチョウの牧場があったり、のどかな道ですが、だんだん狭くなってきて。
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道路わきに、線路の跡が目に付きはじめます。
レールがそのままだったり、鉄橋がそのまま残っていたり。
ついに「携帯電話不感地帯」という表示(^^;
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そのうち雨も降ってきて。
私のナビはデータが2014年版。「踏切があります」と教えてくれたり。

旧「湯の岱駅」です。
駅舎とともに、ホームや線路もそのまま。
今はバス停になっているのですね。
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途中の道で、草に埋もれた赤い字の看板。
「この踏切は使用停止のため列車は通りません」

旧「桂岡駅」です。
鉄道車両を改造した駅舎があったそうですが、、、
残念、ちょうど撤去作業が進んでいました。
途中の町では、小中学生がうろうろしていたり。
雨もやみ、また海沿いに出ました。
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続きは後ほど。




続きです。

海沿いの江差町です。
かつてはニシン漁で栄えた町。
「いにしえ街道」として、街なみが整備されています。
自動車販売店や修理工場まで、この通り。
残念ながら、観光客の姿はまばらでした。
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結構風が強い、海沿いの道です。
ですが、直進安定に優れたBreva750は、全く影響がありません。
広大な草原に風力発電が並んでいたり。
乙部町では「箱館戦争官軍上陸の地」の記念碑。
国道はそれなりの交通量なのですが、、、
こうやって少し脇にそれると、もう誰もいません。
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北海道伊達市 関内小学校
黄色い大きな看板です。
 134年間ありがとう
 閉校記念式典 H29.3.18(土)
 さようなら 関内小学校
石碑は「師弟同行」。
後から調べてみました。
学級数5、児童数42。
石碑は「先生と学生がともに学びあう、励ましあう」といった意味のようです。
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おっといけない。先を急がなくては。
せたな町で、^n^くんのGROMと合流。
海沿いの道で、ドローンで遊びます。
なんと空中に静止させ、GROMとBreva750の走行シーン。
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こんな画像が撮れてしまう(^o^)
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上の画像は、このあたり。
だんだん影も長くなってきました。
美利河ダムの駐車場で、サンバーにGROMとBreva750を積み込み。
すっかり雨も上がり、素晴らしい虹も出ました。
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さーて今夜はどこに?
ネットで探して夜道を約70km。
クルマですからね、楽なものです。
洞爺湖畔の「洞爺湖万世閣 ホテルレイクサイドテラス」。
週末で結構なお値段ですが、仕方ないですね。
花火も見られましたしね。
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2016年7月22日 (金)

群馬県前橋市内の「淀君のお墓」!?

今年のNHK大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地と言って良いでしょうか。

竹内結子演じる、悲運のお姫様「お茶々・淀君・淀殿」。
その最後について、ウィキペディアの「淀殿」の項では以下の通りです。

 しかし淀殿の最期を目撃した者の証言や記録などは存在せず、また遺体も確認されなかったため、
 秀頼と同様に彼女にも逃亡・生存説などの伝説が生まれるようになった。
 落ち延びた先としては薩摩や上野に伝承が残っている。
 島津氏を頼り薩摩に落ち延びた説と上州の厩橋まで遁れてきたという説もあり、
 上毛史談会の調査によると、前橋市の近くに淀君神社と称し淀殿を祀った神社があるという。

ほほー。
Google先生に相談です。
淀君神社は分かりませんでしたが、逃亡説ゆかりの場所は分かりました。

元景寺

前橋市内にある、総社藩1万石の藩主秋元家の菩提寺です。
藩主の秋元長朝が大坂夏の陣に出陣した際、淀君を匿い連れ帰ったのだそうです。
その後、淀君は自ら命を絶ち、そのお墓がこのお寺にあるのですって。

長い参道の脇を通って境内に入れます。
本堂の右に幼稚園。左側に駐車場がありました。

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説明看板の一部を、そのまま転記しますね。

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 一、開基
  総社城主、秋元長朝公が父君景朝の菩提
 供養のために開かれました。

