古い本棚

2019年5月27日 (月)

古い本棚「赤ずきんちゃん気をつけて」四部作 庄司薫 その3

先日買い直した本を、読み終えました。
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この「白鳥」は、四部作で唯一の「死」をテーマにした作品です。

 いつもは勝気で元気で生意気な、幼馴染の由美さん。
 この頃、妙にしおらしい。

 先の小沢さんのお祖父さんは、今は死の床の中。
 由美さんは、その「滅びゆく生」に魅了されていく。
 まるで「白鳥の歌」に耳をすますように、、、

お祖父さん本人の描写は一切なく、小沢さんや由美さんから語られます。
若い薫くんたちには、到底たどり着けないような知識人。
自分にはどうすることも出来ない「死」に対峙する薫くん。

緊迫したラストシーンが素晴らしい。
一人称小説は良いですね。
もう大昔になってしまった「あの頃」に戻ったような気分です。


話変わって。

昨年話題になった「おらおらでひとりいぐも」
著者は63歳の若竹千佐子という方。
出版元の紹介は、こんな感じ。

 74歳、ひとり暮らしの桃子さん。おらの今は、こわいものなし――
 新たな「老い」を生きるための感動作。
 青春小説の対極、玄冬小説の誕生! 
 第54回文藝賞、第158回芥川賞受賞作。

薫くんのような「青春小説」に対して「玄冬小説」だそうです。
陰陽五行説による四季の表現「青春・朱夏・白秋・玄冬」からの新語。
先日の「チコちゃんに叱られる!」でも取り上げられていました。
この中で普段目にするのは「北原白秋」くらいでしょうか。

先の薫くんと同じ、芥川賞受賞作というだけですが。
共通点はそれだけですね。
首都圏の新興住宅街で2児を産み育て、15年前に夫に先立たれて。
息子と娘とは疎遠になり、、、
帰るところは、ふるさと東北訛りの言葉。
宮沢賢治の短編童話「虔十」が出てくるので、岩手なのでしょう。

あぁ。
今の私は実年齢も心も、こちらの方がずっと近くなり、深く心に染み込みます。
暗い話になってしまうのかと思ったら。
最後にいくばくかの救いがあるのが、ありがたいところでした。

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2019年5月23日 (木)

古い本棚「赤ずきんちゃん気をつけて」四部作 庄司薫 その2

ウィキペディアから転記します。四部作の構成は以下の通り。

 ・赤頭巾ちゃん気をつけて 中央公論社 1969 のち文庫、新潮文庫
 ・さよなら快傑黒頭巾 中央公論社 1969 のち文庫、新潮文庫
 ・白鳥の歌なんか聞えない 中央公論社 1971 のち文庫
 ・ぼくの大好きな青髭 中央公論社 1977.7 のち文庫 

私が読んだのが、1970年代の後半です。
庄司薫は、当時大変人気のある作家でした。
神田の古書店街には、古本も沢山並んでいました。
私も、3作目までは古本で購入。
そして、完結版「青髭」を新刊で読むことが出来たのは、幸運でした。

古い本棚から4冊を探す前に、ふとネットで検索。
なんと。
2012年に新潮文庫から新版が出ていたのを発見。
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ウィキペディアでは、先のように「赤頭巾」「黒頭巾」だけ記載がありますが。
新潮社のサイトで確認すると「白鳥」「青髭」も出たようです。
嬉しいことに、私の好きな重松清さんの紹介文がありました。
さすがですねぇ。
その締めが、うまいんですよ。

 ああそうだ、最後にもう一つ、笛と太鼓を。
 今回の新潮文庫入りにあたって、庄司薫さんは『赤頭巾』に新たな後記
 『あわや半世紀のあとがき』を寄せている。
 その書き出しは、〈ぼくは時々〉――なんだぜ。