 一、由来
  歴史深い山内には景朝公夫妻の墓所と
 ならび浅井長政公の息女(淀君)の墓があ
 ります。それは対岸の敷島公園のお艶観
 音と称し祭られている方の眠れるところ
 です。
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駐車場から本堂の裏に向かうと墓地があります。
正面の大きな木の下が秋元家のお墓で、ちょうど囲いの工事中。
そしてその脇のお墓が、淀君のお墓だそうです。
ステンレスの掲示板がありました。
墓石に刻まれた内容を、そのまま掲示しているようです。

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 戌
 長朝側室 泰朝母
 心窓院殿華月芳永大姉
 寛永七年(一六三〇)四月二日卒
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長朝の側室のお墓なのですね。
その方が淀君、というお話なのですね。

お艶が岩(おえんがいわ)

川を渡って、利根川の対岸にある敷島公園です。
上毛新聞敷島球場では、高校野球の県大会真っ最中。
歓声が外まで響いています。
水遊びの子どもたちも楽しそうな良い公園です。
さて「お艶観音」なるものは、一体どこにあるのでしょう。
案内パネルにも、記載はありません。

ネットの記事を参考にして。発見です。
先の敷島球場の北側、ボート池の橋のそばです。
身を投げた岩にしては、水辺から遠いですが。
20160718_33

とにかくこちらも、説明文を転記します。
ちょっと長いですが、そのままの形でご紹介します。

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 お艶が岩
  伝説

 この〝お艶が岩〟には、こんな話が伝えられています。
 「お艶とは」、実は〝淀君〟だったということです。
 秀吉の側室で、慶長二十年(一九一五)大阪夏の陣に際し、わが子秀頼とと
 もに大阪城の天守閣で炎の中、自刃したと伝えられています。
 ところが、対岸にある元景寺に伝わる話によりますと、淀君は、大阪
 夏の陣に出陣した総社城主秋元長朝の陣に助けを求めてきました。
 長朝は、淀君を篭に乗せ木曽路を通り総社に帰りました。もちろん
 当時、淀君をかくまったとあっては、たいへんなことですから、
 〝大橋の局御縁〟と呼んでいました。その後、幾星霜、この城でな
 に不自由なく過ごしていた淀君でしたが、過去の悲哀に耐え切れず、遂
 には世をはかなんで、この岩の上から利根の激流に身を投じたといい
 ます。この〝御縁〟が、語りつがれていくうちにいつしか〝お艶〟にか
 わり、だれいうとなく、この岩を〝お艶が岩〟と呼ぶようになったと
 いうことです。総社の元景寺には、〝淀君の墓〟といわれるお墓が
 あり、淀君が使ったという、お篭も残っています。

  なお、こゝにある「お艶観音像」は、敷島公園愛護会がお艶三百三十
  年忌に際して、昭和三十四年四月日展審査員山本雅彦氏に制作
  をゆだね建立したものです。

 昭和五十六年三月 建之 前橋市観光協会
             連盟創立十周年
             敷島公園観光連盟
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なるほど~。
昭和34年=1959年。その年に330年忌なら329年前=1630年。
元景寺のお墓は、寛永7年=1630年。
年代は符合していますね。
先の「淀君神社」は、この「淀君観音」の間違いかも。

そう言えば。
秀頼が大阪城から脱出して、今も「大阪国」が秘密裏に存在する。
そんなお話もありましたっけ(^^;

ネットで調べますと、2011年頃に書かれた訪問記が幾つもヒットします。
NHK大河ドラマ「お江」の年ですね。
浅井長政の三姉妹。茶々(宮沢りえ)、初(水川あさみ)、江(上野樹里)。
この時に、興味を持った方が多かったのでしょうか。

2014年の「黒田官兵衛」では、茶々は二階堂ふみさん。先日の「ほとりの朔子」主演。
そして今年の「真田丸」では、竹下景子さん。
もしかすると、今年もこれから調べる方もいらっしゃるかも知れません。

そこで、具体的な場所を Google Earth にマルを付けてご報告します。
どなたかの、お役に立ちますように。
いやいや、探す楽しみを奪ってしまうかも(^^;