うわー、これはたまりません。
笛と太鼓に踊らされ、さっそく買おうと思ったら、、、
残念。
7年を経て、新刊が手に入るのは「赤頭巾」だけ。
ネットで見ると、他の3作は古本がプレミア価格になっています。
さすがに、文庫の古本を「あとがき」のためだけに1冊1000円以上は、、、ちょっとねぇ。

幸いにも、ヤフオクで「赤頭巾」「白鳥」が通常の古本価格で出ていました。
まずはこれを、同じ出品者から同梱でゲット。
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オリジナルの出版順序は「赤頭巾」「黒頭巾」「白鳥」「青髭」ですが、
物語の時系列は「赤頭巾」「白鳥」「黒頭巾」「青髭」ですので、ちょうど良いです。

残りの「黒頭巾」「青髭」は、アラートに入れて気長に待ちましょう。

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2019年5月22日 (水)

古い本棚「赤ずきんちゃん気をつけて」四部作 庄司薫

私はジジイですからね。
お台場で重機を見て五木野坂を思い出すように、昔話を持ち出しては嫌がられる。
分かっていて、延々と。

新宿御苑で見かけたコデマリで思い出されるのが、庄司薫の小説です。
芥川賞受賞作「赤ずきんちゃん気をつけて」をはじめとする四部作。
そのうちの「白鳥の歌なんか聞こえない」に、この花が登場します。

舞台は1969年。学生運動が激化し東大入試が中止となった、騒然とした時代。
主人公は日比谷高校の三年生、作者と同名の庄司薫くん。
シリーズ中唯一、人の死が重要なテーマになっています。

それはさておき。
幼馴染の由美さんが、薫くんを散歩に誘いにきます。
 斉藤さんちのモクレンが咲いたの。
こんな風に、誘われてみたいものですねぇ(^^;

その後、由美さんの先輩の小沢さんが登場。
 彼女のうち(正確には、彼女がいまいるおじいさんのうち)は、
 兄貴が言ったように、コデマリの生垣をグルリとめぐらした大きなうちで、

ここでコデマリの登場です。
えーと。
若い頃は、まったく気にならなかったのですが、今になって思います。
コデマリなんて、生垣に使うような樹木ではないですよね。
ネットで検索。失礼して画像を拝借。
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http://www.fukuoka-gardening.com/niwaki/niwaki0170/

小説中のお宅も、他の常緑樹と組み合わせた更に立派な生垣なのでしょうか。
立派なお祖父さんにふさわしい、立派な邸宅なのでしょう。

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2019年5月14日 (火)

古い映画「メロディ・フェア」その2

私はジジイですからね。
何かと昔話を持ち出しては、嫌がられる。
その上、話がくどくて長い。
 
新宿御苑で思い出した、1971年のイギリス映画「小さな恋のメロディ」から、もう一曲。
主題歌です。歌詞と私の適当な和訳。
 
メロディ・フェア Melody Fair
 
 Who is the girl with the crying face
 泣き顔の女の子はだれ
 Looking at millions of signs?
 沢山の signs を見ている?
 She knows that life is a running race
 彼女は人生が競争だと知っている
 Her face shouldn't show any lines
 彼女の顔は lines を見せてはいけない
 
二行目の最後にクエスチョンマークが付いています。
前の行とあわせ、二行でひとつの疑問文ですね。
 
 Who is the girl with the crying face looking at millions of signs?
 数百万もの signs を見ている、泣き顔の女の子はだれ?

なるほど、signslines で韻を踏んでいるのですね。
では先に lines ですが。
こちらは「しわ」と言いますか、冒頭行と同じ表情のことで良いでしょう。

 Her face shouldn't show any lines
 そんな泣き顔を見せてはいけないよ

くらいに、しておきましょう。

さて。
その前の signs って、何でしょうか?