Genkeiji
Shikishima

さーて。
この敷島公園には、まだ見どころが。

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2016年6月30日 (木)

ローカル史跡ウォーク

2016年6月26日(日)です。
梅雨時なのですが、今年は雨が少ないですねぇ。

私は、生まれも育ちも埼玉県です。
かつては中山道の宿場町として栄えた、地味で小さな町です。
昔なら、江戸から1日の行程。今は都心までJRで1時間足らずのベッドタウン。

前置きはこれ位にして。
小さな町の地味な史跡をめぐる、イベントに参加してきました。

コミュニティバスに乗って、なにやら町はずれへ。
なにしろ、バス停の周囲はコイン精米機だけ(^^;
はるかに新幹線の見える田んぼ道から、梨畑の脇を抜けてと。
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古ーい板石塔婆。
幾つかに割れて小さな社に保管されていたそうです。
新幹線の開通に伴い、復元移設したそうです。
秩父産出の「緑泥片岩」。
ステンレスで補強されてはいるものの、ぼろぼろ。
多気比売神社。
平安時代から続く古い神社なんですって。
大きな椎・シイの木の下は、ひんやりと涼しくて良い感じ。
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加納の天神様
江戸時代は、ここで湧く鉱泉が薬効があるとして、人気があったそうです。
広い参道の両脇には、以前はお店だったらしい古い家。
神主さんの手首に注目。
何やらメッシュの筒状の物をはめています。
これは涼しそうです。なんという物なのでしょう?
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この天神様は、大昔ブームになった「木枯し紋次郎」にも出てくるんです。
私も大昔に読んだ、原作小説の方です。
 「かどわかし―帰って来た紋次郎」1997.9.20 新潮社
  その中の「観世音菩薩を射る」。
初期の大人気シリーズではなく、「帰って来た」シリーズの3冊目です。
中年になった紋次郎が描かれています。
個人的には、初期作品の斬新さに比べますと、ちょっとね。

途中で見かけた石碑など。
天神様の境内の端には「明治天皇遥拝所」「神武天皇遥拝所」。
全国の神社に、結構あるようです。
真新しいのは、先ほどの「天神様の道しるべ」。
圏央道開通に伴い、場所を変えて整備されたもの。
後ろの小さなお社も、新築(^^;
四角くて立派なのは「奉納大乗妙典日本廻國」供養塔というのですね。
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どんな分野でも、熱心な個人サイトがあって感心します。
 廻国供養塔とは日本全国の社寺に法華経を
 納経する名目で行われた巡礼ー日本廻国ーに
 関わった人たちが造立した石造物のことです。

ゴールは「べに花ふるさと館」。
古民家を移設した、地域振興施設です。
屋外で「冷汁うどん」650円。
味噌仕立てで、きゅうり大葉すりごまなどの入った冷たいつけ汁。
最近流行りの、腰のある冷たいうどん。
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スマホの歩数計では、ちょうど10Kmとなりました。
大した距離ではありませんが、結構疲れました。
体がまだ、夏の日差しに慣れていないせいでしょう。

改めて、地味に調べてみようと思います。

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2016年5月 5日 (木)

スペイドで清水港から駿河湾フェリーで西伊豆補完計画

2016年4月30日(土) と5月1日(日)の一泊二日です。
伊豆に行ってきました。

2014年9月に行った時と、ほとんど同じルートです。
大変良かったので再訪して、前回立ち寄れなかった所を見てきます。

Google Map でのルート図は こちら です。
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中央道から富士山の西側を回って、清水港へ。
「道の駅なるさわ」からの富士山。
ミツバツツジやボケも満開。
途中の展望台からの本栖湖と青木ヶ原の樹海。
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新東名の清水SAです。
クシタニのショップやレンタルバイクまで。
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目的地その1。
清水港の先の「東海大学海洋科学博物館」です。
敷地内の「東海大学自然史博物館」と共通券で大人1.800円。
巨大な回遊水槽には巨大なメガマウスザメやエイ。
屋外では津波実験。
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その他もクラゲや甲殻類やクマノミなどなど。
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2階では、巨大なシロナガスクジラの実物骨格標本など。
3階では、動物の動きを模したメカの機械水族館。
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東海大学の創立者、松前重義の胸像がありました。
この博物館の開館の辞が素晴らしいので、全文を転記します。

 海洋は詩情をそゝる
 しかしその中には無限の資源がある
 若人よ
 外に領土を求めず
 海洋に資源を開発しよう
 若人よ
 戦争による拡大よりも
 平和な科学によって
 領土権なき無限の宝庫を征服しよう
 若人よ
 海国日本は世界最大の資源国である
 地球の三分の二は海洋であるからである
 来たれ若人よ
 動と静との詩情を求めて
 世界の平和と資源の開発のために
 科学によって人類の幸福を拓かう

  昭和四十五年五月二日 松前重義

おっと時間がありません。
隣接する「東海大学自然史博物館」も、さくっと見学です。
ディプロドクスなど恐竜の骨格標本などなど。
売店では、子どもたちの「買って―!」コール(^^;
20160429_06
私がここにはじめて来たのは、1980年代前半です。
今では、このような巨大水槽も珍しくないですが、やはり見応えがあります。

昼食の時間が無くなりました。
市内のショッピングセンターでシラス丼など買って清水港へ。
日本丸が寄港中で、館内見学の人も大勢。

フェリーで伊豆半島の土肥へ。
快晴ですが、富士山はちょっと雲がかかっていて、残念。
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続きは後ほど。

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2016年4月18日 (月)

Breva750で「旧大滝村立上中尾小学校」

2016年4月12日(火)の最後です。話は前後しますが。

前から気になっていた、旧大滝村の廃校です。
先の栃本関所跡から、秩父側に少し下ったところです。

「旧・大滝村立上中尾小学校」。
石碑のひとつは、学校の歴史です。
明治42年にこの場所に校舎を建設し、昭和56年3月に閉校とのこと。

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もうひとつは、児童寄宿舎の経緯。
昭和12年から昭和24年まで、児童用の寄宿舎があったそうです。
大滝村は広いですからねぇ。小さい子どもは通学が大変だったのでしょう。
全国初のもので、ラジオ放送や映画化もされたとのこと。

その後、滞在型の私立養護学校「光の村養護学校・秩父自然学園」として活用。
一階のサンルームのような部屋は、その名残でしょう。
その養護学校も閉鎖となり、今に至っているようです。

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縦長の窓など、モダンな感じの木造校舎。
そこから繋がって、鉄筋校舎を増設したのでしょう。
小さいながらプールもあり、桜も咲いています。
樹木には、名前のプレートが、今もしっかり下がっています。

入口脇の二つとは別の石碑。
「西暦二千年五月五日に会おう」
 上中尾小学校閉校記念タイムカプセル
 昭和五十六年三月三十一日 在校生保護者一同建之
生徒25名職員11名の名前が刻まれています。
その日に、皆さん揃って集まれたのでしょうか。

大滝村自体も、2005年に秩父市と合併し消滅しています。

大滝村村歌

一、朝日さす 神まつる峰
   とうとみて 村のしずめと
  栄え来ぬ 木木はみどりに
   ひびきあう 谷川の音
  村人の 心のしるし
   われらはむつふ 古き大滝

二、こま鳥の 声さゆるとき
   きりわたる 神秘の山に
  しゃくなげの 花は岩間に
   咲きはゆる ふるさとの土
  この国の 自然の誇り
   われらは守る 清き大滝

三、ちちははの なりわいうけて
   山川に 思いめぐらし
  あらたなる 力にもえて
   もとめゆく 高き理想よ
  甲武信れい 光さしそむ
   われらはつくる 若き大滝


大滝村立上中尾小学校校歌

         浜中兵部作詞

一、湧きたつ雲よ三峯の
   大気は澄みてかぐわしく
  高鳴る胸のこの希望
   賢くわれら育ちます

二、せせらぎ注ぐ秩父湖に
   こころも開けおおらかに
  この学び舎の上中尾
   仲よくわれら励みます

三、歴史を語る関所跡
   むかしをたずね新しく
  未来をになうこのちから
   雄々しくわれら進みます

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