困った時のネット頼み。
訳詞を載せているサイトを見て回ると、様々な解釈の意訳が。
 
 Looking at millions of signs?
 数百万もの 標識 と睨めっこ
 他人(ひと)の 態度 ばかり見て
 たくさんの 予兆 をみてるんだネ
 数えきれない 悲しみ
 たくさんの(心身の)兆候 が現れている
 
失礼ながら、いまひとつピンときません。
 
とにかく、泣き顔で見るような「もの・こと」なのでしょう。
そして、次の行では「人生はランニングレース」と続きます。
とすれば。
私の解釈としては、こんな意味でしょうか。

 Looking at millions of signs?
 沢山の(大人が突きつける、理不尽な)「世間の常識・道徳・不文律」を見せられている
 
子どもの頃って「こうしなさい」「あれはダメ」など言われて叱られて。
だけど、なぜそうなのか意味が分からない。
そんなことが、様々にあるかと思います。
 
この映画の中でも、退屈なラテン語の授業や、理不尽な大人の振る舞いが描かれます。
そういうことを、言っているのかと思います。

この解釈で、キレイな訳詞が作れれば良いのですが。
意味するところが、まぁまぁ納得できましたので、ここまでにしておきます。
 
ジジイの話は、長くてくどいのですが。
その反面、根気が続きません。

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2019年5月13日 (月)

古い映画「メロディ・フェア」

私はジジイですからね。
お台場で重機を見て五木寛之や野坂昭如を思い出すように、何かと言えば昔話。

先日の、新宿御苑ですが。
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新緑を眺めて、ビージーズ「若葉のころ」という歌を思い出しました。
古い映画の挿入歌です。
1971年のイギリス映画「小さな恋のメロディ」原題は Melody

幼いダニエルくんとメロディちゃんの、かわいい恋物語です。
メロディの方が背も高く、年上なのだと思っていましたが。
ウィキペディアで誕生日を確認。
 ダニエルを演じたマーク・レスターは、1958年7月11日生まれ
 メロディを演じたトレイシー・ハイドは、1959年5月16日生まれ
へぇー。
ダニエルの方が、ひとつ年上だったのですね。

で。
ビージーズ「若葉のころ」です。
原題は、First of May。つまり5月1日。
これを「若葉のころ」としたのが、良いですねー。
英国と日本の気候の差はもちろんのこと。
日本国内でも、場所によって5月1日の気候はずいぶん違いますからね。

曲も歌詞も平易なのも、良いですねー。
キレイで穏やかな曲調に、中学校レベルの単語が並ぶ歌詞が乗ってきます。
おかげで、今でも口ずさめます。

ですが。
今になって細かく見ると、やはり難しいところがあります。
以下、歌詞と私の適当な和訳です。

若葉のころ First of May

 When I was small and Christmas trees were tall
 ぼくが小さかった頃、クリスマスツリーは背が高かった
 We used to love while others used to play
 ぼくたちは愛し合った、みんなが遊んでいる間も
 Don't ask me why, but time has passed us by
 なぜかと聞かないで、でも時は過ぎて
 Someone else moved in from far away
 他の誰かが、遠くからやってきた

 Now we are tall and Christmas trees are small
 いま、ぼくたちは大きくなり、クリスマススリーは小さくなった

この辺までは良いのですが。
問題は次です。

 And you don't ask the time of day

単純に翻訳サイトにかけると、こうなります。
 あなたは一日の時間を聞いていない

時間を聞く、って何のことでしょうか?
ネットで訳詞を載せているサイトを、いくつか見て回りました。

 そして君はあの頃のことを訊かない
 君ともそんなに話さなくなったね
 そして君はどんな時期なのか聞かない
 そして誰も時を聞かない

うーん。
どうもピンときません。
英語の「ヤフー知恵袋」のようなサイトで、同じ質問を見つけました。
日本語はGoogle翻訳です。

https://forum.wordreference.com/threads/ask-the-time-of-day.2972544/

質問
In Bee Gees's song "First of May," quoted as follows, what does the phrase "ask the time of day" mean?
Does it mean literally asking what time it is?
Or is it similar to "pass the time of day," which means "to chat casually"?

次のように引用されるBee Geesの歌「5月1日」で、「一日の時間を尋ねる」というフレーズはどういう意味ですか?
文字通り何時ですか。
それとも、「気軽にチャットする」という意味の「時刻を渡す」と似ていますか。


答え
By Christmas, children ask frecuently the time of day, out of anxiety. . .
Regards
クリスマスまでには、不安から、子供たちはしばしば時刻を尋ねます
よろしく

frecuentlyはfrequentlyではないかと、チェックが入りましたが。

なるほど。
この解釈が、私もしっくりきます。

子どもが、楽しみなことを待ちきれず「ねぇねぇ、いま何時?」と何度も聞いてくる。
そんな情景が思い浮かびます。

では、歌詞に戻ります。

 Now we are tall and Christmas trees are small
 いま、ぼくたちは大きくなり、クリスマスツリーは小さくなった
 And you don't ask the time of day
 そしてきみはもう、クリスマスを待ちきれず「いま何時?」なんて聞いたりはしない

これでどうでしょう。

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2019年5月 7日 (火)

古い本棚「対論」五木寛之/野坂昭如

日本科学未来館で巨大な建設機械を眺めてきました。
例えば黒部ダムや防災展などもそうですが、巨大メカは見るだけでも心に響きます。

以前、東京国際消防防災展2013 を見てきたときに、こんなことを書きました。

2013年10月4日(金) 東京ビッグサイトでうろうろ その3

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これらを眺めて、私は大昔に読んだ本の一節を思い出しました。
オリジナルの本を探したのですが、残念、見つかりませんでしたので、記憶モード。

作家の五木寛之が、野坂昭如との対談で、こんな意味のことを語っていました。
  普段ブルドーザーを見ても何も感じないが、仮に日本が外敵に占領されたとして、
  深夜ブルドーザーを先頭にレジスタンスが占領部隊に戦いを挑む。
  そんな状況では、ブルドーザーに感動するだろう。

本が見つかりました。
読み返しますと、記憶していた内容と大体同じでした。
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対論 五木寛之/野坂昭如 昭和48年6月15日 第1刷発行

 五木
 それもシチュエーションと形によりけりですけれども。
 だから京阪神を走っているバスが仮に何百台連なって大行進しても、
 大型ブルドーザーが鹿島建設の旗を掲げて何百台繰り出しても
 感銘なんかこれっぽっちもないだろう。
 しかし日本が占領され、レジスタンスに起ち上がった日本の人民が、
 深夜、ブルドーザーを駆って敵の本拠に殴り込む状況が仮に起きたら、
 その時そのブルドーザーは物凄い迫力があるだろうと思う。
 だから、あれは武器だ、ということが危険な魅力になるんだよ。

 野坂
 地震なんかの時に、ブルドーザーが十台でも音立ててやってきたら、
 やはり拍手して迎えるだろうね。
 無機物的な敵に取り囲まれている時でも、それを破壊してくれる
 道具に対する願望は確かにあるよ。

テーマ「軍隊」としての対談でした。
五木寛之は武器として語り、野坂昭如は救急時を想定して相槌を打っています。
私としては、単に合目的的な巨大システムとして眺めて嬉しいだけですが。
そこに様々な物語を紡ぎだす、やはり作家の見方は違うなぁと思います。

お二人の生没年は以下の通りです。
 五木寛之 1932年9月30日~
 野坂昭如 1930年10月10日~2015年12月9日
ということは、出版当時は五木41歳、野坂43歳となります。
人気作家としての全盛期。
私も、当時お二人の本はずいぶん読みました。
既刊はもちろん、新刊も出るたびに買っていた時期です。

今になって読み返しますとね、いかにも若くてお元気で。
全共闘とか終戦後の話とか、当時の雰囲気が良く伝わってきて。
なんとも懐かしい感じです。

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